Alex Henry Foster『Windows In The Sky』(空に浮かぶ窓)を抜けて

掲載:American Songwriter

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2018年、カナディアン・シンガー&ソングライターでありプロデューサーであるアレックス・ヘンリー・フォスターがソロデビューアルバムをリリースした。けれど誰も気づかないうちに。このリリースには宣伝告知もインタビューもなかった。さらに彼はMuseの『Simulation Theory』など、ビッグなロックバンドのリリースと同じ週に重ね、自分の作品を目立たせることなくリリースしようとしたのだ。

彼の頭の中を巡った考えやメロディックなノイズが、5月1日に『Windows In The Sky』を通して溢れ出る。嘆き、葛藤、逃避、復活を歌ったアトモスフェリックなリリース、サウンド的に大きな膨らみを持つ「Summertime Departures」や「The Hunter (By the Seaside Window)」はアーティストの抽象的、本能的な感覚に染まっている。

フォスターが『Windows In The Sky』に持つヴィジョンを補うために、最近は楽曲「The Hunter (By the Seaside Window)」をフィーチャーしたショートフィルムをリリースした。監督・指揮を取ったのは長年のコラボレーターであるフランス人監督ジェシー・ノトラ (Tinariwen, Tiken Jah Fakoly, Arthur H)である。彼はフォスターから全権を任され、1週間かけてモントリオールから更に北へ200kmほど行った場所で撮影をした。「自分の作品へのコントロールを失う困惑を体験したかったんだ。創作のために全てを手放すことで得られる自由を感じたかった」とフォスターは語る。

American Songwriterは、フォスターに現在のCOVID-19によるパンデミックの影響について、またタンジェへと向かったこと、『Windows In The Sky』の誕生、精神的な病とどう向き合い、美しいノイズを生み出せるかについて話を聞いてみた。

American Songwriter: コロナウイルスによって、今はあらゆることがストップしています。音楽業界も例外ではありません。この”下火の時期”にあなたはどうしていますか?作詞をしていますか?

Alex Henry Foster: 今、僕らが経験していることは本当に辛いものだ。健康保険に入っていない人たち、経済的、社会的、または感情的なサポートを得られていない人たちのことを心配しているよ。僕には様々に異なる生活環境で過ごしている友人たちがいる。バラが浮かぶバスタブに入って、均衡を保つことの大切さについて説教しているマドンナとは正反対さ。人は今この時期、あらゆるレベルで生き残ろうと戦っているんだ。だから僕は、消毒済みの豪華な家から、”みんなで一緒に乗り越えよう”ってタイプの社会からかけ離れているアーティストたちの一部ではない。実際、そういうのを見ると反吐が出る。

僕は独立系レコードレーベルを所有し、そこにはマルチメディアやグッズ製作所も含まれている。だから、僕の意識としては、スタッフやその家族たちに必要なものを与えられるようにしなきゃっていうこと。彼らはみんな長年の友人であり、コラボレーターたちなんだ。僕にとって、全ては自分が十代の頃にFugaziとかThe Velvet Undergroundなどのパンクバンドをカバーし始めたころから築き上げてきた、人道的、商業的価値に立ち返ることだよ。全ての基本は人だ。だから、彼らこそがメインフォーカスであり、僕の頭を占めているものさ。

また自分にとっての優先順位とは何かについても考える時間になっているよ。当たり前のように受け取っていたことに感謝し、大切にしなきゃって改めて思った。でも、何よりも、友人たち、そして言葉や音楽を通して、繋がるチャンスを与えてくれた人たち(ほとんどの場合が音楽という枠を超えているよ)と分かち合うために自分が何を持っているかを再確認することも大事なんだ。だから、こんな厳しい状況の中でアルバムをリリースするのは、あまり良いタイミングではないし、多くの人たちが費やした努力が水の泡になるかもっていう風に考えるんじゃなくて、自分がこのアルバムを書いたのは、今、みんなが経験しているのと同じタイプの絶望の中でだったし、何年も荒廃した闇を抜けて朝の光を見るためだったと思い出した。
それを僕は分かち合えるし、または少なくとも、与えたいと思ってる。だって今はみんな、未知なるものへの不安と対面しているからね。アートを商業化することに興味を持ったことはないよ。僕にとって、全ては人であり、彼らとの交流についてなんだ。

AS:『Windows In The Sky』は2018年にカナダでリリースされています。まだたった2年しか経っていませんが、今ワールドワイドにリリースされるということで、この曲たちは今現在あなたの中でどう響いていますか?あなたにとって、何か違う意味を持ちましたか?

