3 Songs & Out – Alex Henry Foster & The Long Shadows – Broadcast, グラスゴー 06.23.2022
掲載:3 Songs & Out
原文はこちらから
どこからこのレビューを始めたら良いだろう?どんな言葉を使えば、私が目撃し、体験したことを描写できるだろうか?何を言っても、どんな言葉を使っても、不十分になる気がする。時に、ただその場にいなければいけないのだ。
それでも、私のベストを尽くそう。
私が初めて、Alex Henry Foster & the Long Shadowsの世界を知ったのは、昨年、人や集団から離れ、不安症、鬱などの呪縛からようやく抜け出した時だった。彼のアルバム『Windows In The Sky』は、Alexが父親を亡くした経験が中心となり、その現実と向き合う中で感じたことや気持ちが歌われている。そこには、嘆き、悲しみと怒りがあり、しかし、また希望、優しさと愛も感じられた。それはノイズとパッションの催眠的な大混乱のようだった。全ての音、全ての言葉、全ての旋律が、その目的を果たしていた。まるで、Phil Spectorが、Sonic YouthとSwansを指揮するかのように、ノイズの壁が押し寄せる中、その翼に乗って飛び立たせてくれる。
コロナによって、バンドは最近までツアーができずにいた。しかし、ようやく、この6人組カナディアンバンドが大西洋を渡ることができるようになったのだから、私がこの機会にダラムからグラスゴーへと向かうのは全くフェアだと思った。
グラスゴーに来たのは、これまで1度しかなかったが、友人のGillと一緒だったので、彼が街を案内してくれ、ライブ会場まで連れて行ってくれた。Broadcastは、レイアウトが通常とは異なるライブハウスだ。英国の暑い夏の日に、石造りの壁が涼しく感じられた。ステージは横幅よりも奥行きが深く、ミュージシャンにとってスペースを確保するのは、些か困難だ。ドラムキットのペアは、お互い前後に向き合う配置でないとフィットしなかった。そして、その前には、ダルシマー、キーボード、シンセ、アンプとおそらくエフェクターボードの形をしたNASAのコントロールルームの装置たち。
Sef Lemelinのアトモスフェリックなセットのあと(彼の奏でるビートとループが、ホラー映画の不吉なサウンドトラックを作り出しているかのようだった)、 The Long Shadowsのメンバーたちがステージに登場した。スモークマシーンの煙によって、照明は薄暗く始まり、Alexがオーディエンスの間を通り過ぎる中、バンドが演奏を始めた。彼は小柄な方かもしれないが、力強さを持っていて、ステージの端にあるMoogは、まるで教会の説教壇のようだ。曲が徐々に盛り上がり始めたとき、彼は自身のテノールギターを 手に取った。Alexの後ろには、バンドのドラマーの1人であるCharles “Moose” Allicieがいて、ダルシマーを叩き、Jeff Beaulieuは、鼓動のようなベースラインをループする。Miss Isabelはキーボードで膨らみあるテクスチャーを加え、時にクラリネットで強弱をつけていた。(彼女は、その後ライブが進むにつれてフルート、トランペットとパーカッションも使う)Alexの右にはSef(そう、この夜のオープニングアクトを務めたのと同じSef)が、ギターを揺らし、シンセの音を加えながら、その楽器から深淵なノイズを引き出す。しばらくして、Mooseがメインのドラムに身を置き、それを合図にBen Lemelinが彼のキットから、ステージのフロントへ移動し、さらなるギター音を加えた。
オーディエンスは部屋中に散らばっていた。ある1人の男は、シャツを脱ぎ捨て、裸足になり、踊り始めた。音楽に合わせて、身体をツイストし、激しく揺らしながら。彼はバンドメンバーではなく、私たち側の人間であり、この音楽の交流に完全に心を魅了されたオーディエンスの1人だ。のちに彼の名はPhilだと知った。私は帰る前、まるで家族かのように、彼とハグをした。
交流、交わりというのが、この夜を描写する完璧な言葉だろう。ただの音楽から、もう一歩先に踏み込んだものだ。それは催眠的で、海の引き波のように、心の深くへと連れて行く。ベースとドラムの音が絶えず打ち付ける中、まるで肺から空気を吸い込んでいるかのように感じる。層の厚いメロディーが体を包み込み、Alexの詩的な歌詞が入ることによって、一瞬その圧が弱まり、また再び襲ってくる前に、ひとときの希望を与えてくれる。
