アメリカツアー2024 [ワシントンDC]

午前8時頃にシカゴを出た。あんまり寝ていないけど、みんな元気だった。こういう短くて、けど移動が多くてヘビーなツアーでは、たいてい自分たちの機嫌を試すような感じなんだけど、これまで僕らの間に漂っている喜びと熱気に感銘を受けているよ。安ホテルとそこでの不思議な朝食(としか言いようがない)は、この経験に面白いものを与えてくれた。というのも、僕らのドイツ人の友人たちは、毎朝自分たちがどんな加工食品を食べているのか理解しようとしていたから。すごく面白いんだ!一番最高なのは、ケリムが朝食のバッフェの隣に、ガンや動脈、大腸の損傷の可能性について書かれた注意書きを見つけたとき。「待って、もし知っているのなら、どうしてそんな悪い知らせのカクテルを客に出すの?」ー「おいしいからだよ、ブラザー!」ベンはベーコンのようなものにかぶりつきながら答えた。みんな大笑いしたよ。そうそう、みんな毎日の宿泊施設についてはかなり冷静なんだ。毎朝みんなで自己採点のポイントを比べあったよ…モロッコにあるラ・メゾン・ド・タンジェのような高級ブティックにはほど遠いとだけ言っておこう!

道中は少し面白くなかった。ほとんど睡眠をとらずに何時間も車の中で過ごしたせいで、僕らのほとんどに肉体的な負担がかかり始めていた。腰痛に悩まされ、オークランドからコロンバスまでの気温差は激しく、僕らのファンキーな装備に風邪と頭痛をもたらした。だから今日は何よりも省エネモードで、少しでも睡眠をとろうとしたんだ。旅のこの時点で休息をとることは、僕たち自身が高い情熱を持ってボストンに向かうための重要な要素だ。そうでなければ、淀んだ、魂の抜けた、音と言葉の自動的な展示になり、大した意味を持たなくなってしまう。僕らが皆と分かち合いたい精神が、毎晩、みんなとの交流の瞬間により高く高揚し続けるかどうかは、みんなの責任なんだ。

僕らは皆、会場のある地区がいかに漂白され、高級化されているかに驚いた。誤解しないでほしいんだけど、エレベーターや予約制の駐車場、手伝いに来てくれたステージハンド(ステージの組立などをする人)が気に入らなかったわけじゃないよ。僕はDischord Recordsのコミュニティー価値観や、ワシントンDC発祥のストレート・エッジやハードコアDIYの精神に影響を受けて育ったから、高級レストランや高価なアラカルト・メニューに囲まれた素敵で清潔な港は、僕の個人的な基盤であるその世界とはかなり対照的だった。繰り返しになるけど、別にオイスター・バーが嫌いなわけじゃないし、自家製サンドイッチは何があっても同じように感謝して食べる。そうでなければ、本当にがっかりするからね。でも僕は、誰もが同じように見える企業タイプのイベントは好きじゃないし、ましてやそのエンターテイメント・プログラムの一部であることもない。

部屋に入り、会場のチームに会ったとき、僕の心配は一気に消えた。僕は「人生はこの中にある」と自分に言い聞かせ、この美しい場所が、そうでなければ幻想的なバブルの真ん中に立つ、共同体の収穫者の道標として見えた。僕にとって、会場のスタッフは、自分の心と芸術を分かち合う特権を持つ場所の本質を定義するものであり、人々が親しみやすく、オープンで、好奇心が旺盛で、寛大に人間的であるたびに、特別な夜になることがわかる。これまでのところ、僕らの旅で訪れたすべての場所は、その点で信じられないくらい素晴らしい場所だった。だから、サウンドチェックが短時間で終わるとわかっていたとしても、別の状況であれば結局そうしていただろうから、特に気にしなかった。到着してから知り合った人たちとの会話は、僕の心の準備を満開にするのに十分だった。本番の時間までに管理しなきゃいけなかった細部も、その精神を大きく決定づけることになった。控え室をプロダクション・ケースに設置しなければならなかったり、地下駐車場のおみくじテーブルで車の合間に食事をしたり、ゴミ箱に近い「空き」スペースで発声練習をしたり。「リアルが欲しかったんだ」と僕は自嘲気味に笑った。これ以上のリアルはない!Your Favorite Enemiesの初期の頃を思い出すよ。ノスタルジックになるためにゴミ箱の近くにいる必要はないけれど、物事を前向きにとらえることができる。どんな状況に対処しなければならないとしても、感謝できるだろうか?僕は今、そう言えることを嬉しく思う。環境はもう僕を定義しないし、こんな僕を見たらどう思われるかも恐れない。DCはビジョンと夢の場所だというジェフのコンサート前の話は、僕の中で同じように共鳴した。
コンサートは特に心温まるものだったよ。僕の声はパワフルでピタッと決まっていたと思うし、自分の声を自由自在にできる感覚があったんだ。ステージ上で自分の声に制限を感じるのは本当にイライラすることなんだ。ただ自分が浸りたい感情や感覚を声で伝えたいだけなのに。オーディエンスのインタラクションといえば、最初の2曲(20分のイントロダクション)のあとの瞬間の反応を見るのが好きなんだけど、毎晩違っていてユニークで特別なんだ。だから、もしも僕が言うべきことが、ただの繰り返しなら、オーディエンスが求めている繋がりを見逃してしまうだろう。今夜は特に面白かったよ。僕らのクリエイティブな世界へと解放する前、観客がどれだけ驚き、茫然としていたかを感じたからね。何マイルも離れたところから偽物を嗅ぎ分けることができるオーディエンスが好きだよ。そのおかげで交流が危険なほど充実する。だから僕は、唖然とする観客の前で、僕らが何者であるかを紹介しながら、彼らと一緒に優しく笑ったのさ。その昔、Your Favorite Enemiesのフロントを務めていた頃、コンサート会場が熱狂的なファンで満員になっていたときでさえ、僕はそういう即興的で準備のない交流に怯えたものだった。拒絶されることへの恐れ、十分でないことへの恐れ、失望させることへの恐れなど、恐怖がどれほどのものを奪うものかを理解するのは恐ろしいことだよ。それがすべて頭の中にあるのなら、代償を払うのは心なのさ。これ以上、自らに課した不幸を生きるつもりはないよ!

