[Rock On Purpose] Standing Under Bright Lights: A Conversation with Alex Henry Foster

掲載:Rock On Purpose

原文はこちらから

時々、曲が含む範囲を超えて、何かより大きなもの – 人であるとはどういう意味か – を捉えたプロジェクトがリリースされることがある。『Standing Under Bright Lights』は、そんなプロジェクトの一つだった。

このアルバムは、10年間ロックバンドYour Favorite Enemiesのフロントマンを務めたアーティストAlex Henry Fosterの独創的な考えによって生まれたものだ。自身の魂を探る個人的な旅は、彼に人であるとは何か、そして究極的にミュージシャンであることの意味について、新しい視点を与えることとなった。その結果がアルバム『Windows in the Sky』だ。それは、彼がライブで演奏した時に大きく成長したアルバムである。やがて、このライブ演奏は彼の最新作『Standing Under Bright Lights』としてリリースされた。

このプロジェクトについて、また彼の人生史や多くの人たちの人生の中で、この曲たちがどのようにして編み込まれていったのか、Alexと話ができて、私は非常に光栄に思う。その結果は、ミュージシャンであることの意味、人であることの意味へと深くダイブするものであった。

アルバム『Windows in the Sky』についての背景について少し教えて下さい。楽曲やアルバム自体、またあなたのお父様やご家族との経験から、どのようにして完成したのでしょうか。このアルバムを作った時の心境などを教えていただけますか?

この作品の前に、10年ほどYour Favorite Enemiesというオルタナティブロック・バンドのフロントマンをしていた。僕らはワールドツアーもしたし、アルバムもリリースして、アワードにノミネートされたりしていたんだ。けれど、その旅路の最後の方で、僕の父が他界した。とても変な状況だったよ。というのも、ただ日々をやり過ごすことで対処しようとしていたからね。あんまり何も感じられなかったんだ。

父が亡くなった4日後に、僕はステージに立っていた。9万人もの前で、台湾のフェスティバルのヘッドライナーを務めていたんだよ。色々なレベルで、奇妙な感じで、間違っていると感じた。でも、その後、数年間そうやって続けたんだ。まるで何もなかったかのように、まるで自分の人生について、信仰について、全てについて自問自答なんてしていないフリをした。

ある時ついに、どん底まで落ちてしまったから、自分一人の時間をとることにした。僕らはバンドとして、ずっとみんなで一緒に共同生活をして、コミュニティの中で生活してきたんだ。だから、自分一人の時間をとるのは変な感じだったけど、必要な時間だった。

僕は北アフリカに位置するモロッコはタンジェへ向かった。最初は数週間だけの滞在だったのが、すぐさま数ヶ月になって、結果としてトータルで2年間タンジェで過ごしたんだ。徐々に自分の心を立て直して、ずっと奥底にあったけど、向き合うのを避けていたことと、ようやく対処することができたんだ。僕は人として成長するために、自分の気持ちと向き合う必要があった。バンドやコミュニティの中で、なんとかやっていけるっていうだけじゃなくて、というのも、それは簡単なんだよ、システムが上手くいくように、自分のパートだけちゃんとやれば良いって感じで。でも、自分の人生のステージの真ん中に立つ時、ずっとついて離れない影とも直面しなきゃいけない。

そこで僕は書き始めたんだ。アルバムを作ろうと思いながら書いたわけじゃなかった。ソロキャリアを始めようとも思っていなかったし。心が全く壊れてしまっていたんだよ。もう道は2つしかないように感じた。このまま自分の心に嘘をつき続けるか、自分と向き合うか。”オーケー、鏡は曇ってる。これを綺麗にして、まっすぐ自分自身を見つめて、それがなりたい自分像かどうか見てみようじゃないか?自分の感情を全く感じられない奴が?感情的にも精神的にも、満足感を得られない奴が?”