プレゼンテーションも音楽同様に催眠的だった。真っ白いストロボが赤いライトの中を点滅し、私たちに見えるのはメンバーのシルエット。それは、この夜の経験をより謎めいて、神秘的なものにした。照明の激しさは、インダストリアル・ジャイアントNine Inch Nailsと良い勝負だろう。唯一の希望は、パフォーマンスを通して、自分を有頂天にさせるものを掴もうとすることのみ。私は、目を閉じて、音楽の厚みと抑揚を感じた。そうして、目を開けると、落ち着きを取り戻す前、一瞬バランスを崩したかのように感じたものだ。
セットは6曲ほどだった。それだけかと思うかもしれないが、ライブは2時間ほど続いた。曲はより長く延長され、今その場で起きていることから描かれる。それを見ながら、思ったこと:元々の曲は、Alexがカオスを調整するためのフレームワークである、ということ。彼は、パフォーマンスに完全に身を浸すのだ。Killing JokeのJaz Colemanのように。
「Summertime Departures」では、Alexがフロアに降りてきて、オーディエンスとパフォーマーの間にある壁を崩した。私が気が付く前に、彼はテノールギターを私の首にかけ、それまで彼が使っていたスライドバーを手渡してきた。さらに彼は私をステージへと導き、私は他のバンドメンバーたちに混ざったのだ。Benが私の方に体を傾け、もっと弾くようにと励ましてきた。Alexはその一部始終を私の携帯のカメラで撮影していた。(彼が信頼できる人で良かった)数分、演奏したのち、楽曲は終わりを迎えた。ステージを離れて自分の場所に戻る前、私たちは温かいハグをした。これは全く予定されていなかったことだ。サウンドチェックの前に彼にインタビューしていた時も、こんな風になるなんて一言も言われなかった。私は、突然の招待とワイルドな楽曲によって、息切れした状態だった。
そのあとは「The Hunter」へと続き、14分のスタジオバージョンから更に成長したライヴバージョンは、ほぼその倍の長さになった。今回のセットの中心となる楽曲だ。そのクレッシェンドに、私たちは釘付けになり、息を飲んだ。Alexは最後の曲「Shadows of Our Evening Tides」で締めくくる前、嘆く心の痛みはあれど、人生はそれでも続いていくことを思い出させてくれたこの魅力的なツアーへの感謝の言葉を述べた。その締めくくりのコーダの間に、再びAlexはステージを離れて私たちの元へ来て、一人一人と温かいハグを交わした。パフォーマンスの間、全力を尽くした彼は自らの汗でびっしょりと濡れていた。曲が終わりを迎えるまでに、午後10時の終了時刻を20分ほど過ぎてしまったが、誰も気にしなかった。(おそらく、この後のクラブナイトの準備をしなければいかなかったスタッフを除いて)
私たちは熱いグラスゴーの夜をあとにした。私の心は今も興奮し、自分が何を体験したのか理解しようとしている。数年前、Nick Caveのライブを観に行った時は、全くスピリチュアルな経験だった。私にとって、今回のライブもそれと同じレベルだ。Alexは、楽曲にある激しい感情を、じっくりと自分の中で蒸留し、それをとても純粋なかたちでライブ演奏として披露してくれた。そう、そこにはアーティストとオーディエンスの交流、交わりがあったのだ。なぜなら、自分が何者であろうと、どんな人生を歩んでいようとも、愛と嘆きは全ての人に共通するものだからだ。私たちは違う言語を話すかもしれないし、または違う国で生まれ育ったかもしれないけれど、感情は世界共通であり、全てを超越する。「Shadows of Our Evening Tides」の中に使われているサンプルは、アレン・ギンズバーグのものであり、全てを完璧にまとめているだろう:
“The weight of the world is love.
Under the burden of solitude,
under the burden of dissatisfaction
the weight,
the weight we carry
is love”.
