[Canadian Musician] 精神的疲労?! ないね。忙しすぎて疲れていられないよ。

掲載:Canadian Musician

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Canadian Musicianの最新号でOver The BridgeCatherine Harrisonの慎ましく感動的なページを読んだとき、次のコラムはツアーに出ることについてにしようかなと思っていた。それもありつつ、The StrumbellasのリードシンガーSimon Wardのインタビュー、そしてBlack Country, New RoadのIsaac Woodがバンドを脱退するニュースを読んで、僕自身の最近の心の状態についても話したいと思ったんだ。これは心の内側からの視点だよ…

パンデミックによって、みんなの生活がガラリと変わってから、もう2年経つなんて驚きだよ。あらゆるレベルで現実じゃないみたいだ。全てが始まったとき、僕はヨーロッパツアーから帰ってきたところだった…最初は2週間くらいだろうって思ってたんだ。そこまで気にかけていなかったし、しばらくしたら無くなるだろうと思っていたものにエネルギーを割く気にもならなかった。父を亡くしたあと、診断未確定の鬱状態に気がつき、それによって10年間務めたYour Favorite Enemiesのリーダーとしての役割に休みを入れ、僕はソロとしての旅路を始めようとしていた時だったんだ。僕のアルバム『Windows in the Sky』が世界中から高評価を受け、2年先までツアーが決まり、東京オリンピックで演奏する話も持ち上がっていた…僕はようやく延々と続くコーナーを曲り終えたように感じたよ。気分良く感じた。けれど、2週間が数ヶ月になり、数ヶ月が最初のツアーの延期を招き、次のも延期になり、その次もと続いていった…けど、僕は走り続けたんだ。DIYスタイルさ。ライブ配信がトレンドになる前から配信シリーズを開催して、このサーカスを動かし続けた。ツアーから帰ってきたばかりだったから、数週間バンドやクルー達と一緒に隔離生活していたのを利用しただけでなく、みんな僕のスタジオにステイしていたから、普段のハイスピード・モーションを維持できたんだ。それと同時に、レーベルのコラボレーターたちをサポートして、新しいプロジェクトもリリースしながらね。何が立ちはだかろうとも、全ては前に進むことについてだった。この危機の中でも結果を残すことに誇りを持ち、パンデミックがどれだけ長く続こうとも、そうすることに献身していた。僕は最前線にいなきゃいけない。また世界が開いたとき、全てのシステムが準備万端であるように…そう信じていたんだ。

僕は互いの距離が近いタイトなコミュニティで暮らしてきて、ここ数年で様々なことを経験した:失恋、裏切り、離婚、親の死…そう、人生ってやつさ。でも、僕が直面する準備ができていなかったのは、最初のコロナのフェーズで自分の人生を断つ友人たちが増えたこと、そして、別の職業で再出発をしようと決意した長年のビジネスパートナーたちが多くいたことだった。いつもなら近しい関係の間に、気がかりなことが増えていき、緊張が生まれた。古くからの知人たちは急に過激になり、いかなる形の暴力をも非難した僕のポジションに関して、今や”世界的洗脳マシーン”として働くようなものへと突然、背を向けたんだ。自分の築いてきたものが全て脆く感じたけど、僕は走り続けた。警告のサイン、赤信号なんか気にしなかった。1杯のアルコールは2杯になった。金曜日の集まりは、毎日の予定になった。そして、僕が完全にハマっていた危険な道について誰かが話そうとしたり、以前の僕と全く違うと伝えようとする度に、僕はこう返していた:”大丈夫だよ、心配しないで。ちょっと疲れてるだけ。それだけさ”。

僕はその見せかけを育て続けた。特に、速いペースを維持するための様々な理由があり、必死でスピードアップする理由を説明するために、予め自分の中に用意していた言い訳があったからね。”この完璧な嵐の中を僕が導いてくれると、みんな信じてくれている”というのが、その一つさ。”僕は前へ進み、早く、より遠くへ行かなきゃいけない。それが僕であり、これまでそうやって来たんだ”というのが、また別の理由だった。僕が止まらないであろうことは、みんなが知っていた。”スローダウン”の意味すら分からない僕だ。僕にはヴィジョンがあった。堅い意志があった。目的があった。僕にとっては、いつだってフルスロットルか、何もしないか、だったんだ。

そうして、近しい友人から、精神疲労による虚脱感の症状が出ていると言われた。僕は笑ったよ…けど、すぐに恐ろしくなった。ちょっと待って…関わっている様々な事業はどうなる?虚脱感とか精神疲労になってる時間なんかない。僕には完成させたいアルバムがある。著書もまだ半分だ。映画のスコアも予定してる。管理しないといけないレーベルがあり、運営すべきスタジオがあり、グッズ制作&販売の会社に、来春オープンしたいと思っていたレコードプレス工場もある。だから、僕はストレスが溜まり、疲れてるんだ。それがアーティスト兼実業家の現実じゃないのか?誰も助けには来てくれない。僕は虚脱感なんか感じてない。仕事に関して心配するのは当たり前だし、それが疲労に繋がるのも当然のことだ。少なくとも、僕が決めた仕事のやり方や管理方法を考えればね。僕に近い友人たちは理解してくれるはず。そうだろう…?それに加え、いかなる潜在的なチャンスも逃すことはできない。もしも、今”NO”と言ったら、2度目はないかもしれない。もしも僕の準備ができていなかったら、誰かが僕の場所を奪うだろう。止まるなんてもってのほか、スローダウンすらできない。そんなのはバカバカしいだろう?だってさ…これはエンタメビジネスの本質と規則に基づいた明白な事実でしかない。というか、そうなのか?