“自分の人生のステージの真ん中に立つ時、ずっとついて離れない影とも直面しなきゃいけない”


それは僕にとって感情のデトックスだったんだ。それが『Windows in the Sky』への創作へと導いた。もう、ほとんどハッピーアクシデントみたいなもんだったよ。だって、ある時点でバンドメンバーもタンジェへ来るように招待したしね。滞在の最後の方で、僕はタンジェにこじんまりとしたスタジオもセットアップしたんだ。独立系映画のスコアなどを書き始めていたから。実はそっちをやりたかったんだ。ロックンロールのバンドワゴンに戻るんじゃなくてね。でも徐々に、自分の体験を書き綴ることが解放的に感じてきただけでなく、商業的な成功とか、ラジオ受けする曲とかについて考えずに、より自由な環境で自分を表現できることに解放を感じたんだ。これは、父に向けた解放であり、純粋な表現だけど、ここ数年で自分が否定し続けたものに対してでもあった。

全く野心とかなかったから、アルバムをリリースしようとも思っていなかったんだ。結局リリースしたんだけども。でもプロモーションとかはしなかった。インタビューもしたくなかった。できるだけ、人の目に触れないままリリースしたかったんだ。だって、曲についての質問とか、僕自身の旅についての質問に向き合えるかどうか自信がなかったから。特に前のバンドはかなり注目を集めていたしね。

だから、人目に触れないようにしながら、それでも(自分の中で)”リリースしたぞ!”って言えるようにしたかったんだ。リリースはカナダのみだった。世界中のマーケットに進出しようと思っていなかったし、ツアーをするつもりもなかったんだ。それでもカナダで、アルバムはトップ3に入って、半年くらいトップ20にランクインし続けたんだ。僕は怖くなった。だって、以前までのようにニッチなジャンルの一人ではなくなって、メインストリームになった気がしたから。

このアルバムがリスナーにとって、どんな意味を持つのか理解できるように考え直さなきゃいけなかったんだ。心を穏やかにするために。それはもう僕だけのものじゃなく、それでも良いんだって。それが本当の癒しへの始まりとなったんだ。このアルバムがどれだけ大切なものかを伝えてくれた人たちからのフィードバックや、彼らとの繋がりを通して、そもそも避けようと思っていたあらゆる事柄と和解することができたんだ。

それは、みんなのおかげだった。僕は自分が好きだったり、尊敬している複数のメディアからのみ、インタビューを受けたよ。けど、それは別に特別に見られたいからとか、ロックスターのように振る舞うためではなくて、自分の言葉が切り取られたり、故意に意味を変えられたりされる心配なく、自分の物語が語れるような安心できる環境が必要だったんだ。

でも、ライブ演奏はやりたくなかった。前のバンドでは、常にツアーばかりしていたんだ。だから、ツアーへ戻るようプレッシャーがあったんだけど、それは僕が望んでいるものではなかった。けど、それを変えたのがモントリオール国際ジャズフェスティバルの代表者だったよ。世界でも有名で、評判の高いフェスティバルなんだ。彼らは”Alex、ぜひ出演してくれないか。一夜限りだから、心配はいらない。プレスも入れたくないなら、入れないよ。君と観客だけ。ぜひフェスティバルに出演してくれないか?”と何度も尋ねてきたよ。

はっきりとした答えが出るまで、時間がかかった。でも、熱心に何度も声をかけてくれたから、僕はついにOKの返事をしたんだ。きっとトライすべきだって思ってね。そして、それがライブアルバム『Standing Under Bright Lights』となったんだ。でも、僕にとってはすごく不思議だったよ。だって、それは楽曲についてで、エンターテイメントについてでも、以前のバンドでやっていたような二階のバルコニーからジャンプするっていうようなパフォーマンスについてじゃなかったからね。全ては楽曲についてで、そこにある意味についてだった。僕は以前よりも楽器を弾いたし、ステージにはトータルで10人いて、僕はミュージシャンたちを指揮していたんだ。たくさんインプロ(即興)をした。だから、それは全く違う精神だったんだ。僕には自由になれるその精神が必要だった。そうすれば、その瞬間や演奏が正直なものであると分かるから。

コンサートは父が亡くなってから、ちょうど5周忌を迎えるのと同じ日に開催されたから、父を称える方法でもあったんだ。僕の父は、特別な性格の人でね。たくさんの人たちを助けたんだよ。だから、そういう人たちがコンサートには、たくさん来ていた。それと、前のバンドの時からのファンの人たちも世界中から集まって観にきてくれた。というのも、このアルバムを生で聴けるのも、もしかしたら、僕がステージに立つのも、これが最後かもしれないと知っていたからだ。