AHF: 『Windows In The Sky』はとても個人的なアルバムだから、カナダで発売した当時は、その本質を公に受け入れる勇気がなかったんだ。アルバムをリリースすることにすら控えめだったしね。アルバムへの個人的な想いをちゃんと受け入れられるまで、しばらく時間がかかったよ。そして、正直言って、カナダでのみリリースすることで、ある意味プロセスを誤魔化すことができたっていうのかな。特に宣伝とか、シングルリリースとか、そういう戦略一切なし!っていう条件で発売できたから。

リリースすることは僕にとって大事なことだった。でも、それは”OK、もうリリースされた。さぁ忘れよう”って言う方法だったんだ。Muse, Imagine Dragonsや他のビッグアーティストたちがリリースするのと同じ週をわざわざピックアップしたりね。自分のアルバムが埋もれるように。そうすれば安心だったんだ。このアルバムについて話したりしなくて済む。その可能性を思うだけでも、僕は無性に不安だった。もはや隠れられなくなるまで。
2年間をタンジェで過ごしたあと、僕はヴァージニアのハイランドに移り住み、アルバムの発売日もそこにいた。『Windows In The Sky』がApple StoreでNo. 1になったり、SoundScanのチャートでもトップ5入りしたりしたことで、インタビューのオファーを知らせるメッセージを受け取り始めたんだ。冗談かと思ったよ。実際にインタビューをすることになるまでね。意味が分からなかった。全く商業的でないアルバム、嘆きや絶望について歌っているアルバムが、どうやったらこんなリアクションを得られる?僕は全く圧倒されてしまったんだ。最初の週でランキング3位となった時、僕は電話に出たり、メールをチェックするのを止めた。完全にシャットダウンしたんだ。アルバムはその後もしばらくトップ40をキープしたけど、それについてアクションを取ることを完全に拒否したよ。

これを読んでる人は変に思うだろうね。だって、素晴らしいことのはずだから。お祝いの瞬間のはずだ。もちろん、そうだったよ。でも僕以外の人たちにとってね。僕は完全に打ちのめされて、関わりたいくないと思った。ある意味で、このアルバムを生んだのと同じ困惑や混乱を再び経験していたんだ。そんなのは御免だった。なぜ今これを話しているかって、僕がどうやってそんな気持ちをなだめて受け入れるようになったかを知ってもらうため。それは、アルバムを聴いた人たちからのメッセージだったんだ。

僕は表舞台から見えなくなっていたから、みんなアルバムについてメッセージを送ってきてくれた。彼ら自身の嘆きや悼みをシェアしてくれた。僕はその全てを読み、全てに返信したよ。それは自分自身や自分が持つ不安な気持ちを超えたものだと気付いたんだ。メンタルが弱い人間として曝け出されるという恐怖よりも、もっと深いものだった。それが僕にとっての癒しのプロセスの始まりだったんだ。そのすぐ後に、コンサートやツアーの話が来て、それもまた気持ち的に引く感じだったけど、徐々に、光の中へと一歩踏み出そうと決意したんだ。自分が恐れていたことの全てが起きたよ。その都度、自分の中にある深い不安の気持ちを明らかにした。だから、一歩一歩進んできたって感じなんだ。今年2月から3月にかけて27日間のコンサートツアーに出るって決めるまで、僕は体調も崩していた。でもこのツアーがテストだったんだ。毎晩演奏することで曲の親密なエッセンスは消えるだろうか?観客にいる人たちと繋がることができるだろうか?自分の酷いパニックを超越できるだろうか?僕はオーディエンスを自分の混乱の中に捉えたままにしてしまうだろうか?

