憎しみが呼び寄せるとき

愛こそ、心を取り戻す唯一の方法

…の名の下に殺す

この言葉を書きながら一人でいられるのが嬉しい。というのも昨日、ある友人から悲しい知らせを受け取ったんだ。ドイツのゾーリンゲンで開催された音楽フェスティバルの最中に起きた襲撃事件で命を落とした3人の中の1人が、僕とその友人の共通の知人だったと。これまでにないほどの衝撃を受けた酷い知らせだ。2015年11月13日にパリのバタクランで起きたテロ行為で失った友人たちのことを思い出したよ。この悲しみ、無力さ、怒りを表現できる言葉が見つからない。社会的なニュースについてコメントするのを控えると、過去に何度が話したけど、ただ何も言わないでいるには気持ち的にしっくり来ないし、他人事に思えない。今、世界で起きていることに希望の光を見出すのが難しいと感じるよ。どんな形であれ、煌めくような慰めをもたらすことができないのであれば、むしろデジタル世界から遠ざかりたい。とはいえ、コーヒーを飲むたびに、あらゆるスローガンを掲げていた頃よりも、今の方がずっと社会に関わっている気がする。そうやって、自分のいる環境に影響を与え、それによって自分も変わっていけるようにしているんだ。でも、そうするのが最近は簡単ではなくなっている気がする。別に思いやりに欠けるわけでも、共感への疲れでもなく、それは公の場で社会的なことに関わろうとしても、特になんの違いも生まれないという事実にある気がする。僕らは自分たちのエコーチェンバーの中で生きていて、対話は破綻し、違いは不信を招き、新しい宗教的・政治的正しさの警察がステイシスのように徘徊し、キャンセルカルチャーは、心をキレイに整えるよう思い出させ、人々が孤立したままになるよう促し、多くの人々が自分自身のやり方で分かち合い、進化することを遠ざけている…僕は、自分の価値観と正反対のものに振り回されることを恐れないけど、自分が出会うかもしれない偽物の笑顔から生まれる産物を恐れている。特に自分がそうなるときをね。だって、その下に何を隠しているのか、自分でよく分かっているから。

そう、僕はどちらか一方に受け取られるために、自分の人生の物語を書き換えようとしたことはない。僕はモントリオールでも当時、最も暴力的で貧しかった地域で育った。仲良くしていた家族は、有力犯罪グループの中でも高位にいるリーダーだった。僕は13歳のとき、当時クリスチャンになったばかりの父に反発するために、過激派のギャングに加わった。多くの人から僕は、救いようのない人間だと見られ、学校の面会では、毎回、”専門家”と名乗る人たちに、僕がこうなったのは環境のせいだと両親は言われ続けた。でも、真実は、僕が着ていた”ユニフォーム”にあったのでも、それが発するメッセージにあったわけでもない。違う。僕は、自分のような集団のためにデザインされた不公平な世界を憎む以上に、自分のことや自分の人生が大嫌いな子供だったんだ。僕は、怒り、憤慨、恨み、苦しみ、無力さが何かを知ってる。それは、他人にぶちまけたい毒なんだ。けど、現実には、その感染で苦しんでいるのは自分だけなんだよ。僕はこのグループに5年ほど関わり、残りの人生でもう必要ないと思うくらい悲惨なものを見た。さまざまに違うかたちでの、絶望を目撃したよ。本当の絶望、そして自分で課していたものまで…そのどちらも結局、最後には自分の周りに大量破壊を生むんだ。多くの専門家が言ったように、僕は手の施しようがなかっただろうか?そんな人間はいないって、ナイーブにも信じたいんだよね。誰にでも当てはまるフリーサイズ的な治療が提案されることに疑問を持っているんだ。たとえ、そう、それが目に見えるよりも複雑だって分かっていても。悪は悪だ。でも、そこに僕らが訴えることのできる人間性のカケラはあるだろうか?時々、あると思うんだ。そして、僕のような人間が、”贖罪”を信じることをやめてしまったら、誰が信じ続けられるというんだろう?それこそ、全く絶望的になってしまうよ…