それはとても交流的だった。人同士の繋がりに基づいたものだった。たとえ、ミュージシャンの数や照明など、そのセットはすごいものだったとしても、ある意味でそれはとても、慎ましい時間だったんだ。とても脆弱な感情が吐露され、体験され、分かち合われた。とても純粋な時間だったんだ。

そのあと、僕はツアーをしないかとオファーを受け続けた。それでも、まだ踏ん切りがつかなかったよ。でも、多くの人たちと分かち合った瞬間がとても意義深いもので、日本やオーストラリア、ヨーロッパやアメリカから、あの瞬間を経験するためだけに来てくれた人たちがいたってことに気づいたんだ。それは、僕にとってすごく慎ましいものだった。自分はただ歌ってるだけなのに、って思ったよ。でも、それは僕についてではないんだって気づいたんだ。それは曲についてで、それが彼らにとって持つ意味についてだった。とても美しいと思ったね。だからこそ、自分を傷つけるような考え方を改めて、そこから自由にならないとって思った。

曲がその本質を失い、形式的になるのは避けたかったんだ。だから、今日でさえ、全ては即興についてなんだよ。その曲をその時感じたままに演奏するんだ。

その後、僕はドイツの大きなカンフェレンスに招待された。素晴らしい時間を過ごしたよ。楽曲のエッセンスを失うことなく表現することは可能だって気づいた。むしろ、楽曲が成長するのを感じたんだ。毎晩、父を失う経験をしたくなくて、そうして突然、いなくなってしまう(感じられなくなってしまう)ことを恐れていたんだけれどね。

フロアにいながら、涙している人たちを見かけて、ものすごく慎ましい気持ちになった。それは僕ではなくて、楽曲、その繋がりがそうさせるのだと分かっていた。毎晩、とてもユニークな何かを生み出していたんだ。

その経験をして僕は、よし、こういう瞬間だけをやろうって決めたんだ。ツアーをするのではなくて、例えば東京のある特別な場所で開催するとか、そういう感じに。そんな中で、ニューヨークに滞在し3日間続けてライブをした。再び、それは自然な感じだったよ。野心とか、そんなものは自分の中に感じなかった。曲は成長を続け、そのエッセンスを失うのが怖いなんて、自分は愚かだったと思わせてくれた。

そうして続けていって、やがて再びツアーの招待を受けた時に、”オーケー、これがファイナルテストだ。自分が毎晩、来る日も来る日も演奏できるか試してみよう”と自分に言い聞かせた。そうして、コロナ感染の混乱が始まる直前の2月初めから3月半ばまでツアーをしたんだ。そして、僕は毎晩ちゃんと感情を感じられた。

実際、今でも学んでいるんだ。というのも、以前のバンドはとてもエネルギッシュなバンドだったから。そのハイエナジーに頼っていた。けど、今は自分の直感を信じて、その瞬間へと身を捧げ、その精神へと開放することについてだ。だから、全く違う雰囲気なのさ。

たくさんの人から、最初のコンサート(現在の『Standing Under Bright Lights』)をリリースしないのかと聞かれたよ。だって、『Windows in the Sky』は1時間だったけど、ライブ演奏はほぼ2時間半だったから。そして、世界的な状況を見ても、今リリースするのが良いんじゃないかって思った。そうするのは自然で、何かを売るというよりも、分かち合いたいという意味において敬意を表せるんじゃないかと思ったんだ。すべてはコミュニティについてで、その繋がりを持ち続けることについてだった。

この楽曲をシェアしたことが、結果、あなた自身の嘆きから抜け出すプロセスになったなんて、なんて素晴らしいんでしょうか!それこそ音楽の力を証明していると思います。一つ伺いたいんですが、お話を聞きながら、ライブで演奏した楽曲の中で、オーディエンスが特に共感した曲というのはありましたか?

