[Strike A Chord]【Alex Henry Foster『Standing Under Bright Lights』リリースインタビュー】“Silver Lining”
掲載:Strike A Chord
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Q. あなたがこのライブアルバム『Standing Under Bright Lights』のタイトルに込めた思いを教えてください。
僕の場合、まず最初にタイトルがなければ作っているものが具体的になるということはないんだ。遠くにあったビジョンから、はっきりと実体をもつものへと変わるまで、アルバム、本、コラボレートイベント、他のどんなものでも、花ひらくのを見つめる特権というのは、タイトルと一緒に始まっていくものなんだ。これを見つけるまでは捉えどころのないアイデアがあるだけに過ぎなくて。言ってみれば、初めのこの過程に完全に捉われてるということでもある。
タイトルを見つけるまでは、僕は完全にはプロジェクトに入り込んでいけない。でも、それを見つけたときには、そのタイトルだけが持つ性質も、プロジェクトの目的や最終的にはその妥当性もよく理解できるようになる。そのことは不合理で、強迫観念にとりつかれた自分探しに執着し、没頭することを貫くことだと思っていて。こういう想像上の努力が自分の中の命を刺激しているんだと思う。それがアイデンティティや自身の方向性を発展させる。
自分が全てを理解するのは、アルバムのアートワークになる素材を見たときなんだ。もし『Windows in the Sky』が、光が当たる場所に戻る道を見つけるための、悲しみや絶望や望みの無い僕の苦悩を伴う内省の終わりの個人的な旅だったとしたら、あのコンサートは長い期間にわたる暗闇の中の暮らしから、突然のことにうろたえて目が眩んでしまうような光の中に、自分を見つけた最初の瞬間だった。自分が誰かということを見つめるために、自分の目をそっと開けるかどうかを決める必要があったんだ。
この『Windows in the Sky』と『Standing Under Bright Lights』の二つのアルバムのカバーを意識して見てみると、ベールは剥がれているのが分かると思う。けれど、目の前に誰が立っているのかは正確には見えない。誰かが明るい光のもとに立っているのかもしれない。でも変容していく動きはずっと続いていて、僕らはその進化を見続けていく。その時に僕の次のプロジェクトのタイトルが何かを知るんだ。
Q. あなたが作品を作るときは、Your Favorite Enemiesのメンバーとともにリフォームした旧カトリック教会の内部にあるUpper Room Studioでレコーディングするとお聞きしました。なぜあなたがたは教会を選んでスタジオを作られたのでしょうか。その時のお話を聞かせてください。
ほとんどのバンドと同じように、僕らはキャリアについて何の野心もなく始めたんだ。僕らはただ、できるだけ一緒にたくさんの時間を過ごしたいと思う友達だった。その気持ちは更に強くなっているよ。
音楽には、自分達の感情を表現していくだけじゃなく、僕らが持っているかもしれない、深い、個人的な傷が明らかになっていくことを自分達に許していく部分がある。そうやって、僕らがこれまで以上の共同生活をするようになったとき、近所の人達が大々的に警察を呼び始めたこともあって、自分達の居場所を探す時期が来たと思ったんだ。
僕らの望むものには大きな矛盾があった。僕らはその時20人以上のコミュニティで、そこにバンドがあったし、僕らは自主レーベルを始めたとこで、週一のオンラインのショーもやっていた。10年先を想像してやっていたんだ。だから、皆が寝泊まりできる十分な大きさがあって、そこに居てものづくりができる場所を探していた。他の人の迷惑にならないくらい離れた場所で、僕らの活動が拡大していけて、そのうえ、新しく出てくる可能性のあるアイデアもまとめ上げていけるような余分なスペースもある場所を。
購入した教会を見つけるまで、こういう場所を探して何ヵ月もの時間を費やしたんだ。廃校や廃ビル、廃工場にも延々と足を運んだ。でも僕らが必要としてる物件に近いものは何もなかった。僕らは海外に拠点を移す考えを持ち始めていて、ほとんどそうするつもりだった。その時、売りに出ている教会を探そうというアイデアを思い付いたんだ。