とはいえ、過去の苦悩の根っこは僕の中に今もあると知っている。 でも、18歳の誕生日の少し前にようやく勇気を出してギャングから足を洗った瞬間から何十年もの間、僕が背負ってきた恥とは裏腹に、自分が憎しみの渦中にいることを知ったときの心の苦悩は、もう否定しない。思い返せば、あのグループを抜けるのは、彼らの美辞麗句を信じたことがなかったことを考えれば、簡単なことだった。 それよりも、自分自身を 「救う 」ために多くの人を見捨てていたことを知ることが、最も難しいことだった。それを美しく詩的に言おうなんて思っていないよ。 こういう集団の中では、まず自分自身の人間性を失いがちで、失うとすべてがフラストレーションと怒りに集約されるんだ。勘違いしないでね。僕は暴力を正当化する言い訳をしているわけじゃない。その反対さ。僕はただ、僕自身が経験したこと、そして他の人たちの中に目撃したことを分かち合っているだけ。そうすることによって、自分のフラストレーションや怒りの源を見つけて、対処することができる。だからこそ、それがどんな立場の人であろうと、不正義に対して、オーバーなほどにセンシティブで、反応しがちなんだ。それが僕なんだよ。怒りが自分の中にあると知る一方で、それが僕自身を定義しているというわけじゃないーだって、そうじゃないから。今ではそうじゃないよ。違うね。だからこそ今、僕はよく長年の友人から「穏健派 」というレッテルを貼られる。「(世の中のニュースに対して)叫びたくないわけないだろう、アレックス?カモン!そこまで無神経で無頓着になったのか?」と、近しい友人たちから、よくそういう、からかいの言葉を受け取るよ。僕の直感的なリアクションが「いいや、叫びたくなんかないね。叫ぶのは、殴って、蹴っ飛ばしたあとだ!」っていうのを知っているから。でも、僕が「正当な正義」と定義するものの集団的な喧騒に自分の声を加えることが、誰かのためになるのだろうか……僕自身の意気消沈するような素質に奉仕する以外、誰にとっても何にとっても有益なものを生み出すとは思えない。

愛は癒し

僕が初めて、自分の暴力的な経験について打ち明けたのは、モントリオールにある教会が僕を招待したときだった。(アムネスティーインターナショナルとの関わりを通して)他の元ギャングリーダーたちを集めて、ディスカッションに参加しないかと誘われたんだ。危険な地域に住むキッズたちと話しをするというのが主なアイディアだった。僕は、恐怖し、恥を感じて、ものすごくためらったんだけど、このプロジェクトに携わっている人たちの念押しに負けて、参加することにしたんだ。それは前代未聞だったよ。ほとんどのパネリストたちが、以前の出会いや、あまり称えられない噂によって、お互いを知っていた。父が車で送ってくれなかったら、僕はもしかしたら行かなかったかもしれない。それはプロテスタント教会で開催され、室内は満員だった。メインの扉を通り過ぎる前に、吐きそうになったよ。温かく迎えられたことで、少なくとも少し助けられた。他の”奴ら”が到着し始めたとき、僕はバックステージにいた。「フォスター…お前、アレックス・フォスターか?なんだよ、もっとデカい奴かと思ってた!クソッ、お前の影は体全体よりもずっとデカいぞ!こっち来いよ、ブラザー。イエス様に栄光あれだ!お前は今や偉大な奴だぜ」と、山のような巨体が近づきながら言った。僕は彼が誰なのかを知っていた。挨拶をする暇もなく、僕はハグされていた。彼はとても、華々しかった。僕は全く、そうじゃなかった。僕はまた、自分の物語を語るために呼びかけに応じた他の3人に会った。3人とも、みんな輝いていた。僕はそうじゃなかった。最初に話すのが自分じゃないことを強く祈っていた。「アレックス、君が先に行ったらどうだい?」僕が断ろうとしたとき、”ラブ・マウンテン “が大声で笑いながら「当たり前だろ、白人の男の子はいつも特権階級なんだから!」と言った。彼はまた僕をハグして、きっと上手くいくぜと言った。喜んで一番手のポジションを君に譲るよと僕が言い終える前に、僕はステージへと押し出された。教会に向かう車の中で怯えていた僕は、名前を呼ばれた瞬間、気を失いそうになった。説教壇にたどり着くのに必要な数歩をなんとか歩いたよ。「こんにちは、アレックスです。こんなに怖い思いをしたのは初めてです」おっと、ここにいるのは僕の特権ですって言いたかったんだ。出だしを間違えた。そして残りの30分間は、失態だらけで、明らかに気まずい瞬間があり、まさに大惨事だった。椅子に戻るとき、僕は誰の目も見なかった。正直なところ、あとはぼやけている。

