再生への招待

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ウェブロックマガジンBEEASTでのコラム連載より

アメリカで活躍したレバノン出身のアーティストで詩人のハリール・ジブラーンは、”私たちは、喜びや悲しみを経験する前に、それを選んでいるのである”と言った。そうだろうか?そうかもしれない…自分はどうだろう?もしかしたら、そうかも。

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僕は春をずっと待ってるんだ。今年はいつにも増してね。去年11月の日本公演のあとカナダに戻ってきてから、あまり太陽を見ていないからかな。全てがあっという間に過ぎていく。早すぎて、実感できないんだ。ほんの少し、ただ通りすがりの人間としてでも良いから、自分が経験している素晴らしい季節の色を盗み見れたら良かったんだけど。もしかしたら、目には見えない”永遠”というものについて物思いに耽っていたから、時間への視点を失くしちゃったのかも。過去の亡霊や、否応なく僕の中で大きくなる悲しみについて考えてるんだ。影を追いかけるように、欠けた思い出の欠片を追いかけるたびに、かつての亡霊と一つになる。幻想が必ず自分を捕らえに来る…自分を失うまで。

だから、休む場所を探して明るすぎる夜を彷徨いながら、古びて色褪せた写真のように感じる日々を過ごすとき、誰にも知られないように膝まづいて祈った慰めの絵や、喜びに満ちた過去の囁きだけが、生きていると感じさせてくれるものになる。人にはいつか終わりが来るという本質が、毎朝の呼吸をより大切な瞬間にさせるんだろうか?僕らは薄れゆき、毎日少しずつ消えていくから、今現在の自分と未来に望む自分とのあいだで、正しいバランスをキープするために戦っているから、僕は今、どの夜明けも贈り物であり、再生への招待であり、新しい始まりへの扉だと信じているんだ。

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初めて日本へ行ったのは、もうだいぶ前だけど、その時と同じように、昨年バンドと一緒に来日したときの経験は、驚くほどインスピレーションに溢れたもので、僕にとって意味のあることだった。それは、まるで街中を歩きながら、初めて訪れたときの光が目の前に響き渡っているのを感じられるような。何となく、僕の疲れた足を安全に家へと導いてくれるような。自分で描いた真っ暗な夜に消したと思っていた大切な記憶を、最後に一瞬見ることができた。それは、僕が許す必要のあったこと、許される必要のあったこと、そして手放して自由になるべきものへの、最後の一見だったんだ。それは、今の僕を思い起こさせた。昔の自分ではなくてね。昨年、日本で行ったコンサートは、その自由を映し出したものだった。ヘミングウェイが”私たちはみんな傷ついている—だから光が入り込む”と言ったように。自分が認めるよりも、自分でそう打ち明けるよりも、僕はずっと光を求めていたのかもしれない。それがどうであれ、僕はありのままの自分で受け取った。傷ついているけれど、自由な身で。

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実は、バンドの最新シングル「1-2-3 (One Step Away)」について生中継インタビューをしたんだけど、その準備のために、この公式ビデオを見ていたとき、ハリール・ジブラーンの言葉が頭に浮かんだんだ:”私たちは、喜びや悲しみを経験する前に、それを選んでいるのである”。この楽曲やビデオは、当時作詞した頃や、その映像表現をイメージした頃の心と魂の状態を完璧に表してる。でも今や、そのイメージや物語を越えているよ。シンボリックな要素が、歌詞を通して表現され、映像は僕が最初に選んだ言葉やシーンよりも、もっとずっと意味を明らかにしている。僕が書いた歌詞は、自分自身をそこから遠ざけるために選んだものだった。実際に経験していたことや、本当に書きたかった言葉の意味から離れるためにね。意識していたか、していなかったか、隠れていた真実が「1-2-3 (One Step Away)」では、明かされたんだ。それは、ヘミングウェイが話していた、光へ完全に身を任せたときに経験する自己再生と、どうせこれが宿命なのだと絶望し生ける屍のようになる現実とのはざまにある、深い葛藤なんだ。

