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瞬間に身を任せたとき、その一瞬が永遠となり、完全に消費される。その瞬間に浸ることによって、人は変わり、それゆえ一変するんだ。それが一瞬であろうと、永遠であろうとね。けれど、その変化の本質を、その瞬間の本質を見つけることができるのは、本当に自分を解放したときにだけ。永久か刹那か。幻想か真実か。空想か現実か。ある永遠の無常…ときに受け取り、ときに種をまく。多くはそこから何を見出すわけではない。その一方で、人々に恵みを与えるために全てを捧げる人がいる。人生。僕らがつくっていくもの。けれど、決して思い通りにはいかないもの。もしも、確実に時が針を刻み続けるのであれば、僕らが蒔いた種の真髄をどんなものにするのかは、僕ら次第だ。

マンチェスターでの爆破事件を受けて

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昨晩、マンチェスターで起きたことは本当に酷いことだ。マンチェスターはバンドにとって、とても意味深い場所であり、たくさんの素晴らしい友人やファミリーたちがいる。愛する人たちから引き離されてしまった家族たち、そして、僕らのように、このような恐ろしい忌むべき憎悪と暴力の前に無力さを感じている人たちに、心からの憐れみと純粋な祈りを捧げたい。

こういう酷い惨事が起きた翌朝は、それが馴染み深い場所であろうとなかろうと、憎悪という執拗な性質の前で、平和と共感というものがどれだけ脆いものかを思い出させる…許しの代償や愛が、良い意思を持つ人々のために報われにくくなっていっている気がする…僕にとって、直面するのが最も恐ろしいこと、それは今まさに僕が忌み嫌っているモンスターと同じようになること…少なくとも、それはいつだって僕の個人的な決断なんだ…

人生を味わおう。それはいつだって、失った人たちを称える方法であり、憎しみと恐怖に対抗する方法だ。

– アレックス

PS:ジェフと僕のことを心配してメッセージを送ってくれたみんな、どうもありがとう。反応が遅くなってごめんね。君たちと同じように、僕らもショックを受けている。でも、一つだけ確かなのは、君の行動が僕らにとって、とてもインスピレーションに溢れるものだということ。本当の愛の力を思い出させてくれて、どうもありがとう。

国際反ホモフォビアの日

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誰かの権利を否定することは、人を権利から堕落させること。僕らは理解できないかもしれない、僕らは心地良くないかもしれない、僕らは賛成すらしないかもしれない、けれど、一つ分かっていること、それは自分の信念や、他人の違いのために平等を否定するとき、僕らはシンプルにありのままの自分でいたために直面しなければいけなかった、または直面している、そして今後直面するかもしれない憎悪に加担するということ。自分自身をありのまま認めるということは、それが何であろうとなかろうと、他の人がありのままでいることを受け入れるということだ。そう望もうと、望むまいと、僕らはみんな変で、おかしくて、間違っている。そして、それこそ、この世界を進化していくための魅力的な場所にするんだ。僕らの恐れと非難が生み出した均質化された、どんな独裁国家よりもね。少なくとも、それが真実であろうとなかろうと、僕が支持しているのはそこだ…全ての人に人権を…例外なく!!!

– Alex

Most Live To Say Goodbye, Some Die To Feel Alive

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ニューヨークは、僕にとって魅惑的な存在だ。アイコニックな響きによるものではなくて、街全体が一つの世界のようにして回っているような、ほとんど架空のコンセプトのような…まるで、旋回する動きには時間さえ権威を無くしているような。過去、現在、未来、その全ての中心にいるような感覚。幸福に満ちた喜びと、無感動の不幸。忘れようとしたもの全てと、ずっと望んできたもの。依存と自由。コミュニティと自立。シンボリックな解放のイメージと、無慈悲で豪華な要塞。ポルノグラフィックな極貧と神聖な欲望。

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鏡が世界のヴィジョンを映し出すように、創造しては、破壊する。永遠の愛を信じる者にとってのロマンチックな幻想。新たな始まりを求める者にとっての避難所。輝くための明るい光を望んでいる者にとってのシアター。よそ者にとっての隠れ家。自身の沈黙から逃れてきた者にとってのうるさい人混み。過去のノスタルジアを写し続ける写真、思い描く未来。無名の作家、神秘的な炎、膝間づきたいという謎の欲望、縮んでいく自己の上昇…それらにとっては、忙しい通りだ。クリエーションの美しさ、そして、それと共にあるカオティックな自然災害。自らの権利の中で神となることがどんな味か、そして、真の人間らしさとは何かを意味してる。