ラブ・マウンテンが最後の登壇者だった。僕は彼の謙虚さと人間性にとても感動した。涙を隠そうとしたくらいだ。彼の子供時代は酷いもので、10代の頃も、成人してからも酷いものだった。彼が最後の言葉で締めくくりながら、希望や許しについて話していたとき、「ブラザーアレックス、こっちへ来てくれ」という声を聞いた。僕は、どこか別のブラザーアレックスがいるんだろうと思っていた。「ブラザー、アレックス、ちょっと僕に混ざってくれ」。どうか違うブラザーアレックスであってくれと願いながら、ゆっくりと前に向かうと、数年前まで彼が僕に対して持っていた深い憎しみについて話し始めた。どれだけ、僕を傷つけたいと思っていたか、名前を聞くだけで怒りが込み上げてきたかについて。けれど、今朝、僕を見たときに、自分のコミュニティメンバーの中で、よく失ってしまう希望を僕に見出すことができたと言ったんだ。彼は僕に許しを乞い、再び僕をハグした。僕は茫然自失だった。一言も発しなかった。だってさ、何を言えば良いんだ?!彼は僕らのような2人がこうしてハグできるなら、誰だって変わることができると言った。僕らはその証拠であり、もしも、環境のせいで悪に走ってしまったのであれば、愛がそれを癒すことができると話した。その瞬間に何が起きたのか理解するのに時間がかかったよ。もし教会にいなかったら、「なんてこった、どうなってんだ?」って言ってたと思う。牧師は最後に、僕たちの誰かと話をしたい人は前に進んでくださいと呼びかけた。ブラザー・ラブ・マウンテンの前には列が途切れることなく続いていた。「神のご加護を」と微笑む人たち以外は、誰も僕と話すことに興味がなさそうだったから、安心した。僕がすることもないのに忙しそうなふりをしていると、一人の女性が現れ、こう言った。「アレックス、私の息子はあなたがいたようなグループに深く関わっているのですが、あなたの話を聞いて、彼が立ち直るという希望を取り戻し、彼をどう愛するかについて新しい視点を与えてくれました。お礼の言葉もありません」まさに、それだったんだ。僕は周囲を見回し、フリーになったブラザー・ラブ・マウンテンが無言で僕にウインクをしたのを見た。「今日俺たちがいるのは、そのためだ: HOPE(希望)さ」。僕は彼に微笑み返した。「いったい何が起こっているんだ?」とささやいたのを聞いていたのだろうかと思いながら。

それが、恥と罪悪感から立ち直るための最初のステップだったんだ。それで、自分が過去にしたことが変わるわけではない。僕よりも酷いことをするように仕向けた人たちへの行ないや、周囲にいる人たちの人生をどれだけ惨めにしたかも、無くなるわけではない。それとは関係ないんだ。穴埋めをすることは悔い改めることではない。自分の行動に伴う心が、確かなものにするんだ。僕が傷ついたときや、イライラしているとき、怒りが込み上げてくるときには、それを思い出す必要があるんだよ。完璧にならないといけないとか、残りの人生を10代の頃の怒りの奴隷となって過ごさないといけないわけじゃない。けど、でも、どうにかして、僕たち全員が抱えている絶望の帝国を少しでもへこませることはできると思っている。荒れ狂うサッカーファンから交通渋滞まで、国際紛争とその恐ろしい結末に言及する必要さえないほど、日常的な例はたくさんある。勘違いしないでね。僕は渋滞の時に口が悪くなるし、お気に入りの選手が負けた時には暴言だって吐く。また別の襲撃事件があったと聞いたとき、戦争の耐え難い破壊や、逆行している教えや、その極端な解釈によって覆われた憎しみの血に塗れた手で愛する人から引き離された友人たちを見るとき、僕がどんな反応をするかを簡単に想像できるだろう?そこに安息を見つけられる人なんているわけないんだ。僕はできない。それが最も難しいパートだよ。いつだって。ゾーリンゲンの音楽フェスティバルで起きた残虐行為を知って、僕は深く傷ついた。人間が作り出したあらゆる悲劇がそうであるように、「なぜ 」はあまりにも多く、そこに提示される浅薄さ以上の答えはほとんどない…。

人と人とのつながりがもたらす力...

