再訪問と再確認

昨夜、僕はメキシコに到着した。ここは僕にとって、この数年でとても重要になった場所だ。時々ここを訪れて、自分がどんな旅をしているのか考えたり、年月を経てどのように変化してきたのかを振り返ったり、今の自分自身を確かにする瞬間の意義をしっかりと掴むために、物思いにふけるのが好きでね。そして、過去に経験した状況から成長し、それを乗り越えたことを考えるのも好きなんだ。それは改めて「人生」に感謝し続けるための方法でもあり、自分自身の奥深くに入り込み、直感を信じることの重要性を自分に思い出させ、進むことと同時に手放すことを心に留め、心と頭を整えることで何度も脱皮を許容する方法でもある。だから、こういう日常から離れた時間 — それが意義のある個人的な出来事を振り返ることであったり、自ら与えた制限を広げるために取った決定を再確認することであったり、”明日”のために自分が何を望むかを設計することであったり — は、僕にとって、とても重要なんだ。
初めてここに来たのは、10年前、父親が亡くなったあとだった。父が亡くなってから数年は、自分の中でそれに触れないように過ごしてきていたけれど、この初めての旅は僕にとって重大なものになったよ。何故なら、僕は自分が住んでいるコミュニティで幸せではないと自覚し始め、自分がバンドYour Favorite Enemiesに囚われていると感じ、どこかで刷新を、あるいは何か別のものを望み始めていた時だったから。僕はそんな考えを自分のものにすることを許さず、それらが自由に彷徨って心に届くことを深く恐れていた。それは僕にとって暗い時期だったよ。解決できない状況に対する解決策を良く考えるようになった。ここに来ることで、何とか平穏を得たんだ。慰めを与え、もはや見つける希望がなかった感情のバランスを感じさせてくれた。ある時は、老婦人が僕のことを心配して近づいてきたこともあった。僕があまりにも悲しそうで孤独そうだったため、見過ごすことはできなかったんだ。僕は朝から夜遅くまで、海を見つめながら — 今でもよくやるように — 答えを探したり、より大きな満足感、目的を見つけようとしていた。
2回目にここに来た時も重要な時期だった。それは7年前で、ジェフと一緒に来たんだ。当時僕はタンジェに住んでいて、Your Favorite Enemiesを休止していたときだ。自分の人生の次の章がどんな風になるだろうかと予想していた。そして、全てが同じ場所から始まったことを思い出したんだ。そこから小さな意識の種が育っていった。全ての進みがこの内省の流れから始まった。僕はある事柄を再確認したくて、だから、2度目の機会にここに戻ってきたんだ。もっと見るべきものはあるだろうか?もっと感じるべきものは?見極めるべきものは…?それは実際、たくさんあったよ。その時にJeffに伝えたんだ。僕には具体的なものが必要だってね。こういう未来にしたいとか、ヴィジョンを明るいものに見せるのに疲れたと。まるで、それが自分にとって本物かのように。そして、今でもそうだ。それは”今”に根付くものでないといけないと信じてる。Jeffはそんな風に話す僕を見たことがなかった。だって、これまでの旅のほとんどが、目に見えないものへの信仰に定義されていたから。けれど、ここでは、自分の目ではっきりと見る必要があると伝えていたんだ。僕は一般的に言う、夢想家であったことはない。僕はヴィジョンを育てるんだ。だから、それが衝撃的であったのと同じくらい、僕らしくない発言だったのさ。
この会話が、今僕らが経験して、交流しているものの要の一部となったよ。僕はタンジェにスタジオを設置して作品に取り組み、Your Favorite Enemiesのバンドメンバーたちを呼んで、僕らの違いが解決できるか、長く失われた友情が蘇るか掛けてみたんだ。今でも僕らが一緒にいることが、その全ての証となっているよね。同僚ではなく、友人。僕は一人で住む自分の場所も欲しかった。はじめ素晴らしいコミュニティだったものは、ろくでなしになっていた。甘い蜜だけを吸って他人の努力を利用するような人間は去っていったか、追い出され、最近になって共同で生きる真髄が戻ってきたんだ。それによって、またファミリーの一因だと感じられるようになった。そのプロセスにおいてヴァージニアの家を見つけたのさ。芸術的な側面において自由が必要だった。探究して、発見して、視野を広げられる空間が必要だったんだ。僕はクリエイティビティの標準化や大衆を喜ばせるために設計され、組み立てられた製品にうんざりしていた。それは世界的な商業化と大量消費を支持するものだ。Your Favorite Enemiesの世界を否定することは決してないけれど、僕が最終的に嫌いになったのは、内部でそうなっていったものだ。ジェフに言ったことを覚えているよ。「数字で塗るのなんて、くそくらえ!もうそれには飽きた!僕は異なる色に染められたい。形を再定義し、自分の内に生きているものと繋がりたい。フォーマットされた美学なんか求めていないんだ。自分が設定した構造を壊して、限界に挑戦し、新たに始めたい」ってね。そして、それは今僕らが体験していることなんだ…。

ここに戻ってきたのは、過去数週間のアルバム制作で経験したことと深く関係がある。それを否定するのは大きな後退に感じたよ。フォーマット、構造、時間的制約、できるだけ早くすべてを行うことについてあまりにもたくさん聞いてきた。だから、振り返ってみると、これは完全にYFEだったんだ。その結果が誠実で意味深いものだったら、アルバムのアイデンティティのためにそのプロセスを続けていただろう。けれど今、僕はそれが全くそうではなかったことに気づいたんだ。自分たちが誰であり、何をしているかを拡大することはなかった…それは別の誰かのアルバムだった。だから、僕の実際の旅の中心は、アルバムの真のアイデンティティ、意味、目的と再び繋がることだ。それは、僕が重視している要素に焦点を当てる一方で、魂や僕自身とは何の関係もない要素に没頭すること…そもそも、その楽曲を何故アルバムの旅路に加えたかったかを理解するために、僕らが作ったオリジナルのデモを聞くこと。それと、制作プロセスについて自分が何を望んでいるか、どのように行いたいか、そして誰と一緒に行いたいかを決めるためでもあるんだ。僕らがすでに達成したすべてを捨てるのは狂気だと言う人もいるかもしれないし、この時点で自分自身に賭けるのは大胆だと言う人もいるかもしれない…もしかしたら、そうだし…そうではないかもしれない。

2017年に2度目の旅をしたことで思い出したことがあるなら、それは、自分が自分であることで間違っていることはないということ… それは決してないんだ。僕の焦点はRadioheadやSwans、または他の好きなバンドみたいになることではない。それは僕自身である勇気を持ち、それが「大丈夫」であるだけでなく、僕の芸術が「これだ」というものである唯一の方法であるという確信に従って行動すること。僕はすでに重要なラジオ番組で放送され、主要な賞にノミネートされ、9万人の観衆の前で演奏する、などといった経験をしてきた。興味深いことに、心と魂に従うことにして以来、僕は自分の命を絶つことを考えたことがない。本能的な直感を完全に麻痺させ…否定に消えていくには、どれだけのお金や成功が必要だろうか..? それが一部の人々には機能すると思う。僕にとってもそうなら、とても簡単だったろうけど、そうじゃなかった。だから、僕は僕でいることを選ぶ… それだけで既に勝利だ!!!