けれど、やがてその全てを手放し、自分の苦悩から曲を自由にしてから、聴く人にとって、僕にとって、この曲がどう成長してきたのかを目撃し、掴むことができたんだ。そして、もう隠れたり、フリをしなくて良いのだと気付いた。怖がっても良かった。疑っても良かった。毎晩、僕を温かく歓迎してくれたみんなの愛情、この曲を自由に体験させてくれた恵みに、僕がその瞬間どう感じていようとも浸らせてくれたことに、深く感謝しているよ。それは、自分を捕らえていた様々なものや、自己保存のためにしていた言い訳から自由にさせてくれた素晴らしい方法だったんだ。少なくとも、僕はそれに感謝したい。

AS: アルバムはどうやって出来上がったんですか?

AHF: 始まりはタンジェへ行ったときに始まった。その時は感情的にめちゃくちゃだった時で、でもちゃんと機能はしていたんだ。自分が全く燃え尽きていることを否定し続け、おそらく深刻な鬱状態だったことも否定して気づかないフリをしていたと思う。次から次へとプロジェクトをこなすことで色々なことを否定していたんだ。タンジェに着いて、自分がどれだけロストしていたかに気付き、自分でも驚いた。だから4週間の滞在で次のYour Favorite Enemiesのアルバムを書くという予定が、2年間の感情のデトックスになったんだ。結局、物凄い量の詩を書いたよ。自分のためにね。それをどうしようとか、何も考えずに。YFEの仲間たち(フォスターのバンドYour Favorite Enemies)がタンジェにいる僕を訪ねてきた時、それは僕が滞在し始めてから18ヶ月後くらいの時だったけど、自分が書いた文章を元にアルバムを作るというアイディアが浮かんだんだ。僕らは意見交換した。たくさん話したよ。久しぶりに一緒に演奏もした。ただ一緒に演奏するためだけに。YFEのベーシストであり、創作のパートナーであるBenが、僕のアイディアや歌詞をソロとしてレコーディングしないかと誘ってくれた。この親密な感情を表現し、自分の中に平和を見つけるために。僕自身、このレコーディングをどうしたいとかっていう想像がなかったから、それはとてもオーガニックに行われたんだ。

AS:『Windows In The Sky』を書き始めたのはいつですか?

AHF: タイムラインは記憶がちょっとぼやけてるんだけど、というのもプロジェクトって意識して始めたわけじゃないから。ヴァージニアで書いた「The Hunter (By the Seaside Window)」以外、歌詞はタンジェ滞在中に書いたものだよ。言葉ははっきりとあって、そこに薄らとメロディーや音や出したい雰囲気なんかがあった。タンジェに建てたスタジオで既に少し録音もしたんだ。けど、モントリオールにあるプロフェッショナルなスタジオにリフォームした僕らの教会に戻ってから、よりはっきりとした形になっていったって言えるかな。自分が実際にしていたことを否定するためにしていた言葉遊びを止めたんだ。あれは2018年の5月初めだった。

AS: 『Windows In The Sky』の楽曲やアルバム全体のソングライティング・プロセスについて詳しく話してください。

AHF: どの曲もBenとのセッション、もしくはYFEのみんなとのジャムから生まれたオーガニックな瞬間の結果だから、最初の曲から始まって、僕がこれだって決めた時点で終わりを迎えた。それってすごく矛盾してるんだ。だって、認めることすらできなかった痛みからくる生々しい、正直な感情をどの曲も映し出しているからね。でも、曲を書くことは自然なことだった。苦しくなかったわけじゃないけど、それぞれの曲に完全に身を捧げたよ。サウンドから、言葉から、ディスカッションから、沈黙まで、全ては閃きであり、手放すことについてだった。今のがとっても正直な瞬間だって決めたら、そこに戻ってやり直したり、修正したりして、曲の本質を隠したりしたくなかったんだ。ほとんどのヴォーカルがワンテイクだったよ。ほんの少しの部分を修正するだけでね。