頭の中では筋が通っていたけれど、その後、すぐにより深刻な現実に直面することになった。僕の健康状態が悪化していったんだ。ここ数年、悩まされているビタミンD欠乏症に加え、背中、首の痛みや、歯と顎の問題、深刻な頭痛に、耳鳴り…その全てが体の右半分に起きていた。でも気にしなかった。既に鼻腔の癌の手術をした直後に中国に行ってツアーをした経験がある。それより酷いものはないだろう。目眩がして、バランスを崩したり、視界がぼやけたり、寝つきも悪くなり、エネルギー不足や不安を感じるようになっていった…けど、僕はそれでも走り続け、たくさんのプロジェクトをリリースし、より多くのビジネスチャンスを得た。昨年の10月、僕はUKとヨーロッパをツアーする最初のカナダ人アーティストの1人にもなったよ。世界が一瞬だけ再び開いたとき、僕は確かに最前線にいた。どれだけの犠牲を払おうと、疲労は一時的でしかない。僕はクレイジーなネズミのレースに勝ち、待機ゲームから脱出したんだ。

オミクロンが新たに出てくるなんて想像していなかったし、そのせいで再び世界が混乱すると思っていなかった。せっかく得たチャンスはキャンセルとなり、リリースは延期された。より多くの友人たちが命を断つのでは、という恐れと対処しなければいけなくなった。そして、そうやって、僕は崩れ落ちていったんだ。身体が悲鳴を上げるサインは既にあったけど、そのあとに襲ってきた精神分裂は更に厄介だったよ。感情の衰弱と向き合わなきゃいけなかったからね。わりと深刻だったんだけど、それでもしばらく、いつものように走り続けたんだ…健康状態がそうさせてくれなくなるまで。虚脱感、一時的な鬱症状、精神疲労…それはまるで他人の問題のようで、僕のものではないように聞こえた。そんな風になるはずがないだろう?僕はずっとニューヨーカーたちのように生きてきたんだ。無駄にする時間なんかない。そんなナンセンスに費やせるほど暇じゃない。びっしり詰まった僕のスケジュールは頭痛や目眩が止むまで待ってなんてくれない – 少なくとも、そう自分を説得したかった。ベッドから起きれなくなるまでね。それが決め手だったんだ。もう、僕が休みを取りたいか、取りたくないかではなかった。僕は完全に壊れてしまっていたんだ…自力では治せないほどに。

そんな状態にまで到達してしまったことを自分で受け入れるのは難しかった。そんなことないと否定し、イライラして、腹を立てていた。そんな気持ちを手放さなければいけなかった。未来のことを考える余裕はなく、その日その日を、悲しみや痛みや失敗したという深い感覚と戦わなければいけなくなった。そんな日々は、やがて数週間となった。そして、自分の状態を直視するのを拒みながら、その中でできる最善の選択をした。僕は徐々に何かを”すること”から(自分自身に)“なること”へと変えていったんだ。心と体の休息の期間に、僕は音楽とアートに対して持っていた情熱と再び繋がった。しばらく話していなかった人たちとメールで会話をした。オンラインのサポートグループに入り、直筆の手紙を書き、ポストカードを送った。僕は精神疲労についてや、傷つくことについてのブログをいくつか書いた。それをするのに随分と長い時間がかかったように思うけど、小さなステップ一つ一つが回復(心の問題にそう言える状態が存在するなら)に向けた大きな一歩となったんだ。自分の健康維持が何よりも大切なプロジェクトとなった。それはゆっくりだったけれど、安定していた。最もチャレンジだった要素は、自分の心と感情の再興にならないオファーを断ることについて、心穏やかでいることだった。それはチャンスを逃すという恐れについてではなく、他の何よりも、幸せでいるために自分自身を選ぶことについてだった。その努力は今でも続いているよ…

僕のストーリーを共有したかったのは、僕だけがこの2年間を乗り切ったと思っているからではなく、僕のように、自分自身のプロセスに深くはまっているからこそ、健康についての視点を失くしてしまっているかもしれない、または人生で一番大切なものへの視点を失ってしまっているかもしれない人たちに別の考えを与えたいと思ったから。自分の限界を認めるには勇気がいると言った友人がいた。エンジンのダッシュボードが警告の光で点滅しているときに、それでも進み続けるには盲目のプライドが必要なんだろうと思う。常に自分に掛けるのに慣れているとき、それを受け入れることも、また難しいんだよね。少なくとも、自分の限界を受け入れることは、難しいと感じたよ。もしかしたら、僕らがとても競争率の高いセクターにいるからかもしれない。僕らはとても楽しい仕事に就いていると思われることが多いからこそ(それは時に正しいと思う)、ギターを弾いたり、作詞して疲労困憊になるはずがないと思われている…でもそれは僕らを排斥し、何がなんでも進み続けるべきだという完璧な言い訳を与えてしまっている。

そして、たとえ自分の中で理由があり、従うべき模範があり、プロとしての義務があり、気にかけて大切にすべき愛する人たちがいるとしても、膝をつくことは弱いということじゃないし、恥ずべきことでもない。その反対に、友人や、ファン、ビジネスパートナーや、家族や大切な人たちにとって、最も大事なものである”僕ら自身”の世話をすることと同義語なんだ。だから、どうか、もしも必要ならためらわずに助けを求めて。必要なら休みをとって。スローダウンするように懇願する心の声を聞いて。正しい選択をするのに遅すぎることはない。たとえ、僕のように、虚脱感や精神疲労になってる暇なんかなくても…

もしも、助けが必要な場合はここへ:
よりそいホットライン
http://www.since2011.net/yorisoi/
電話:0120-279-338
電話:0120-279-226(岩手県、宮城県、福島県)

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