カナダの建国以来、カトリック信仰はケベック州ではとても重要なものだった。でも近年、教区民の数は著しく減少していて、そのためにカトリック教会の使っていない教会の数が増えて、それを管理し続けるための費用が高額になっていたんだ。それで個人や企業に売られていた。僕らの場合だと、その教会を売るための取引の内容の中に、司祭の家も含んでなくちゃいけなかった。そういう条件で探し始めてから、2週間くらいでその場所を見つけたんだ。その場所を見つけて訪ねてから、その土地を売る権利を持つところに説得に行ったんだけど、その取引が完了するまでに丸一年かかった。というのも、過去に売られた教会が犯罪の温床になったりした以前の失敗があったから、教会の管理者によって設置された大掛かりなプロセスがあって。まあ、言ってしまえば、ロックバンドに売るなんて希望も何もあったもんじゃないみたいなことだよね。
他にも問題があって、それはこの計画の一番大きな問題になったんだけど、教会を担保に融資をしたがる銀行が無かったんだ。僕らは契約も大詰めというタイミングで要求された金額を、何とか工面しなきゃいけなかった。全部を手にするか、全て無になるかという感じだった。その張り詰めた決断は、悲しいことに最初の意見の食い違いになって、次第に何人かのメンバーは離れていった。それでも、その分コミュニティはより強固になった。その分断による哀しみを今でも僕は抱えているけど、10年間を振り返って、その時の自分の本心に従って下した決断は正しかったという思いは強くなってるよ。
その教会がスタジオとして完全に運用できるようになるにはさらに一年かかった。その期間に僕らは塗装や石膏、修復、補修や何だかんだ色んなことを勉強したよ。これがYour Favorite Enemiesでのリリースや音楽活動ができなかった理由でもあるんだ。さらに、個人的にも集合的にも解体や再構築、創作的な改革という部分を形成していく時間になって、僕らのコミュニティはまた生まれ変わったんだ。
その時期のことは話すことがあり過ぎて、そのことだけで1冊ぐらい簡単に本が書けちゃうと思うよ!
Q. 『Windows in the sky』に収録された音楽は“もがき”のような、内面と向き合った内容が反映された音楽のように感じました。その作品を再解釈して演奏された今回のライブアルバムはオリジナルアルバムとどのような違いがありますか?
それは全く別の生きものだよ。『Windows in the Sky』のライブをただ再現しようとしていたら、もう僕だけのものじゃなくなったそのアルバムの中の感情の深い意味に気付かずに、活気や創造性のない実演になったり、ばかげた自分自身を満たすためだけの失敗になってしまってたと思う。
自分の不確かさとか、疑いとか、その夜を求める安心感で、そのコンサートの精神性を間違えなかったことはとても良かったと思ってる。だから、そのコンサートは僕にとってすごく重要なものだった。そして今では、僕が果ての無い内省の旅から離れることは、そのことでしか出来なかったんだと思ってる。
Q. David Lynchにインスピレーションをもらって作られたという”The Hunter (By the Seaside Window)”のMVは映画のような臨場感がありました。それがMVの一部なのか、映像の一部なのか分からなくなるような一体感のある素晴らしいMVですが、制作過程で印象に残った出来事があれば教えてください。
このミュージックビデオは、僕ら自身が自分が誰であるのか、自分ができたであろうこと、自分がなりたかったもの、自分の奥深いところにある一番暗い秘密を隠すものとして他者を求めているということに直面するための、心の内側で枷となっている恐れや、自分に必要なものは自分で獲得しているという幻覚を表現した映像なんだ。
この作品は映像プロデューサーのJessy Nottolaと彼の相棒の撮影監督Nicolas Adalbertが、Matthieu Lemeunier とSolenne d’Arnoux de Fleuryという才気に溢れ思いやりがある二人の俳優とともに、素晴らしい才能のもとで生み出されたものなんだ。たくさんの予算をかけてないのに、目もくらむような芸術作品になった。
遠く離れた辺鄙な森の中の廃れた山小屋の中で映画を撮っていて、それが凍えるような状況での野外の撮影で、カナダの荒れ狂う吹雪の中で感情をとらえていくってことを考えてみて。こんな完璧な撮影条件の中で、悪くなるはずないよね。
Q. “Shadows of Our Evening Tides”にはビート文学の牽引者であったAllen Ginsbergの”Song”(The weight of the world is love)を引用されていますが、なぜこの曲の中で使われたのですか?