正直、毎晩、反応が違うんだよね。その日のムードによるというか。オリジナルアルバムでは、よりアップテンポな2曲が人気かもしれない。ストラクチャーはちょっと違うんだけど、サウンドがパワフルなんだ。感情に関して言えば、その瞬間の脆さにおいて、「Shadows of our Evening Tides」かな。曲を演奏しようとするんじゃなくて、ただ曲へと身を任せると、この曲が聴いている人にとって、どれだけ特別かが見えてくるんだ。だってさ、僕にとっては交流だから。人を招待して僕の演奏を見てもらうんじゃなくて、交流なんだよ。みんなで一緒に瞬間を作り上げてるんだ。この曲は、そういった意味で、とても特別かな。

ツアー中は、毎晩同じ曲を演奏するわけじゃないんだ。少なくとも、最後にやったツアーはそうだった。これっていうセットリストはなくて、その時の気分によって、楽曲を選んで、仲間たちに伝えるんだ。だから、それも演奏の繰り返しやフォーミュラを避ける手助けになっているかもね。時々、ここのパートやってみようかって言って、そのまま30分くらい自由に演奏することもあるよ。

ベルリンでライブした時は、1曲だけを1時間くらい演奏していたこともあったんだ。その瞬間に導かれるままね。みんな、それを感じることができて、あの瞬間をなるべく長く続けたいって思ったんだ。

とても慎ましい気分だよ。だって、時々、20分くらい演奏したあと、”これは違う、変だ”って、自分の中で不安になるんだ。だけど、みんながすごく夢中になってるから、自分の不安な気持ちをみんなに伝染させたくない。

音楽的な側面についても話して頂き、興味深いです。というのも、まるで映画のようですから。パンクロック路線から、映画的な路線へと変わっていったきっかけはあるのですか?それがどこから来たのか気になって。あなたの歴史の中で、どんな風にフィットするのかと?

はじめに音楽にハマったルーツへと立ち返ることにしたんだよ。子供の頃に音楽にハマるきっかけとなったのは、グレン・ブランカとニューウェーブ、エクスペリメンタル音楽だった。一個一個、音を覗くと雑音的なんだ。でも、それを全部一緒にすると、とても、とても特別なものを生み出すことができる。

それが音楽に夢中になったきっかけ。だからこそ、以前パンクバンドにいたとしても、充実感をなかなか得られなかったんだ。もっと何か目に見えないものに触れたいって思っていた。

それがグレンとの背景であり、目に見えないものに触れたいと思ったクレイジーなクリエイターたちとの背景だよ。彼らは何に触れたかったのか、分からなかったんだ。けど、そこには自分という存在を超えた何かがあるって知っていた。どれだけ彼らがスピリチュアルであろうと、なかろうとね。そこに立ち返ることは、僕にとって大事だったんだ。パートについて考えすぎることなく、ただ本物で正直であるようにすることが。

僕は才能溢れるミュージシャンじゃない。それはある意味で利点だったと思う。だって、”ディストーションペダルにトランペットを追加したら、大丈夫かな?”なんて考えなくて済んだからね。別に筋が通らなくて良いのさ。

そうやって自然な方法で曲を作っていったんだ。『Windows in the Sky』をレコーディングした時、ほとんどのレコーディングが生演奏でとても自然だった。だから、コンサートとなれば、余計にその色合いが濃くなる。

僕がやっていることは、反対のものを組み合わせること。ディストーションとサチュレーションを同時に使ったりとか、他にも色々な要素を組み合わせる。いきなりチェロやトランペットを加える。全く違う雰囲気になるんだ。そして、それでもやっぱりオーガニックでなきゃいけない。そして、いかなる野心からも自由でいたいんだ。

説明が難しいよ!たとえ、そういうコンサートでも、もちろんある枠組みみたいなのはあった。でも僕と一緒にステージに立ったミュージシャンたちは、しっかりとトレーニングされたミュージシャンたちだ。だから、”楽譜はありますか?”と聞かれたんだけど、僕は”ないよ。はっきりしておくけど、楽譜はない。そして、今日学んだことはきっと、明日には変わってるだろうから、同じセクションを同じようには弾けないだろう。だから、ただ瞬間に身を任せて欲しいんだ”と伝えたよ。

それは彼らにとっても、面白いことだったと思う。だって、音楽を通して感情を表現するために自分が学んできたことを捨てなきゃいけなかったから。ツアーを一緒にやったバンドの仲間たちは、ほぼ前のバンドの人たちなんだ。彼らのことは大好きだし、僕の親友たちだ。でも、”これまで知ってることを全部忘れてくれ”って言った。そして、以前のバンドとは、担当楽器も変えることにした。