(世界の重さは愛である。
孤独を背負いながら
不平不満を背負いながら
重さ
我々が運ぶ重さは
愛である)
それでも、私のベストを尽くそう。
私が初めて、Alex Henry Foster & the Long Shadowsの世界を知ったのは、昨年、人や集団から離れ、不安症、鬱などの呪縛からようやく抜け出した時だった。彼のアルバム『Windows In The Sky』は、Alexが父親を亡くした経験が中心となり、その現実と向き合う中で感じたことや気持ちが歌われている。そこには、嘆き、悲しみと怒りがあり、しかし、また希望、優しさと愛も感じられた。それはノイズとパッションの催眠的な大混乱のようだった。全ての音、全ての言葉、全ての旋律が、その目的を果たしていた。まるで、Phil Spectorが、Sonic YouthとSwansを指揮するかのように、ノイズの壁が押し寄せる中、その翼に乗って飛び立たせてくれる。
コロナによって、バンドは最近までツアーができずにいた。しかし、ようやく、この6人組カナディアンバンドが大西洋を渡ることができるようになったのだから、私がこの機会にダラムからグラスゴーへと向かうのは全くフェアだと思った。
グラスゴーに来たのは、これまで1度しかなかったが、友人のGillと一緒だったので、彼が街を案内してくれ、ライブ会場まで連れて行ってくれた。Broadcastは、レイアウトが通常とは異なるライブハウスだ。英国の暑い夏の日に、石造りの壁が涼しく感じられた。ステージは横幅よりも奥行きが深く、ミュージシャンにとってスペースを確保するのは、些か困難だ。ドラムキットのペアは、お互い前後に向き合う配置でないとフィットしなかった。そして、その前には、ダルシマー、キーボード、シンセ、アンプとおそらくエフェクターボードの形をしたNASAのコントロールルームの装置たち。
Sef Lemelinのアトモスフェリックなセットのあと(彼の奏でるビートとループが、ホラー映画の不吉なサウンドトラックを作り出しているかのようだった)、 The Long Shadowsのメンバーたちがステージに登場した。スモークマシーンの煙によって、照明は薄暗く始まり、Alexがオーディエンスの間を通り過ぎる中、バンドが演奏を始めた。彼は小柄な方かもしれないが、力強さを持っていて、ステージの端にあるMoogは、まるで教会の説教壇のようだ。曲が徐々に盛り上がり始めたとき、彼は自身のテノールギターを 手に取った。Alexの後ろには、バンドのドラマーの1人であるCharles “Moose” Allicieがいて、ダルシマーを叩き、Jeff Beaulieuは、鼓動のようなベースラインをループする。Miss Isabelはキーボードで膨らみあるテクスチャーを加え、時にクラリネットで強弱をつけていた。(彼女は、その後ライブが進むにつれてフルート、トランペットとパーカッションも使う)Alexの右にはSef(そう、この夜のオープニングアクトを務めたのと同じSef)が、ギターを揺らし、シンセの音を加えながら、その楽器から深淵なノイズを引き出す。しばらくして、Mooseがメインのドラムに身を置き、それを合図にBen Lemelinが彼のキットから、ステージのフロントへ移動し、さらなるギター音を加えた。
オーディエンスは部屋中に散らばっていた。ある1人の男は、シャツを脱ぎ捨て、裸足になり、踊り始めた。音楽に合わせて、身体をツイストし、激しく揺らしながら。彼はバンドメンバーではなく、私たち側の人間であり、この音楽の交流に完全に心を魅了されたオーディエンスの1人だ。のちに彼の名はPhilだと知った。私は帰る前、まるで家族かのように、彼とハグをした。
交流、交わりというのが、この夜を描写する完璧な言葉だろう。ただの音楽から、もう一歩先に踏み込んだものだ。それは催眠的で、海の引き波のように、心の深くへと連れて行く。ベースとドラムの音が絶えず打ち付ける中、まるで肺から空気を吸い込んでいるかのように感じる。層の厚いメロディーが体を包み込み、Alexの詩的な歌詞が入ることによって、一瞬その圧が弱まり、また再び襲ってくる前に、ひとときの希望を与えてくれる。
プレゼンテーションも音楽同様に催眠的だった。真っ白いストロボが赤いライトの中を点滅し、私たちに見えるのはメンバーのシルエット。それは、この夜の経験をより謎めいて、神秘的なものにした。照明の激しさは、インダストリアル・ジャイアントNine Inch Nailsと良い勝負だろう。唯一の希望は、パフォーマンスを通して、自分を有頂天にさせるものを掴もうとすることのみ。私は、目を閉じて、音楽の厚みと抑揚を感じた。そうして、目を開けると、落ち着きを取り戻す前、一瞬バランスを崩したかのように感じたものだ。