それは最後に決めたことなんだ。僕にとって感情というのは、絶えず変化し動き続ける想像の欠片が、不調和に集められたもの。それが自分にとって何を映し出しているか、また他の人に何を呼び覚ますかとは関係ない。それが常に進化していく音楽特有の性質なんだ。だから、自分自身を越えて成長していきたいという意思の中で、変容していく考え方を超越するこの感動的な詩の作品以外、思いつくことはできなかったよ。
Q. バンドの中で、ツインドラム、ツインギター、ツインシンセと、それぞれの楽器が対になって演奏されていますが、それぞれどういう役割を果たしていますか?どんな風に補い合い、またはそれぞれの音を増幅させて演奏しているのでしょうか?
面白いね。でも、もしドラムがなかったら、明らかにペアになってるって風には見えなかったんじゃないかな。最初のコンサートかそれぐらいからそんな風になったんだと思うよ、確か。でも確認にもなったよ。僕が作るものに関して意識的なパターンみたいなものは特にないんだって。それは直感的で、本質的な部分なんだ。
楽器は、いつでも曲を引き立てる必要がある。楽器にはそれぞれ特別な色があって、それは時々とても明るいものであったり、少し淡い色をしていたり、でもこういう色合いが、複雑な人の感情すべての最もシンプルな部分を反映してる。僕達が共有できる本質の部分なんだと思う。それは、逆説的でもあるし、同じ役割を果たしていることでもあるし、補いあってる部分もある。正反対でもあるし、矛盾したものでもある。僕はそんな風に、僕らの魂の精神性みたいな部分が可視化されていくことで発見するものに興味があるんだ。
僕にとってみれば、あとは楽器は単なる連続するコードとよくアレンジされたメロディーだよ。それに僕は、自分自身でポップカルチャーの職人になれる人達をとても尊敬してるんだ。単に心の奥底から、自分の感情を動かしてくれる人を尊敬してるとも言えるんだけど。それは11人編成のノイズオーケストラかもしれないし、僕のそばで軽快に音を立てている他人かもしれない。別に何でもいいんだ、それがリアルであれば。
Q. あなたの音楽は、あなたがコンダクターを務めるオーケストラのようでもあり、主役を務めている舞台のようにも思えます。一見それぞれのメンバーが自由に動いているようにも見えながら、非常に統制されているようにも感じました。何を意識しながら全員で演奏されていますか?
僕らは皆完全にその瞬間に夢中になって、その時間の一部になって、その時間そのものにならなきゃいけない。そうすることで、僕らは様々な種類の波にもなれるし、お互いに崩れ合えるし、色んな形に姿を変えていける。でもそれでも、どんな瞬間であろうと、同じ動きの一部になれるんだ。たとえ素晴らしいミュージシャンとして一人だけで立っていることが幸福なことであっても、僕にとっての才能とは、他の人たちが一体となるその瞬間のために自らの存在感を消す能力だと思うんだ。