バンドという文脈の中に隠れることはできなかったんだ。だから、自分の場所を取らなきゃいけなかった。”僕の考えはこう。アイディアは誰からも歓迎するけど、方向性はこうだから。僕がセクションを指示して、演奏中はサインに頼る。だから、その準備をしておいて。だって、そこに安全ネットはないから”と言ったんだ。

それが僕のしたいことだった。長いこと、ずっと囚われたように感じていたんだよ。

楽曲を演奏する際、どう感じますか?初めて演奏したときと、何か違うものを感じますか?他の人たちを招いて、一緒に演奏するというプロセスを通ったあと、あなたがどこに着地したのか興味があります。

最初これを始めた時の、僕の最大の不安が、感情のコントロールがきかなくなることだった。もしも涙が止まらなくなったらどうしよう。毎晩毎晩、葬式に人を招いているかのような哀れなコンサートにしたくない。僕は自分自身を見つめて、”オーケー、もしそうなったとしても、別に世界の終わりじゃない。大丈夫。自分に正直にならなきゃ。そうする覚悟があるか?”と自問した。

それが一番難しかったことだよ。ダウナーにならずに、どう、この話題についてみんなと分かち合うか。だって、とても激しく濃いトピックだからね。

そして、僕が望む方法は、人生をお祝いすることだと気づいた。そうさ、僕は嘆きや悼みについて思いを巡らしている。父親を亡くすことと向き合っている。彼は多くの人にとって、ヒーローだった。そして、僕は父さんと複雑な関係を持っていた。だって、常に理解してくれたわけじゃなかったからね。この波は、毎回返ってくるんだ。でも今は、本当に人生をお祝いすることについてだと思う。生きてるって感じることを、思い切り味わうことについて。

ただ絶望感にだけ、反応した人たちもいたよ。それについて目は逸らしたくなかった。自己中になるわけではなく、でも同時に”まぁ、僕もそのプロセスにいるんだよ”って伝えたいんだ。だからこそ、毎晩、交流ができたんだと思う。

その瞬間から今までに学んだことは、時に、特別じゃなくてもいいんだってこと。ただ本物でなきゃいけない。僕は人と話し、彼らは”それは真実だね”と言う。そして、僕は真実よりも、正直でなきゃって答えるんだ。

長いこと、僕は自分が正しいんだと思ってきた。でも、そうやって思っていると、自分で成長の機会を妨げてると気づいたんだ。僕は絶対的なものを使って隠れていた。でも、今は正直になるときだ。それは、成長できることを意味してる。他の人の考え方や気持ちにオープンになり、それについて思いを巡らし、自分と彼らの間を繋ぐ。全てがあまりにもひび割れている世界で、こういう話題にアプローチしていたからこそ、人は僕を受け入れたのかも。彼らは招待されただけでなく、歓迎されていると感じられたんだ。

それは全く違うんだよ。他人を招待して、自分の考えを押し付けて納得させようとすることもできる。でも、彼らを歓迎するとき、ありのままの彼らを迎え入れるんだ。


“全てがあまりにもひび割れている世界で、こういう話題にアプローチしていたからこそ、人は僕を受け入れたのかも”


例をあげると、僕はドイツのハンブルグにいたとき、息子と父親で一緒に見に来ていた親子が、ライブ後、グッズ販売ブースに来た。彼らは僕を待っていて、僕の方に向かってきたんだ。そうしたら、お父さんの方が突然、泣き出したんだよ。彼はつい最近、父親を亡くしたんだけど、父親と話す機会がなく、和解できないままだったんだ。

内心、ものすごく慌てたよ。今はステージ上じゃないから、見えなかったフリはできない。だけど、気づいたんだ。ただ、身をまかせようって。それが全てなんだからって。僕らはお互いにハグをして、これぞまさに生きるということであり、解放するということだよって言って、その場を後にした。

こういう内心、慌てる瞬間がたくさんあったんだ。何か言わなきゃとか、特別なことをしなきゃって思ってね。でも、それは僕についてじゃないと気づいた。知らない人と深い感情を分かち合うための招待だ。そして、一緒に泣いた後は、知らない人同士のままでいるのは難しいのさ。

それは僕にとって、全く新しいことだよ。だって、以前は常にノイズとか音楽の後ろに隠れていたからね。さらけ出されたくなかったんだ。突如として、僕はそのど真ん中にいるけれど、一人でそこにいるわけじゃない。だって、僕はそれを分かち合っているから。

