この曲の最初の歌詞を書く前から、曲のタイトルは頭にあったんだ。「Lavender Sky」(ラベンダー色の空)は、タンジェ滞在中の夕方に毎日見ることができた紫とピンクが混じり合う美しい空を僕なりに描写したもの。あの空は何となく、父を自由にしてあげるための招待だった。父の死を受け入れ、ようやく悼むことができ、過去の経験と和解し、僕が信じた嘘がどれだけ複雑であろうと、自分や周りの愛する人たちを染めていた深い悲しみを認めない限り、自分の人生で前に進むことはできないって受け入れることができた。それが、この歌詞の始まりだったんだ。「受け入れること」について。
でも、プロダクションを始めてすぐ、最初に書いた歌詞がどこか遠くに感じたんだ。そこにあった感情がどう、というわけではなくて、その言葉にある意味に対しての僕のアプローチが少し違うと感じた。だから、しばらく、この曲は端に置いておいたんだ。言葉やプロダクションを無理に進めたくなかった。たとえ、オリジナルの歌詞を特に気に入っていたとしてもね。けど、”このいい感じの言葉が、いい感じの曲になるように、いい感じの方法を見つけよう”っていう作詞セッションをするくらいだったら、インストゥルメンタルの曲にするか、楽曲をアルバムに入れない方向でやったほうがマシだ。
その数週間後、アルバムトラックのファイナルミックスを準備していた時に、ようやく歌詞を書き直し始めた。今度はよりダイナミックなアプローチで。言葉にこだわるんじゃなくて、その意味と意図にフォーカスを置くことにしたんだ。そうして、その後1時間もしないうちにヴォーカルトラックのレコーディングをした。その新しい閃きは、恐れを認めることと、その意味合いを隠すためなら何でもするという心理。そして、僕はより大きな視点にフォーカスを当てた。自分が何をしようと、何を信じようと、根なし草のような個人になる感覚について…”見知らぬ人から、また別の人へ”…それが曲の中心になったんだ。そして、一言一言を吟味して選ぶよりも、シンプルな言葉からの方が、感情を感じることができた。
だから「Lavender Sky」の歌詞は”動き”となったんだ。引き金が引かれたところから、どんどん早く過ぎていく人生、あとどれくらい残っているのか分からない時間は、さらに早いペースで逆戻りし、科学を、宗教を、権力を、コントロールを受け入れ、未知への恐れに挑むために利用できる全てを受け入れる…最も意思の固い否定、または最も誠実な祈りが、お互いの本質に反発し続けるために、日々と季節に追いつくよう、夜を説得する。けれど、受け入れることは負けることではないし、真実が信頼に値するものとも限らない。
今にして思えば、とても悲観的な曲に聞こえるかもしれない。世界を廃れた目で見て、不信仰を乱暴に自認するかのような…でも、正直でいることが皮肉でも苦痛でもないとき、「Lavender Sky」は僕らが知らないことやコントロールできない物事を受け入れることだと思ってる。自分の恐れを認めることが、本当の自分になることであり、僕らが焦がれる空と同じように、人間のままでいさせてくれるんだ…見知らぬ他人から、別の人へ。
– Alex