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まるでジブラーンの言葉、”私たちは、喜びや悲しみを経験する前に、それを選んでいるのである”と、ヘミングウェイの”私たちはみんな傷ついている—だから光が入り込む”が、心と魂の状態に異なる視点を持ち、お互いに対立しているかのようだ。でも、僕はこの二つの文章がお互いを補充しあっているように思う。僕らは現在(未来)の状態を、経験する前から選んでいるのかもしれない、けど再生への招待は絶えず続く現実だ。完全に心が壊れていようと、ほんの少しだけ傷ついていようと、自分が今いる状態を認められるよう祈るよ。新しい朝の約束は、光を届けるために、僕らが腕を開いて歓迎するのを待っている。それは、信じ続ける理由を見つけるための、深い告白を隠しているかもしれないし、もしくは、解放して自由になるためのお祝いかもしれない。どちらにせよ、真実はいつだって、自分が慣れ親しんでいること以上に、もっと色々なことを見つけたいと思う個人的な望みに存在するんだ。これが僕にとってのアートだよ;自分たちの成長とともに、進化している人生を映し出したもの。そして、「1-­2-­3 (One Step Away)」は、時を刻む中で僕らを導き、それが少しずつでも、永遠でも、僕らがどの程度薄れ、消えていっているかという測りを定義する、感情の変化を正直に歌にしたものなんだ。僕らはその程度をも、ずっと前から選んでいるだろうか?真っ暗な夜へと個々の色を失うずっと前から?それとも、僕らが受け入れた光が新たな色を生み出し、それが人をインスパイアして、僕らが世界を去るときも、永遠になるんだろうか?

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アルバム『Between Illness and Migration』を書いたときは、生き続けることについてだった。正しさと間違い、真実と偽物、潜在的な成功と失敗、永遠と終わり…でも、それを意識しながら作ったんじゃない。本物であること、それが一番大切なことだった。生きていると感じる緊急性だった。アーティスティックなステートメントでもなければ、周到に準備された商品リリースでもなかった。それは、最悪なものと向き合った自分たちだった。個人的、全体的な意味での僕ら。だから、自分の声をラジオで聴くのが嫌だったんだ。だから、アルバムが褒め称えられ、見ず知らずの人たちに聴かれるのを、ぎこちなく感じたんだ。とても、パーソナルなものだったんだよ。この曲たちを歌うまでに、しばらくかかった。リリースしてから最初の1年は、あまりライブで演奏しなかったよ。僕にとって早すぎたんだろうか?多分ね。実は「1-2-3 (One Step Away)」は、アルバム最初のシングルになる予定だったんだ。でも、僕にとっては、親密すぎた。どの曲も、本当はそうだけどね。時間が必要だったんだ。僕はまだ、とても脆くて、心が壊れたままだった。でも、ヘミングウェイは正しいよ…光はやっぱり入ってきた。予想もしていなかった形で、でも、とても意味深い方法でね…まるで、僕らがアルバムを書いた時のように。

だから、1年前に名誉あるカナダのJuno賞に出席していたとき、”ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー”にノミネートされたということは、『Between Illness and Migration』がカナダという国の芸術遺産の一部になったということだね、と誰かに言われ、僕はなんてバカバカしく、思い上がった発言なんだろうと思った。まるで、賞がアートの価値を決めるかのようだ。まるで、ノミネートしたことで、このアルバムを書くのがどれだけ僕にとって難しいことだったかを定義しているようだ。結局、僕らが賞を受けとることはなかったけど、何となく安心したのを覚えてる。もしも賞をとっていたら、アルバム『Between Illness and Migration』に呪いをかけ、その進化する不思議を、冷たくて、想像力のない不変のものに変えてしまっていたかもしれないから。もうずっと前のことに思えるけど、このアルバムは、日本先行でリリースした時から、驚くほどの進化を遂げ続けているんだ。でも、このアルバムによって、最も成長し、進化したのは僕ら自身だと思う…自分が思うよりもね。