音楽は本物で自由である必要がある。このプロジェクトのエンジニアであるBenにすごく感謝しているよ。僕が録ったテイクに戻ってやり直して、曲をぶち壊さないようにしてくれた。あと音楽的に僕をサポートしてくれたバンドの仲間たちにも感謝してる。ありのままの瞬間についてであり、パートについてじゃないということを理解してくれただけでなく、曲を書いて、レコーディングするということにおいて、知っている知識を全て捨て、新たに学ばなければいけなかったから。僕は即興の流れに基づいた彼らの音楽的探究を指揮していたんだ。

彼らが素晴らしいミュージシャンたちだからこそ、それは簡単じゃなかった。でも僕は技巧を探していたわけでも、僕の”ヴィジョン”の完璧な解釈を探していたわけでもなかった。僕は解放を、自由を探していたんだ。楽曲のパートを弾くことが彼らにとって難しいことではないことは分かっていた。だからこそ、僕はみんなでその反対方向へ向かいたかったんだ。雰囲気に応じて楽器を手に通り、その後、30分間同じリズムをMoogで繰り返すことになっても気にしなかった。それこそタンジェのアンダーグラウンドな音楽の集まりを通して学んだことだよ。音楽は精神についてであって、どのコードが正しいか、リズムはこうであるべきだ、っていうことじゃないんだ。僕はそういう精神を保ち続け、曲から曲へ、瞬間から瞬間へと導いていった。

AS:「The Hunter」は素晴らしい曲です。この楽曲について、またショートフィルムについて、詳しく教えてください。

AHF: アルバムバージョンのこの曲は、僕らの教会スタジオでやった30分のインストゥルメンタルなジャムから生まれた、とてもオーガニックな曲なんだ。みんなで弾き始める前に、自分が想像する音へのイメージをシェアするんだけど、僕が山々に囲まれて過ごした生活や、そういう豊かな自然の中で見つけた平和について、またタンジェで詩を書き綴りながら海を眺めていた瞬間との比較などについて話した。僕らは、その瞬間へのエッセンスだけを頼りに、自分たちを開放したんだ。サウンドは鮮明であり、高揚的でもある。それは海のように、山の中を吹く風のようにリアルだった。

この曲についてしばらく忘れていたよ。けど、常に全てを録音しておくように言ってあったから、ある曲を探していた時に偶然「The Hunter」のセッションを見つけたんだ。これをみんなでジャムした時の瞬間が一気に蘇った。いかなるルールも取っ払って、ただ弾き続ける。そういうシンプルな瞬間の特別な感覚を思い出したんだ。そのセッションの最後20分はカットすることにして、というのも個人の演奏力にフォーカスがいって、その瞬間みんなで体験したものというよりも、ただパフォーマンスになっている気がしたからね。でもその他はオーガニックにレコーディングされたままのを使った。

そして、なんとなく、ヴァージニアに移動した時に書いた短いストーリーの一つが、これをレコーディングする前にメンバーたちとシェアしたイメージを完璧に描写している気がしたんだ。それは、狩りの神秘的な本質を表し、近代生活へのエッセイみたいなもの、生き残るために他の命を奪うという矛盾について、誰かを生かすために自分の存在を捧げることについて。

僕はヴァージニアの僕の家で、レコーディングにギリギリ必要なだけの機材でもって、ヴォーカルトラックの収録をしようとしていた。プロフェッショナルなレコーディングを装ってね。楽曲への自分の直感が正しいか見たかったんだ。そして、固定EQとマイクだけでレコーディングするゴーストトラックとなるはずだったものから、“The Hunter”の語りが生まれた。レコーディングしたあと、僕はBenに”これだ。完璧!ありがとう!”と言ったんだ。彼は愕然としていたけどね。そして、他のプロジェクトのために、その場にいたコラボレーターであるMomokaに、このエッセイを日本語に翻訳して、レコーディングしてくれないかと頼んだ。この曲の精神に浸ってもらうために、この曲が映し出す感情のイメージを伝えたんだ。Momokaはワンテイク録って、それが僕にとっては完璧だった。オーガニックであり、リアルなものだったんだ。