僕らは「The Hunter」を演奏し始めた。曲が始まって2分もしないうちに、僕らがみんな友人や家族になっていたのは明らかだった。みんな手拍子のパートに参加し、”クラッパー”(手拍子する人たち)への僕のコメントに笑い、そこから激しくて解放的なフィナーレと導かれ、“My body is broken, my body is broken”(肉体はボロボロだ)と繰り返す僕の叫びのあと、“But my spirit’s free”(でも心は自由だ)で締めくくる。それは今日1日をまとめていたように思うよ。人と積み上げた繋がりを枠として、バンドの新しいマントラ:自由、という状態を表現できた!!!

そして、その夜は、数ヶ月前にタンジェのホテルで出会い、家族や友人たちと結婚式のお祝いをした友人たちとの会話で終えた。ステージでの僕らの豹変ぶりにだいぶ驚いていたようだったよ。「アレックス、あれは何?!いつも本を持ち歩いて、柔らかに話す物静かな人だと思ってたけど、ステージじゃ野獣のようじゃないか…なんてこった!」ってね。僕らは笑いが止まらなかった。お互い再会できたことが嬉しかったんだ。タンジェはそれくらい影響力があって、向こうで繋がった人たちとは忘れがたいものを得る。彼らとは特にそうだよ。ジェフと僕が彼らについて長いブログを書いたことに、とても感動していたからね。素晴らしい人たちだ。ライブ後に物販テーブルに来て、僕に話しかけに来てくれた人たちもそうさ。そして、フライヤーを配っていたバンドメンバーたちが受けた励みとなる言葉にもとても温かいものを感じた。
僕らは荷物をまとめ、会場の素晴らしいスタッフ全員にお礼を言い、夜のホテルへと車を走らせた: レッド・ルーフ・プラス+(正直なところ、この名前には考えさせられた)。他の宿泊客の叫び声に邪魔され、朝5時に大音量で延々とドアを叩かれ、シミだらけのベッドシーツ、カビの生えたペーパーフィルターの入ったコーヒーメーカー、シャワーの排水溝をふさぐ髪の毛など、ひどい睡眠不足の一夜を過ごした後、彼らが約束していた「プラス+」の体験とは何だったのだろうと思ったよ!そりゃあ、僕はリアルを求めていたさ。でも、同時に眠りたかったんだ!

逸話: 今夜、会場から温かい家庭料理が提供されたのは、僕らにとっては贅沢なことで、すごく嬉しかった!みんなそれぞれ大好きなピザを食べたんだけど、僕はショーの後にしか食べないから、ステージを降りた後、自分の食事がどこにあるんだろうかと思ったんだ。周りのみんなに聞いてみたけど、誰も知らなかった。でも、セフがこっちを見ていないのが不思議だった。セフは、僕のピザと、大きな箱のフライドポテト、チキンウィングなど、自分の食事の一部だと思っていたのに、僕のを食べてしまって申し訳ないと言いながら、サンドイッチを持ってきてくれた。僕の不愉快そうな表情を見てセフは、ピザはジャンクフードで心臓に良くないから、サンドイッチの方がずっと健康に良いよ、と言った。それは本当だ。僕は本当のことが好きだけど、それでもピザが好きだ!