讃え、昇っていく自由な動き

-     -

ウェブロックマガジンBEEASTでのコラム連載より

“どんな創造主も、内在するヴィジョンと究極の表現のあいだに隔たりがある”
– アイザック・バシェヴィス・シンガー

013

夜の闇が消え、紫から、青、そしてオレンジへと、太陽の明るく美しい光が徐々に空を覆っていく中、僕はモントリオールを発った。この聡明なキャンバスは、地平線を心地良いヴェルヴェットの空に変える鮮やかな色合いを生み出し、新しい奇跡や、晴れやかに人生を謳歌している人々の姿を描き出している。あまりにも生き生きしているから、その姿を見ながら夢中になれる自分がとても恵まれているように感じた。時間を止められるだけの信仰があったらと願ったよ。どんどん過ぎていく時間を。物思いに耽っている僕の目に、その光景が一瞬だったとしても、止まってくれたらと願っていたんだ。

033
041
051

このまばゆい朝の沈黙、大きな期待と約束から生まれた穏やかな瞬間に、僕は姿を消した。夜明けに家を出るのが好きなんだ。手を振って別れを惜しむには早すぎるし、夜を続かすには遅すぎる。だから、何となくロマンチックな時間帯だと思うんだよね。無垢と疑いの脆いバランスに浸れる。というか、だから別れが不得意なのかも。僕は薄暗い中に交わす誓いや、半分謎を残した偽物の秘密なんかには興味ない。たとえ、時には噴水にコインを投げることがあったとしても、信仰心にはそれが正しいか、間違ってるかは分からない。けど、心はちゃんと分かってる。だからこそ、誰かを置いていくっていう感覚なしに出発できたのは良かったんだ。身体をリフレッシュさせ、心を活気づけて戻ってくるという意識を持ちながら、シンプルに出発できた。人生にある不思議、そして今や自由に味わえる、もしくは少なくとも以前よりは受け入れられるようになった美しさに、新たな風を吹き込みながら…

013

これまで、あまり休むことを良しとしなかった僕だけど、今まで以上に休息が必要だった。正直言って、『Between Illness and Migration: Tokyo Sessions』は、すごく時間がかかったんだ。多分、自分で理解したり、認めてる以上にね。でも、やりきった。”Tokyo Sessions”の制作中、スタジオではこれまで経験したことないくらい素晴らしく、満ち足りた時間を過ごしたよ。”Tokyo Sessions”ほど、僕の心と魂が深く望んだままをアーティスティックに表現しながら作詞し、レコーディングできたことはない。他のバンドメンバーとも、今まで以上に絆を強められた。けど、昔の悪魔と向き合い、過去の亡霊を解き放ち、長いこと心の奥底に閉じ込めてきた感情に身を委ねるのは、僕にとっては最高に激しい乱気流の旅だったんだ。”胸の内に語られない物語を抱え込むほどの苦悩はない”と言ったのはマヤ・アンジェロウだった。だから、分かってる。たとえ、どれだけ酷く痛みを覚えたとしても、『Between Illness and Migration』の旅は、素晴らしく僕を解放してくれたって。 

Beeast Release003 IMG 5749
033
041

だからこそ、この航海を終えたとき、たとえ完全に疲れ果てていたとしても、心を縛り付けていた鎖から外れたことで、改めて人生にはもっと色々なことがあるはずだと思ったんだ。アメリカの作家チャールズ・ブコウスキーが”もしあんたが自分の魂を失いかけていてそれが分かっていたら、あんたにはまだ失うだけの魂があるってことさ”と書いたように。本当の意味で生きるには、一度自分に対する執着をなくすべきだ。少なくとも、ここ数ヶ月はそんな風に感じてた。昨年11月に行った日本でのコンサートから、そのコンサートにインスパイアされたアルバム”Tokyo Sessions”の完成まで、僕は曲から曲へと自分自身を捧げ、妥協することなくアルバムのスピリチュアルな本質へと自分を浸していった。完全に解放し、コントロールすることなく、その没頭の流れへと身を浸していったんだ。再び戻ってこられるかなんて関係なく、僕は持っている以上を注ぐ覚悟ができていた。曲から曲へ、かつての状態から余分なものを剥ぎ取り、強く握りしめて離さなかったものを手放し、僕の秘密の痛みがわざと魂に与えていた悲しみ、罪の意識、嘆きから僕は贖われた。

013

“Tokyo Sessions”は、全てを捧げることで生じる、感情の蘇りなような気がする。マイグレーション(変遷/移り変わり)が自由への再生であるように、ルネッサンスはどの音にも、ノイズにも、囁きにも、そして僕が再び命を見つけた言葉にも存在している。僕の親愛なる友人であり、姉妹のようであるSakikoが撮った素晴らしい梅の開花をフィーチャーしたアルバムジャケットのように。この写真はメキシコの詩人パブロ・ネルーダが希望と救済について言った言葉を完璧に表してる。”全ての花を切って取ることはできるが、春の訪れを止めることはできない”。改めて、これは決定版の”Tokyo Sessions”を含め、今や完了した『Between Illness and Migration』の旅の意味を完璧に表していると思う。

013

実際、”Tokyo Sessions”が僕の最後のアルバムになっていたかもしれないんだ。そして、だからこそ、そうだったとしたら、穏やかな気持ちでいられただろうと思う。死と再生の本質、変遷と自由の本質を、穏やかな視点によって完璧に表現できた。僕が自分で思うよりも、もっと素晴らしく、僕の内省的な解釈よりも、もっと深く、悟りを開くような熟考よりも、もっとキラキラと輝いているんだ。そして、飛行機の窓側の席に着き、”Tokyo Sessions”のファイナルミックスを聞きながら、この言葉を書いている。際限なく自らに科していた惨めさから自分への執着を捨てたあと、人生へとオープンになって、一人の時間を持つために、カリブ海近くのプライベートな場所へと向かっている。今では、古く傷ついた追悼から生まれた歓声が聞こえ、影が光輝くようにデザインされた感謝祭を通して、僕の精神が高まるのを感じるよ。 

033
041
051

アルバム”Tokyo Sessions”の、新しく生まれ変わった「Empire of Sorrows」を聴いてみて。僕が話している心と魂の状態を感じてもらえると思う。讃え、昇っていく自由な動きに輝く海もね:http://j.mp/TokyoSessionsJP

“水の音は詩の言葉よりも価値がある”

– オクタビオ・パス

013

コメントを残す

ブログカテゴリー

最新Instagramフォト

言語を選択