セットは6曲ほどだった。それだけかと思うかもしれないが、ライブは2時間ほど続いた。曲はより長く延長され、今その場で起きていることから描かれる。それを見ながら、思ったこと:元々の曲は、Alexがカオスを調整するためのフレームワークである、ということ。彼は、パフォーマンスに完全に身を浸すのだ。Killing JokeのJaz Colemanのように。
「Summertime Departures」では、Alexがフロアに降りてきて、オーディエンスとパフォーマーの間にある壁を崩した。私が気が付く前に、彼はテノールギターを私の首にかけ、それまで彼が使っていたスライドバーを手渡してきた。さらに彼は私をステージへと導き、私は他のバンドメンバーたちに混ざったのだ。Benが私の方に体を傾け、もっと弾くようにと励ましてきた。Alexはその一部始終を私の携帯のカメラで撮影していた。(彼が信頼できる人で良かった)数分、演奏したのち、楽曲は終わりを迎えた。ステージを離れて自分の場所に戻る前、私たちは温かいハグをした。これは全く予定されていなかったことだ。サウンドチェックの前に彼にインタビューしていた時も、こんな風になるなんて一言も言われなかった。私は、突然の招待とワイルドな楽曲によって、息切れした状態だった。
そのあとは「The Hunter」へと続き、14分のスタジオバージョンから更に成長したライヴバージョンは、ほぼその倍の長さになった。今回のセットの中心となる楽曲だ。そのクレッシェンドに、私たちは釘付けになり、息を飲んだ。Alexは最後の曲「Shadows of Our Evening Tides」で締めくくる前、嘆く心の痛みはあれど、人生はそれでも続いていくことを思い出させてくれたこの魅力的なツアーへの感謝の言葉を述べた。その締めくくりのコーダの間に、再びAlexはステージを離れて私たちの元へ来て、一人一人と温かいハグを交わした。パフォーマンスの間、全力を尽くした彼は自らの汗でびっしょりと濡れていた。曲が終わりを迎えるまでに、午後10時の終了時刻を20分ほど過ぎてしまったが、誰も気にしなかった。(おそらく、この後のクラブナイトの準備をしなければいかなかったスタッフを除いて)
私たちは熱いグラスゴーの夜をあとにした。私の心は今も興奮し、自分が何を体験したのか理解しようとしている。数年前、Nick Caveのライブを観に行った時は、全くスピリチュアルな経験だった。私にとって、今回のライブもそれと同じレベルだ。Alexは、楽曲にある激しい感情を、じっくりと自分の中で蒸留し、それをとても純粋なかたちでライブ演奏として披露してくれた。そう、そこにはアーティストとオーディエンスの交流、交わりがあったのだ。なぜなら、自分が何者であろうと、どんな人生を歩んでいようとも、愛と嘆きは全ての人に共通するものだからだ。私たちは違う言語を話すかもしれないし、または違う国で生まれ育ったかもしれないけれど、感情は世界共通であり、全てを超越する。「Shadows of Our Evening Tides」の中に使われているサンプルは、アレン・ギンズバーグのものであり、全てを完璧にまとめているだろう:
“The weight of the world is love.
Under the burden of solitude,
under the burden of dissatisfaction
the weight,
the weight we carry
is love”.
(世界の重さは愛である。
孤独を背負いながら
不平不満を背負いながら
重さ
我々が運ぶ重さは
愛である)
Alex Henry Foster & The Long Shadows –
https://www.facebook.com/alexhenryfosterofficial
Sef Lemelin –
https://www.facebook.com/SefLemelinofficial
SCOTT HAMILTON
2022年6月23日
https://www.facebook.com/alexhenryfosterofficial
Sef Lemelin –
https://www.facebook.com/SefLemelinofficial
SCOTT HAMILTON
2022年6月23日
Facebook
Twitter
WhatsApp