ウォッチパーティーで受けた質問の答え / パート1

ウォッチパーティー中に答えた質問をいくつか載せておくよ。もしも何か聞きたいことがあれば、何でも、聞いてくれても良いし、またはソーシャルメディア上で送ってくれても良いよ。僕はみんなとの繋がりや交流を大事にしたいし、価値あるものだと思ってる!

1曲目で使っているマイクは何ですか?
ハンドメイドのマイクでコッパーフォンと言うんだ。Placid Audioで働く長年の友人がデザイン&製造したものだよ。このマイクによって、数年前のモントリオール空港は大混乱になったんだけどね。爆発物だと勘違いされたのさ。空港の職員があんなにも恐怖で緊張している姿を見たのは初めてだったよ。僕は何故、以前タンジェ(モロッコ)に住んでいたのか、そこでイスラム教徒になったかどうか色々なことを聞かれた。まぁ、このマイクは素晴らしいから、そんな経験をしてまでも手にれる価値があるけどね!そして今や国際空港のデータベースの下にある”検査対象”セクションに加えられてる!買いたい人は気をつけて!

Miss Isabelが最初の方で歌っている詩が何か数人から質問を受けたんだけど…
あれは僕がフランス語で書いた“Et puis viendra le printemps”(そうして春は来る)と言う詩の一部なんだ。これは、さまざまな季節を生き抜く僕たちの存在の非永続性を表すものであり、僕らが成長するにつれて受け入れられるものを定義し、したがって僕たちが残したものの性質を定義する…

アルバムにある女性の声は日本語が多かったですが、フランス語に変わったのは何故ですか?
あらゆる全てが一つの同じ考えによって展開されている。それは、歌詞やその瞬間のサウンドをインスパイアした感情をちゃんと伝えているものであるかどうか。バンドメンバーたちにアーティスティックな雰囲気を伝えたあとには、そこにある感情と繋がるためのクリエイティブな閃きを見つけられるかどうかと心配したりはしない。それはもう既にそこにあって、紐解かれるのを待っているんだ。唯一、大事なのはそれを受け取るために心を開くこと…だから、僕にとっては言語ではなく、曲の聞こえが良いとかでもなく、曲の本質を表現するかどうかについて。

ライブのあと、ツインドラムについてたくさんの人からコメントをもらったよ!
ツインドラムにした理由なんだけど、僕にとってはリズムがすごく大事なんだ。曲のリズムで遊べるように、いつもオプションをキープしてる。Benは僕のスピリチュアルなリズムのコンセプトを理解してくれるんだ。テクニックがすごいパフォーマンスではなくて、完全に浸れるような混乱的な音が欲しかった。目に見えない何かと繋がるような、音楽だけが導けるような。

楽曲「Sorrows」は後でリリースされますか?配信で演奏した他の曲たちは?
分からない。一生に一度の演奏だったかもしれないし、今はまだ”明日”がどうなるかも分からないから。そうするには『Windows in the Sky』が心と精神の中で光を放ち続け、感情的にもそれを望んでいる必要がある…だから今は分からないや…

「Snowflakes in July」は最も個人的な曲とのことですが、感情的に強い繋がりを持ちながら、バンド仲間を導く・指揮するのはどうでしたか?
A:良い質問だね。リハーサルが上手くいこうと、ダメであろうと、その瞬間に僕らが何を体験しようとも、または集まった時にどう言う方向性に向かおうとも、それが次の集まりにそのまま現れることはないって、関わるみんなが理解し、受け入れていたと思う。だから、その点に関しては「Snowflakes in July」でも同じで…僕は自分の個人的なアイディアでそれを変えることはせずに、曲にある感情へと解放できた。それは僕がと言うよりも、曲自体がみんなを導いたんだ…僕の役目はそれを台無しにしないことだよ!

通常ライヴバージョンはアルバムバージョンよりもずっと長くなりますが、「Snowflakes in July」では、長くもなってますけど、大部分が剥ぎ落とされてます。それは何故ですか?
恥ずかしい秘密を教えるよ…一度曲がリリースされると、僕は二度と自分の曲を聴かないんだ。この曲の”シングル”バージョンに取り組んでいたときに初めて、ライヴバージョンではすっぽり抜けている箇所があることに気づいたよ。僕はスタジオで、一緒に取り組んでいたBen(The Long Shadowsのマルチインストゥルメンタリスト)を見つめて”こんなパートあったっけ?”と聞いた。Benは驚いていなかったよ。僕はオリジナルの歌詞を読み返して、抜けた部分と再び向き合った。それは感情的な変化と癒しのセオリーとの間にある美しい対立なのさ。何故、夜空の星が全て光の波を反射しないのか…本物だ、本物だ…ほらね今はもう覚えた!

”鏡は廃れ、誰も見ない”とは、何を意味していますか?
僕らはみんな誰かの存在を映し出す鏡だと思ってるんだ。隠れている人もいれば、否定する人、他の人に見られたくない人や、他人の現実を見たくない人たちもいる。自分自身の反射を見たくない人もいれば、自分だけを見ていることに耐えられない人たちもいる…それが色々な意味で人間の性であり、見たくないものを受け入れることと、自由の意味を忘れてしまうくらい歪んでしまったとしても、その現実を受け入れる必要性とのあいだでバランスを取ろうとしているんだと思ってる…

数日前、「The Love That Moves」で歌っているように、どうやって”闇に打ち勝ち、輝かせる”強さを見つけたのか聞かれたんだ…
僕の答えとしては、自分の人生に闇が存在すると認め、それが人生に与える影響を認識し、それが自分自身に大きく作用していることを認めて、受け入れることで強さを見つけたんだ。僕はその起源、意味、影響を理解しようと頑張り続けていた。心にある侘しさが自分の一部であることを否定しようとしていたんだ…その影響との戦いを止めて、皮肉的に降伏したというわけじゃないよ。けど理解できない闇もあると思ったんだ。その現実へとシャッターを開けてから光が入るようになり、僕の中の闇の影響を圧倒し始めた。それが、正直になるという本物の戦いなんだ。認めたくないほどに、暗闇は良く忠実に仕えてくれる。けど、光が持つ解放的な性質を受け入れるには、これが本当の自分だという日々の決断からくる…それは自分がいつも知っているものとは限らず、また常に信じようとも思わないものだ…

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