ビデオについてだけど、「The Hunter」のショートフィルムのアイディアを思い付いたのは、僕の近しい友人たちと、フランス人監督の才能溢れるジェシー・ノトラと、また別のビデオプロジェクトを撮影していた時だった。彼はこの曲の虜になり、ヴィジュアルとして表現したいと話してくれたんだ。当時は曲の意味について、あまり人に話していなかったから、ジェシーは僕にたくさんの質問をしてきた。僕の視点で彼が曲に持つ視点を汚したくなかったから、いくつかの条件付きでビデオ制作について賛成したんだ;僕はビデオに参加しないということと、僕のではなく、彼自身の解釈でフィルムを撮るということ。言葉を変えれば、全権を与えるよっていうことさ。デヴィッド・リンチにインスパイアされたジェシーは、カナダに来て、モントリオールより更に北へ向かい、撮影をした。彼はこのプロジェクトにとても献身的だったから、3人のキャラクターのうち1人を自身が演じることにしたんだ。

AS: バックグラウンドを教えてください。作詞やパフォーマンスをし始めたのは…また美しいノイズを作り出したのは、いつですか?

AHF: 僕は実際、とても若かったよ。経済的にチャレンジでかなり荒い環境で育ってね。両親は音楽や文学を使って、貧しさの現実から守ってくれただけでなく、家庭の惨めな経済的現実の壁を超えて、想像する力を養わせてくれたんだ。古いカセットテープに自分の作った曲を録音していたよ。The Cure, Skinny Puppy, Sonic Youth, Fugaziや初期のNick Caveを知った時からは、自分でも楽器を弾いてみたいと思うようになった。
学生時代は学校をサボってモントリオールのライブに参加したり、ガレージバンドで演奏したりした。でも、Sef(YFEのギタリスト)と大学と並行して働いていたソーシャルワークのコミュニティセンターで会ってから、より真剣なものになっていったんだ。バンドを結成した後は、僕ら二人にとって、最もゲットー化された、腐り切った街の中で演奏することは、フルタイムのコミットメントとなった。ライブを見に、様々に違うカルチャーを持つ人たち、ギャングのメンバーや、宗教的な人たちが、普段なら間にある壁を超えて一緒に音楽の時間を共有していたことに、すごく心を打たれたんだ。それからは、僕にとっていつだって、交流についてなんだ。

AS: 再びYour Favorite Enemiesの新作に取り掛かる予定ですか?それとも、今はソロに専念しますか?

AHF: 今は、僕のソロプロジェクトに専念するかな。このアルバムに浸るのに、長い時間がかかったんだ。それにYFEのメンバーたちも、今、僕がYFEに戻るって決めたら、怒り出すと思う。特に、このプロジェクトが原因による癇癪によって、彼らはたくさん苦しんだから。

AS: Your Favorite Enemiesを経て、今は『Windows In The Sky』を書いたことで、アーティストとして、作詞家として、どう成長したと思いますか?

AHF: 自分が書く言葉に責任を持たなくて良いようにバンドを利用したり、人としての自分を認めるために、バンドの影に隠れなくても良くなったこと。今は全て、僕だけで受け入れているという点で違うんだよ。変に聞こえるかもしれないけど、僕はもう自分が生み出したものから自分自身を断ち切らない。それは僕にとって、大切なステップだったんだ。自分が知っているふりをしていることについて書いたり、こうした方が良いとか、こうすべきだって思うことについて、もう言葉を書いたりしないよ。以前はなんとなく、絶対的なもの、真実、不変なことを見つめるのが大事だったんだ。そうして、何も感じなくて済むようにね。

でも今は、光の中に立つことについて。たとえ最も侘しい感情を表現していたとしても。それが正直なら、言葉は僕と一緒に発展し、言葉が発展するのと一緒に、僕も成長する。それは失敗への自由、矛盾にある美しさ、混乱と間違い、純粋に身を捧げることにある解放だよ。それ以外のことには、あまり興味ないかな。

TINA BENITEZ-EVES
2020年3月27日

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