毎晩、嘆きを経験するのではなく、人生のお祝いをしているとき、他の人たちは解放できるんだ。そして、僕もね。

普通の箱に収まらず、人間的な経験へと深く掘り下げるようなプロジェクトのアイディアが好きだよ。そういうのが、あらゆるものや時間を超えるアートだと思ってる。たとえ歌詞や言葉を端に寄せて、楽器だけを考えても、それが人の感情をとらえるものであるとき、その瞬間は人として、とてもパワフルな瞬間となる。

最近は多くの人にとって難しい時期だけれど、これを通して僕らが基本に立ち返る機会となればいいなと思ってるよ。ただ他の人と繋がるだけでなく、”待って、実は自分の感情を見過ごしていたかも”って気付けるために。

アジア、ヨーロッパ、カナダに住む友人たちのほとんどが、ロックダウンや夜間外出禁止や、友人宅への訪問禁止などになっている。これまで、とてもとても辛い状況だ。それに嘆いている友人たちが多くいるし、命を絶ってしまった人もいる。それには、すごく悩まされたよ。だからこそ、僕らは人権や、メンタルヘルスについて深く関わっているんだ。だって、それは本物だから。特にキリスト教徒として、いつも”みんな幸せであるべきだ”なんて言えない。

その方程式は、そんなにシンプルじゃないって認めないとね。もっと複雑なんだ。こういう感情を覗き込むのは、いつも少し怖いよ。だって、物事を理解できないとき、人間の性で、それに蓋をするからね。何か絶対的なものがあれば、全てがそれに沿っているから、何も怖くなくなる。でも、現実はもっとずっと複雑だ。

最初は、摩擦があったんだ。中身を見たくなかったから。でも、人間の感情も同じ。ちゃんと見つめなきゃいけないし、たとえ怖くても信頼しなきゃいけない。そうすれば、何かを見つけることができるし、誰かと歩むこともできる。常に理解できなくても良いんだ。理に適っている必要はない。大事なのは、可能な時に、誰かと一緒に歩む意思を持っていること。


“理に適っている必要はない。大事なのは、可能な時に、誰かと一緒に歩む意思を持っていること”


だからこそ、このアルバムをリリースしたかったんだ。人が歓迎されていると感じられるような招待として。彼らの感情を表現し、人生を祝うために。たとえ、鬱やストレスを抱えていたとしても。たとえ、今も嘆き悲しんでいても。だって、嘆き悲しむ理由はたくさんあるから。愛する人を失うことだけじゃない。夢や約束や未来、自分にとって大事だったものが、突然なくなることについてさ。

人が僕と分かち合ってくれたことを通して、これをリリースするのは正しかったと思えたんだ。このパンデミックの中、僕らはたくさん配信ライブをした。このコミュニティをキープし、自由に自分自身を表現できる場所を与えることは、僕らにとって大事だったんだ。『Standing Under Bright Lights』のリリースも同じさ。

最後に何か、読者の皆さんに知ってもらいたいことはありますか?

これは僕にとって、慎ましいプロジェクトだ。たとえ僕の音楽に興味がない人たちがいたとしても、人生を味わうための力になり得るポジティブなものを分かち合えて、ただ嬉しく思う。

たとえ少しクリシェだったとしても、苦しむことを理解するために苦しむ必要はない。でも、人生とは何かを理解するためには生きなきゃいけない。だって、人生が人生を創るから。だからこそ、僕にメッセージを書いてくれる人たちにはいつも、ポジティブなものにチャンスを与えてって言ってるんだ。だからこそ、このアルバムは『Standing Under Bright Lights』(明るい光の下に立つ)と言うんだよ。だって、ある時点で、君は光を迎え入れないといけないから。オーケー、試しにやってみよう、ってチャンスを与えなきゃいけないんだ。僕もそうし続けるよ。自分がその流れに乗って、光と一体となるまでね。

“…このアルバムは『Standing Under Bright Lights』(明るい光の下に立つ)と言うんだよ。だって、ある時点で、君は光を迎え入れないといけないから。オーケー、試しにやってみよう、ってチャンスを与えなきゃいけないんだ”

『Standing Under Bright Lights』は、SpotifyやApple Musicで聴けます。フィジカルコピーは alexhenryfoster.com まで。

MARY NIKKEL
2021年5月6日

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