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実は、最近までアルバムの本質について考えたことは、あまりなかったんだ。おかしいよね。だって、アルバムについてはインタビューで何度も話したり、書いてきたのに。でも、日本でアルバム全曲を通しで演奏したとき、このアルバムが僕にとって、どんな意味を持つか改めて気づいたんだ。それで初めて、『Between Illness and Migration』が具体的になったんだよ。経験する前の喜びや悲しみを越えてね。人で溢れかえった東京のこじんまりとしたライブハウスで、マイクを握った瞬間、突如としてリアルになったんだ。セフが、その後の「Satsuki Yami (My Heartbeat)」となる曲のギターを弾き始め、突然、全てのつじつまが合ったようだった。あの夜、あのステージに立っていた理由から、何故、いつもと違うメンバー編成で全く違うアレンジをして、フルアルバムを演奏したのかまで。僕は、来てくれた人たちの穏やかな表情や、目をつむって聴いている姿、天井高く手を挙げている姿、目に涙を浮かべている人、僕の目をしっかりと見つめている人たちを見た…それは、シンプルにアルバムの音楽を、あるべき音色にさせた瞬間だった。僕自身が音楽と一体となった瞬間だった。近づくのではなく、一つに。一言、一言を受け入れ、一つ一つの音やメロディーを受け入れた。それは、僕自身だった。本当は、いつだってそうだったのかもしれないけど、否定し続けていたんだ。それでもなお、僕自身だ。

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その夜は、多くの機材を持ちながら、滞在先まで歩いて帰った。終電を逃しちゃってね。東京の夜空の下を一時間以上かけて歩いて帰ったよ。あの夜のことは、僕だけでなく、バンドメンバー全員、一生忘れない。僕らは滞在していたアパートに戻り、言うまでもなく、バンドよりも大きな何かを経験したんだって分かってた。僕は晴れ晴れとした心でモントリオールに戻った。これからも様々なチャレンジが訪れるだろう。僕を苦しませようと様々な疑いの心も戻ってくるだろう。友人を失ったり、また酷く体調も崩すだろう…だけど、ありのままの自分でいる覚悟はできていた。どんなことでも、新たな、深い決意を持って対処しようと思った。そして、もっと大事なことは、その全てにおいて、ありのままの自分で直面すること。同じように心は傷ついていようと、シャッターを開け、光を歓迎する人間として。

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そのすぐあと、アルバム『Between Illness and Migration』のデラックスバージョンをリリースしないかというオファーをもらったんだ。一つの条件付きで、その話を受けたよ:今現在の僕らとして、アルバムを作ること。もう既にある曲をただ再現するのではなく、日本でライブをした時のように、どんなフィルターもなしに表現する。そして、だからこそ、僕らはこれを『Between Illness and Migration – Deluxe: Tokyo Sessions』と呼ぶことにしたんだ。このアルバムの輪が完了しようとしている今、シンプルに認めることができるよ。この記事で“Tokyo Sessions”の意味も伝えることができたし、もうすぐリリースもされるから、僕らは今ようやくバンドのセカンドアルバムへと進む準備ができたってね。去年の11月、人に溢れた東京都内のライブハウスで、自分が書いた曲を演奏し、そして体現して初めて、準備ができたんだ。『Between Illness and Migration – Deluxe: Tokyo Sessions』のために、スタジオに自分たちを缶詰状態にして初めて、心の準備が整った。ある人たちは、このアルバムに身を浸し、生涯聴けるアルバムとして受け取ってくれるだろう。また、ある人たちは、完全に嫌いになるかもしれない…どんな反応が生まれようと、僕は自分たちの思うまま作れたことを心から喜んでる。しがらみから解き放たれ、自由になった人間の音だ。リリースはもうすぐ。楽しみだよ。

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それまで、僕らの最新シングル「1-2-3 (One Step Away)」のビデオを見て欲しい。初めての人も、そうでない人も、再生を思い描きながら見て欲しいな。

そして、僕の好きな詩人や作家の一人であるライナー・マリア・リルケが、“若き詩人への手紙”という本の中、1904年8月12日の手紙で言っているように:

“未来は、自らが私たちの中で変容するために、その時がやってくるずっと前から、私たちとともにあるものだ”

それが、時を越えるっていう意味なのかも…永遠になるということなのかも。

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