Q. 今回リリースされたライブアルバムに収録されたライブはとても特別なものだったとお聞きしました。その日のライブはどんなライブでしたか?あなたにとってライブとは何ですか?
Your Favorite Enemiesのフロントマンとして活動していた12年の間、ライブパフォーマンスというものは自分の感情的な苦悩や惨めさから自由になろうとして自滅的なことをやろうとしていた部分があって、無意識の自傷行為的なひどく苦悩を伴うものだった。助けを求める静かな叫びが、人を楽しませるショーへと変換されていた。
今はもう、僕はそういうふりをする強さも持っていないから。純粋なものへと解放される正直なものや生命や生まれ変わりを祝うものになったと思う。深く悲しんでいる人への慰めや、痛みのサイクルの中にあって休まる瞬間を求めているような人々の隠れ家や、強くなくてはいけないと思うような重荷を減らす機会を与えられるような、深い傷さえ癒していけるような。ライブパフォーマンスは思いを共有するものなんだよ。僕らはその本質を理解して、受け入れているんだ。
Q. これまで日本の自主レーベルからリリースしているバンドにインタビューする機会が何度かあり、個人的な感覚として、日本で自主レーベルからリリースすることは、自分たちで自分たちのバンドの姿勢ややりたい音楽、やりたいことを表現していくようなことだと感じるようになりました。
今回のライブアルバムは自主レーベルHopeful Tragedy Recordsからリリースされましたが、カナダのシーンで自主レーベルからリリースすることはどういうことだと思いますか?またどうしてそうされたのでしょうか?
正直なところ、自分自身のレーベルを持つことは創作的な部分で言いたいことにはあんまり関係がないんだ。音楽業界の企業の性質において自分が考えてることとも関係ない。もっともっと個人的な意味があるんだ。それは、僕が人間として誰であるかを表すような。
僕は自分がやりたいことを、自分がやりたいときに、やりたいようにするために自由である必要があると思ってる。僕は、自分が誰かのビジョンや提案するプランに沿った商品になれるとは思えないんだ。すごく完璧にゲームができる人達に対して批判的になってるわけじゃない。ただ、できないんだ。例えやってみたいと思ったって。ただ単に、自分はそういう人間じゃないんだ。僕はメジャーと契約してたから、そうすることで確かにYour Favorite Enemiesはとても成功したバンドになったと思ってる。でも、どうしてそうしたのかっていうあなたの質問に答えるためにここにいるんだと思う。僕にとって成功とは、正直でいることなんだ。そして、できる限り成功できるようにしようとしている。あとはただの揺らめきで、お世辞で簡単に慢心してしまうエゴみたいなものだ。
僕にとって、自分のプロジェクトを他人と共有する機会を持つことは、それがどんな形の試みであっても、決して当然ではなく、とても大切で光栄なことなんだ。だから、自分自身のレーベルでそうする機会があって、加えてそのプロジェクトを親しい間柄でできるということは、自分が自分の言葉やビジョンをもって行なえるというだけじゃなく、個人的にもそのプロジェクトに関わる多くの要素を人生に与えることができるということなんだ。自分にとって、どれだけ人が大事かということに尽きる。何よりもそのことが、一番重要なことだと思ってる。
そういう意味では、僕自身のクリエイティブな“ホーム”を持つことがとても重要なんだ。働く上での考え方だけじゃなくて、DIYを共有できる精神をもつライフスタイルがある場所。それが家族であって、僕がこれまでに関わりを持ってきた他のどの素晴らしい場所よりも、もっと深い全てのつながりや全てのビジョンを可能にしてくれるんだ。
