ALEX HENRY FOSTER & WINDOWS IN THE SKY

「息子として、父親の死というのは、無垢や幻想の終わりを意味する」とAlex Henry Fosterは言う。彼はそれを自身の経験から言っているのだ。2016年に父親を亡くした彼は、成功を収めていたモントリオールのアンダーグラウンド・ロックバンドYour Favorite Enemiesの活動を一旦休止し、身を隠すようにモロッコへと向かい、亡き父親について、また以前とは違って見える世界について理解しようとしていた。この”感情のデトックス”こそ、彼のソロデビューアルバム『Windows In The Sky』へと導いたものである。このアルバムは、暗い夜を過ごした魂の記録であり、リスナーを高揚的でありながら、挑戦的でもあり、さらに今年あなた方の誰が経験するよりも正直でパワフルな嘆きと混乱の旅路へと連れていく。

フォスターにとって、音楽は常に避難場所であり、別の世界への入り口だった。彼の父親はLed ZeppelinやBlack Sabbathのアルバムを、そして母親はオールド・ロックンロールを聴き、それはモントリオールの貧しい街で育つ現実からの逃げ道となった。「あの街は貧しい人たちに優しくない」と彼は言う。「僕のバックグラウンドは厄介なんだ。とてもブルーカラーみたいな。音楽があったから家族でいられた。この世で受け取った最も美しい贈り物だよ。両親は何も持っていなかったけど、音楽を聴いている時だけは、全てを与えてくれたんだ」。

フォスター自身の音楽への献身は絶対的なものだった。ちゃんとした食事にお金をかけるよりも缶詰を食べ、その分をレコードに費やしていたのだ。学生時代を経てソーシャルワーカーをしていた時に出会ったギタープレーヤーの同僚と一緒に、彼はYour Favorite Enemiesを結成した。Fugaziにインスパイアされたグループは熱心なDo-It-Yourself(自分でやる)の精神を持ち、レコーディングスタジオへとリフォームしたドラモンヴィルにある旧カトリック教会から全てを管理している。Juno賞にもノミネート経験があり、それまでに発売した4枚のアルバムは称賛されていた。しかし、2016年に父親が他界したあと、フォスターは表舞台から遠のき、タンジェへと場所を移して、父親を失ったこと、そして彼自身の人生と向き合った。

フォスターと父親の関係は複雑だった。「父は身長190cm、体重100kg近くある大柄な人で、子供の頃は憧れていたよ。十代になってから大嫌いになったけどね。物心ついた時には父はアルコール依存症だったんだ。本当の自分を探していたんだよ、きっと。今なら分かるんだけど。それで、父は僕が十代の時にキリスト教徒として生まれ変わった。それは僕とは合わなかったんだ。それまでのことを、そんなに簡単に忘れようと思えなくてね」

2016年7月に父親から連絡があるまで、5年ほど両者は全く会話をしていなかった。彼の父は深刻な病気を抱えていた。「父は肉体的に衰え、とても弱く、脆く見えたよ」とフォスターは思い出す。「解決しないままのことが、とても鮮やかになったんだ。父が亡くなる前に知りたかったこと、理解したかったことがたくさんあった」。しかしながら彼の父は、神様が病気を癒してくれると信じていた。フォスターは父親との繋がりを再構築する会話を望んでいたが、当の本人は究極的には到達されなかった神の救済に意識を向けていた。その1週間後に彼の父は天へと召された。

その4日後、Your Favorite Enemiesは台湾のHo Hai Yanフェスティバルにてヘッドライナーを務めた。「今までで一番大きなステージだった。けど僕の頭にあったのは”こんなのは間違ってる。僕はここにいられない。ここにいるみんなと交流できない。与えるものが何もないんだから。父親を亡くしたばかりなんだ”ということだけ。そのあとバンドに伝えたんだよ。”これ以上はもう無理だ。何かが自分の中で壊れてしまった。一人になって、しっかり向き合いたい”って。僕は感情的に自己破壊への道を歩んでいたんだ」。

タンジェはフォスターが望んだ孤立と匿名性を与えた。「悲しみを抱えていても、突然僕を知っている人とばったり会わないで済む場所が必要だったんだ」と彼は言う。地元のモスクから聞こえる祈りの声にフォスターはインスピレーションを得た。「祈るという行為は、物事を考える時間をとることに似ている。僕は自分について考える時間や、父親について、嘆きや混乱について考える時間が必要だったんだ」。