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僕は嵐の中で育った。それ以来、信じるには歳を取りすぎ、本当に気にかけるには若すぎる。多くが別れを言うために生きるとき、生きていると感じるために死ぬ者もいる。家のすぐ近くだと感じられるのと同じくらい、現実はたどり着くのに最も遠い場所のようにも思える。まるで、夢と実現のあいだの距離が、乗り越えるべき最も大きなものであるかのように。2016年3月1日、霧雨の夜、ブロードウェイを歩き、愛する人たちの笑いや驚きに囲まれながらワインを飲んだ…あの瞬間はニューヨークの街じゃなかった。そこに存在した眩しい光や輝くスカイラインよりも、断固として素晴らしいものだった。あの瞬間は家族だった…それほど素晴らしくシンプルだった。それほど勇気付けられた。家族…それが何であろうと、ありのままでいさせてくれるユニークな力。夢とその実現のあいだ。

ニューヨーク…”多くが別れを言うために生きるとき – 生きていると感じるために死ぬ者もいる”

– Alex

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気にかけるかぎり

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気にかけるかぎり

今回のようなメッセージを書くのは、ひどく心が痛む…自分の故郷で狂気が乱暴に人々の命を奪ったからでなく、絶望的なまでに皮肉ったり、感情を断つことなく周りを見ることが、僕にはどんどん難しくなっているからだ…

まるで世界が、というか成長を遂げているはずの現実が、どんどん、ぼやけていっているかのよう。まるで毎回、自分の人生の外を見るよう強制されるたびに、どうしようもできないまま、目の前で明るい色が消えていくのを見なければいけないかのよう。安息の地だと思っていた場所に、逃れられない恐怖がどんどん近づいてくることによって、その一瞬、突然、目が見えるようになったかのようだ。

”恐怖”が憎むべき暗闇を連れて、交流のテーブルを訪れ続ける中で、希望、愛や平和について考えることは、ひどく心が痛む。まるで忌むべき悪が僕の全てに、僕が信じてきた全てに、僕が行動に移してきた思いやりを定義するもの全てに、挑戦しているかのようだ。自分自身の心の奥底を見てみろって言われてる気がする。でも、僕の心にある全ては、憎しみの存在を否定し、非難し、生き続けるために違う方向を見ている。まるで…まるで、何だ…?時に僕は、混乱しすぎて自分に嘘すらつけない…”きっと大丈夫だ”と囁き続ける。でも、どうやって大丈夫だなんて分かる?僕は悩み続ける。混乱しても良いんだろうか?分からない。

シャルリー・エブドの残虐行為から、許すことのできない憎しみに満ちた悲劇の数々や、それに関する写真や動画など、僕が最も嫌悪するのは、様々なメディアから聞えてくる無関心極まりないナンセンスだ。”エキスパート”、”スペシャリスト”、”オブザーバー”や”コメンテーター”は、ニュースが発信されてから、たった数秒後に、頭を使わずとも分かるいつものバカげた言葉を流す。 今朝、僕が聞いたカス情報は、政治的、社会的に考えても知的さの欠片もないものだった。とても不愉快だったよ。自分の本、協議会やサービスについて宣伝していた…思いやりも、共感も、同情も、恩恵もない。自分の宣伝だけで、一言触れることすらしなかった。すごく気分が悪くなったね。こういう繊細さの欠如にうんざりしすぎて、何事もなかったかのように今日1日を過ごすなんてできなかった。想像を絶したよ。そして、ドナルド・トランプが大統領に選ばれたから、神様はどれだけの狂気を僕らが耳にしてきたか知ってるはずだ。女性を性の対象として描き、難民を禁じ、暗殺のジョークに、ホワイトハウスに爆弾を仕掛けることについて公に話したりね。政治的、社会的な修辞学は、感覚がまったく堕落しすぎて、もはや馬鹿げた哀れみすら感じない。おぞましいよ。

実際、大晦日にイスタンブールで起きた恐ろしい事件のあと、僕は自分に約束したんだ。もう、こういう悲劇について書くのは止めようって。自分の感情を表現するのに言葉じゃ足りないとき、そうする強さがまだある人へと譲った方が良いと思って。でも、世界中にいる、文化も宗教も、社会的、経済的、政治的視点も違う多くの友人たちからメッセージを受け取って、僕が恐れるべきは、自分の弱さでも、混乱でも、疑いでもなく、沈黙だと気付いた…苦しみ、悲しみ、憎しみを育てる全てのものに対する血清は、招待し続け、ありのままを歓迎し、チャンスを掴み続けることだ…

これを書きながら、僕はまだ混乱している。今も無力さを感じ、全てを嫌悪してる。けど、最近モロッコからの友人が僕に書いてくれた言葉が、今日は心の中で響いているんだ。“がっかりしても良いんだよ。混乱しても、恐れても良い。僕らはみんなそうだ。愛、平和、世界…僕らが気にかけるかぎり、見込みのない試みなどないよ。僕らが気にかけるかぎり、いつだって希望はあるのさ。君が信じる道を歩き続けて。そして、心が折れそうになったときや諦めかけたとき、僕のように、君のことを気にかける人たちがいることを思い出して”

そして“きっと大丈夫だ”と囁き続け、”でも、どうやって大丈夫だと分かる?”と悩み続けながら、結局、僕は気にかける何百万人のうちの一人だから、大丈夫だって分かるんだと思った。メッセージを送ってくれて、そして僕を歓迎してくれて、どうもありがとう。僕の家族、愛する人たち、そして僕自身は無事だよ。世界はどんどんモノクロの荒涼へと化しているように見えるけど、失われたと思っていた色は、君の寛容な手の中に安全に抱かれていると知っている。僕の親愛なる兄弟、姉妹、愛する人たち…輝き続けよう!!!

