ALEX HENRY FOSTER 新作映画『Voyage à la mer』を予告する 「A Vessel Astray 」のムーディーなミュージックビデオを公開

この曲は、カナダ出身のポストロック・コンポーザーが、日本のヴォーカリスト、MOMOKA TOBARIと今年初めにリリースしたコラボレーション・アルバム『Kimiyo』に収録されている。

文: MIKE LESUER
2024年6月3日

この記事はFLOOD MAGAZINEに掲載された記事の長文バージョンです。

原文はこちらから

モントリオールを拠点に活動するアーティストAlex Henry Fosterは、今年の初めにヴォーカリストMomoka Tobariとのコラボレーションとしてアルバムをリリースしたとき、それは始まりに過ぎなかった。このポストロック・コンポーザーは、2024年が終わる前に、もう1枚のスタジオ・アルバムとライブ・パフォーマンスをリリースすることをほのめかしているが、彼の次のプロジェクトは、フォスターと彼のコラボレーターであるTobariの両者が出演する、秋に公開予定の新作映画『Voyage à la Mer』のプロモーションのようだ。そして彼は今日、アルバム『Kimiyo』の収録曲「A Vessel Astray」のミュージック・ビデオを公開し、8分に及ぶ楽曲のムードにマッチするよう、近日公開の映画から引用した瞑想的なビジュアルを使用した。

あなたの作品は内省的な歌詞と引き込まれるようなメロディーがブレンドされています。ソングライティングへのアプローチはどういったものですか?また、どのように様々な要素のバランスをとっていますか?

僕のアプローチは大抵、熟考によって進んでいく。目に見えないものや、触れられない領域に浸って考えるって言っても良いかな。最初にイメージが浮かんで、そこからプロジェクかアルバムのタイトルが生まれ、その後に曲のタイトルやチャプターの名前を決めていく。曲は、その誕生の閃きとなったものについて考える中で、徐々に形になっていく。映像が発展していき、シネマトグラフィ的な実態となっていくんだ。テーマは徐々にそのアウトラインを見せ始め、言葉を紐解いていく。言葉を歌詞、スクリプト、詩として集めたあと、作品自体が確かなものとなり、曲や、モーションピクチャー、色と形のコラージュへと開花していくんだ。最も大きなチャレンジは、自分の野心を取り除くこと。そうして、オーガニックなプロセスが、コントロールを欲する自分や、失敗を恐れる気持ちを超えて、成長していける。僕のプロジェクトのどれも、発展し続け、変化し続け、全く新しい形へと変容していくことができるんだ。バランスはあまり必要だと思っていないかな。あまり考えていないや。そこに”終わり”とか、”完成”とか、”絶対的”という概念はないんだ。だからこそ、2つのコンサートが同じものになることはないし、似たような曲が生まれることもない。僕の状態に関わらず、その流れは続いていくんだ。

このビデオはこれから公開される映画『Voyage à la Mer』からの抜粋だそうですね。このミュージックビデオに使おうと思ったパートをどのように決めましたか?

僕は大のコラージュ、カットアップ、スーパーポジションなどのファンなんだ。特に、ヴィジュアルアートに関してはね。シネマはその点において、特に楽しいよ。『Voyage à la Mer』では、ヴィジュアルで2つの異なる時間軸を表現したかったんだ。僕の映像はほぼ15年前。もはや自分のものではない物語の中心的なキャラクターだけれど、それはMomokaによって演じられたキャラクターの視点で語られている。自分ではない誰かの目を通して曝け出されるというパラドックスが好きだったんだ。2023年の10月に日本で、Momokaの感情を捉えながら、自らがカメラの裏側にいた。まるで、死後の世界を疑似体験しているかのような。どちらの現実も存在し、無常の中で衝突する。けれど、永遠なんだ。水の流れのように。それが交わって、3つ目の視点を生み、それが全てを見通すような究極的な目なんだ。みんなの個人的で親密な解釈が、何百万もの探索する魂の物語となって、けれど、一つのユニークな映像の夢が、それぞれの物語と共に発展し、全く異なる一つの映画となるのさ…

『Voyage à la Mer』は、どのように『Kimiyo』や今後のリリースを補足しますか?

論理的に考えれば、ほとんどのクリエイターは、リスナーに音楽を支える具体的な視覚的風景を提供し、歌詞の内容に共感できる主人公を与えるために、映画から旅を始めることを強いられたり、その方が良いと助言されたりしただろう。僕は、全く同じ理由から正反対のことを選んだ。ほとんどの人が理解できない言語の中に身を置き、リスナー自身でイメージを作り、自分で物語を定義し、感情の旅の中心にいてほしかったんだ。Alex HenryやMomokaの話ではなく、彼ら自身について。この映画は、そういったみんなの経験を他の誰かの解釈と重ね合わせ、その無限の性質によって定義される感情の構成要素についての見解を広げ、その中で成長できるだけその感情が本物であるか、もしくは、より大きく広がって、経験を集め、それを他の人たちの心の中で成長させるのか、という招待なんだよ。だからこそ『Voyage à la Mer 』は、リリースのシークエンスが大事なのさ。
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