彼は曲を書き始めた。多くの曲を。「自分の中にあったものを吐き出すために、ただ書いて、書いて、書いたんだ。感情をデトックスするみたいに。テラスに座って、感情へと身を捧げたよ」。彼は十代の頃にインスピレーションを受けた音楽へと立ち返ったー Glenn Brancaの荒れ狂う、感情を鷲掴みにするようなギターシンフォニーや、鞭打つようなノー・ウェイブのSwansなどーそして、同じメロディーやリズムを40分ほど繰り返す地元のミュージシャンたちのパフォーマンスに夢中になった。

1年間の滞在で、彼の詩ははっきりとした形になってきた。メロディーは最初の段階では、怒りしかなかった。そしてフォスターのバンド仲間がタンジェでの彼の様子を見に来た際、それまで取り組んでいたものの一部を聞かせてみた。すぐさま、1週間のみの滞在が6ヶ月となり、彼らはフォスターとコラボレートして、彼の曲を仕上げ、タンジェでも交通の激しい通りに設置した小さなスタジオでレコーディングした。

レコーディングしたサウンドは、フォスターが感情のキャンバスに描いたものによって広大となった。それは彼の青年期の音楽に入り込んだものだったーSwansやBrancaーしかし、父親の死によって感じた彼の苦痛や混乱、そこにアイデンティティと平和を見つけようとする探求の旅によって痛々しいメロディー、酷い暴風雨が加えられている。楽曲「The Pain That Bonds」で、彼は膝をつき、自分の弱さを認めている。「The Hunter (By The Seaside Window)」(タンジェより帰国した後に書かれたもので、最初は30分越えだった曲)で、フォスターの絶望が彼を獲物かのように追い、Slint風なサウンドスケープで、どんどん息苦しくなっていく。スタジオで、彼はバンド仲間の指揮をとった。彼は言う「曲は生々しく、本物でなきゃいけなかった…そこに妥協はなかったんだ」。

楽曲は精神を浄化させるような、スリリングなもので、希望を見出し、フォスターの内省を映し出している。心が乱れるような「Summertime Departures」は、死への結論、父親から残されたもの、彼の遺産について考えたパワフルな曲だ。勢いのある音の嵐は、フォスターの中にある混乱と苦痛を捉え(それは彼曰く、”風の中で方向性を失い、そこに正しいも間違いもないとき”について出そうだ)しかし、彼はそれに加えて、このテーマは「最も心が痛む悲しみと、積まれた石のように耐え続ける愛を信じる決断のあいだには、永遠がある」ことについてでもあると語っている。陰鬱で、壮大な「Lavender Sky」は、タンジェでフォスターが見た素晴らしい夕焼けにインスピレーションを受けて作られた曲だ。しかし、やがて恐れや、根無草のようになること、死を前にしての無力さについての曲へと発展した。「コントロールできないことを受け入れること」についてだとフォスターは言う。「でも受け入れることは、負けを意味しない。そして、恐れこそ僕らを人間たらしめるものだ」。

フォスターはソロアルバムをレコーディングしたいと熱望していたわけではなかった。彼はこの音楽を自分のために作っていたのだ。彼の意識はコーラスやブリッジについてではなく、「ロックンロールのトリックやギミックを越えて感情を鳴らすこと、自分を表現すること」であった。しかし、カナダに戻ってくる頃には、楽曲は「もはやセラピーではなくなっていたんだ。それはリアルなもので、一貫したものだった」。それでも、彼はこの最もプライベートな瞬間を、リリースするその日になっても、世界中でシェアするべきかどうか悩んだ。それは彼自身も認めるジレンマなのだ。たとえ『Windows In The Sky』がカナダのiTunesチャートでトップになり、音楽評論家からも、メインストリームからの注目も両方得たとしても、彼はまだ完全に心に平和を見つけたわけではない。

楽曲制作時について、「僕はただ呼吸し、心を癒していたんだ」と彼は言う。「僕は作詞家であり、アーティストだ。自分の感情と向き合うのに、座ってそれを人に話すよりも、書く方が素直になりやすい。僕が向き合っていたような感情は、あまりにも明るすぎる光が点滅してるみたいに、一瞬、目が見えなくなるような感覚にさせる。でも、その光に自分の心を開くことができて、それを言葉にし、音楽にすることができれば、自分のことをより良く理解できるようになるんだよ」。