Q. コロナ禍において、カナダの音楽シーンはどういう状況にありますか?また、今どんなことを感じておられますか?
世界中のほぼ全ての場所と同じように、ゾッとするぐらいひどいよ。規模に関わらずかなりの数のライブハウスが閉まってる。ライブのクルーやブッキングエージェント、プレスのメンバー、プロモーター、レコード店、レーベル、そしてアーティスト自身も何年もかけて苦労をして得たかなりの資産を失っている。そして、その損失を少なくしたいなら、別のキャリアを見つけることを余儀なくされている。
その打撃は見かけ以上に大きい。この今の音楽業界の崩壊で、たくさんの他のビジネスも同様に影響を受けてる。レストランやホテル、交通会社、備品や場所のレンタル会社、他にもたくさんのビジネスが。まさに今、僕らのコミュニティの中にはたくさんの絶望が広がっている。カナダは経済的な支援制度があるからできればそれが機能してくれればと思うけど、僕は自分達が全てを守れるとは思わない。言い換えれば、ほんの少しでさえ守れるか分からない。今でさえそうなのに、立て直していくのに何十年とかかるのかと思うとおかしくなりそうだ。
でもアメリカの音楽シーンがどうなっていくかに希望の光が残されていると思う。今、僕が住んでいる場所も数か月以内に軌道を戻せると思う。僕らには僅かでも希望の光が必要だ。それがどこから差し込むものであっても。光輝くようなものであっても、ほの暗いものであっても。
そうは言っても、たくさんの他の業界も同じように壊滅的な打撃を受けてるか、経営は悪化している。それは世界規模での解決法を必要とする世界規模の情勢だ。でも、僕はどれだけツアーにでたくても、人々の健康と安全を一番に考えてる。僕らは人々を守り、癒す必要がある。愛する人を失った人に慈悲を持つ必要がある。精神的に壊れてしまいそうな瀬戸際にいる人達を受け止める必要がある。言い換えれば、今は自分自身がそうあるためにどんな風に心を注いでいくかをそれぞれに決めるタイミングでもある。それが状況を変えていく唯一の方法であり、一旦この危機が終わった後同じ未来を見ていくために、とても影響していくことだと思う。
Q. このライブアルバムをどんな風に聴いてほしいですか?
僕が深く信じているものが、唯一で、とても特別な瞬間だったこと。定義してそして再定義することを、皆が本当に喜んでくれたらいいなと思う。その夜、僕をたくさんの疑いや不安から解き放ってくれた高揚する感覚や鮮明な感情を、感じられるか感じられないかは分からないけど。
それはもう、僕についてのことだけではなくなってきてるから。できるだけ遠く、深く、自分が望むように。その瞬間の心のままに従って、それぞれの自分自身の旅を作っていくことだから。そこにはたくさんの発見があって、同時に一つの解放でもある。そして僕は、皆が見つけたものを知ることができたら、素晴らしくてとても光栄だなって思ってる。そうやって僕はその作品にもっとはまっていくんだ。皆が手放したと考えているすべてのものを与えてくれるとき、そのときだけ心を交わせるんだ。たとえ、同じように何かを受け取れるかもしれないと考えるほどの信頼はなかったとしても。
それに僕は、もうすでにたくさんのものを受け取っていて、その素晴らしい機会に感謝してる。僕はただ、皆が僕と同じように解放されて祝福を受けられたらいいなと願っているんだ。
Q. 今年はどんな風に過ごしていきたいですか?
平穏でいられたら。僕は、憂鬱や不安と戦う傾向がある性格なんだ。自分の現実を何年もの間否定してきたから、今は自分の感情や精神的な健康のために時間をたくさん使っている。それは自分にとって、前に進む大きな一歩なんだ。それは僕の残りの人生の毎日の挑戦かもしれないけれど、今では受け入れて、戦っていこうと思っている。
傷つきやすいということも、今、とても不安定で立っていられないと感じてしまうことも、何も恥じることではないって分かってる。たとえどれだけ自分が傷ついたと感じたとしても、僕はひざまずいて、とても重要な勝利が始まったことを知ったんだ。どんな人も傷つきすぎて、愛されることができないなんてことはない。もう僕は、揺らがないでいたいと願うことはなくなった。癒しを待ち焦がれるよりも、自分を受け入れることが、自分を解放することだった。そうやって今、こうあるべきと考える自分じゃなくて、ありのままの自分でいることを自分に許せるようになれたんだ。
STRIKE A CHORD
2021年6月13日