オリジナルの英語バージョンより翻訳:Momoka

再び

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ニース連続テロへの言葉

“再び”…憎しみが、いつまでも消えない怪物のように恐怖を撒き散らしている。このような残虐行為が愛も色もない痛々しい思い出となるとき、新しい1日を思い描くのは難しい。

“再び”…世界がスローガンによって二分されているとき、映像として映し出されたテロは、マスメディアの視聴率合戦を生み、“事件”という言葉は文化的敵意のアジェンダを優先する政策の反映となる。

“再び”…人は攻撃され、打ちのめされ、奪い去られ、バラバラになり、急進的になり、孤独になり、恐れている…でも何よりも、人間味がなくなってしまった。

“再び”…多すぎるほど。いつだって、耐えようのない、受け入れられない、この宿命的な表現が僕らを悩ませる…”自分に何ができる?何か成されるべきことがあるんだろうか?”

でも”再び”、それは僕らに思い起こさせる。深い悲しみにも関わらず、僕らは今でも立ち続けているということを。動揺し、脆くなりながらも。この陰気な憎しみの侵略の前に、結束している。

“再び”…憎しみという暗い恥と向き合いながら、光の中にとどまるという勇気を僕らが持ち続けられますように。人生と愛への信仰を通して僕らは、無関心、 敵意、悪意に打ち勝てると信じられますように。

“再び”…自分の暗闇に対抗し、影の一種とならないようにするのが難しいのと同じくらい、人間を深く信じる心の地平線を越えて、いつか、”その他”の恐れによって生まれた不安から自由になって、”再び”、集まって祝福ができる日がくると信じられますように。きっと、その日は素晴らしい日になる。人々が例外なく、みんなで一緒に、築き上げることができる日になる。

だから今日は、僕の想い、僕の祈りを捧げると決めたよ…僕の兄弟、姉妹、友人、愛する人々、僕の言葉では苦しみが癒えることはないと分かっているし、きっと慰めにもならないかもしれないけど、僕の最も誠実で無償の愛を君に贈るよ…それぞれ違いがある中で、人を結ぶものは愛であり、それが互いの関係を築かせてくれるんだ…”再び”。

– Alex

憎しみ&爆弾に対する答えが愛であるなら…

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ベルギー連続テロへの言葉

兄弟、姉妹、友人、隣人と愛する人たちへ向けたメッセージ

今朝、もっとも暴力的なアラームによって目が覚めた;無感覚状態

かつての敵がお気に入りの武器を持って、僕を襲ってきた;無力感、理解不能、怒り。まるで、この瞬間だけ全てがモノクロかのような暗さ。一瞬のうちに込み上げる感情を自制し、自分自身に問いかけた。「僕らの住む世界は永久にこんな状態ってわけか?」- 恐怖。

僕は、行方が分からないベルギーの兄弟、姉妹、友人や愛する人たちのことを、すごく心配してる。僕の心は、悲しみに打ちひしがれる人たちと一緒に哀れみ深く膝まづいている。そして残酷にも、彼ら自身の名のもと、多くの人の命を奪ったモンスターたちが同じ痛みを味わえば良いと、怒りに満ちている人たちをオープンに招待したい。

だから言葉を書こうと思ったんだ。でも、何を書けば良いんだ?何を共有すればいい?テロ、それが人生をぶち壊したように、テロ(恐怖)は、こういう同情心のある言葉を余分な空っぽの貝殻へと腐敗させてしまった。その中から響くのは、混乱の荒野の中で囁く自分の声。僕は言葉以外に何を与えられる?毎回、毎回、同じ質問をしているんだ:「自分に何ができる?」”もしも、何かすべきことがあるのなら”ってね。

今日の悲劇は、共感の言葉を使い古された追悼の言葉に変えてしまった。それは完璧に着飾り、他のどんな酷い機会にもきちんと沿うんだ。嘆きの沈黙を、疑わしい自己保存のための隠れ家へと変えてしまった。より良い明日への希望を否定する自分を隠すためのね。魂のない言葉は、ただの心ない音だ。僕はずっと昔に学んだんだよ。本当の心は、その独特な本質をごまかせないってね。たとえ僕の言葉に、僕自身が動揺し、どれだけ自分の無力さを感じ、果敢に戦うのにどれだけ疲れ果ててしまっていても、やっぱり放棄することはできないんだ。黙って何事もなかったかのように平然と過ごしたり、違う方向を見つめることはできないんだよ。

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