僕がタンジェに住んでいると知ると様々な理由で対立を招く人たちもいる。でも、それはイスラム恐怖症でも何でもないんだ。違うんだよ。痛みとは癒しのための近道を探すこと。モロッコはアラビア人の国であり、僕らは文化的特質と宗教的狂信をいくつも融合させる傾向がある。それは傷ついた時の一般的なリアクションだ。好むと好まざるとにかかわらず、僕らは皆、何らかの偏見を持っている。もちろんある程度はあるが、誰にでもある、それが人間の本性だ。本当に重要なのは、その偏見をどう扱うか。ついこの間のドイツのツアーで会った友人の訃報を聞いたとき、僕はすぐに家から出なきゃいけなかった。人に会い、彼らを感じ、微笑みかけられ、人間性に根ざす必要があった。そして今、近所の人たちの一員となった僕は、玄関を横切った瞬間に、自分の名前を熱心に呼ぶ声が聞こえてくること、途中で多くの人とハグすることになること、ある人から僕の家族について尋ねられたり、またある人は自分の家族について話してくれること、そして僕が本当のサッカーについて何も知らないこと、「こんにちは」、「ありがとう」、「タクシー」、「タジン」、「コーヒーをお願いします」以外のアラビア語をまだ話せないことを、からかわれるだろうことを分かっていた。そう、違いはあれど、僕らはみんな人間であるということを。そして、ほんの一握りの外国人しか住んでいない人気地区に住んでいることは、僕にとって、みんなにとっても、とても幸せなことなんだ。僕は他の人と同じスークで野菜や果物を買い、誰もインスタグラムの写真を撮りに来ないような小さな店でお茶を飲む。他の人にとってそうであるように、僕にとってもここは貴重な場所なんだ。2016年に本能的にここに流れ着いたとき、僕が最も必要としていたときに寛大に受け入れてくれた場所。僕が絶望の淵にあったときに家に迎え入れてくれた人々。僕がかつて家族と呼んでいた人々からは、感じられなかった思いやり。ここに到着したとき、僕は与えるものも貢献するものもなく、感情的にボロボロになっていた。彼らの人間性が僕の傷ついた心を癒してくれた。彼らが僕の魂についた深い傷に新鮮な水をかけてくれたんだ。人間性…僕が感情的に混乱し、やりきれない気持ちになったときに戻る場所。これがすべての基本ではないだろうか?
タンジェでの日常
そうさ、残念ながら、僕は怒りと暴力が生む副産物について、たくさん書くことができる。名目がなんであれ、人を殺すために独善的な熱意を偽装するのがいかに簡単であるか。現実には、彼らが殺しているのは自分自身であり、その理由は地政学的な復讐や、信仰体系となんの関係もないってことも。ただの自己満足でしかないんだ。それは、どちらの側にも当てはまる。信じていたことや、正義の味方だと思われていたことに基づいて行われてきたこととは、何の関係もないんだ。言い訳なんて存在しないし、正当化にもならない。辛い悲しみから生まれた君自身の憤りさえも。だからこそ、人生や希望を育むことが、文化的な流れに逆らっているように感じるんだ。それはいつだってそうだった。そして、僕らが直面する虐殺や不正のひとつひとつ、あるいは僕らが背負わなければならない苦しみのすべてにおいて、今では更に難しくなっているように感じる…それが、芸術を通して自分を表現するための動機になっているんだ。自分の感情について考え、熟考する必要性を超えて、それは招き入れ、歓迎し、受け取り、分かち合い、交わり、学び、成長し、進化することなんだ。言い換えれば、皆とのつながりが、僕の個人的な変化に影響するんだよ。すべてのコンサートが、抱擁、笑顔、笑い声、騒音、純粋な集団的・個人的感覚が交わり、あるいは交わることを待ち望む、互いに会う喜びに満ちた僕ら自身に共通した近所付き合いのようなものだと信じたい。肉体的にも精神的にも疲れ果て、苛立ち、怒りを覚えたとき、僕はそこに戻る。ステージの上を歩くような爽快な雰囲気ではないけどね。特に、教会の集会で大勢の人の前で話さなければならなかったときと、今でもほとんど同じ気分なのだから。人によっては、自分が愛され、評価されていることを知ることは素晴らしい高揚感として、活力になるかもしれないけど、僕にとって本当に重要なのは、僕らが個々の部分の尺度よりも、貴重で重要な何かの一部であることを知ること。

愛は、その形が何であれ、人を傷つけ、がっかりさせ、また自分も傷つけられ、がっかりさせられるチャンスを掴むということ。そこなんだ。本当の関係というのは、許しを乞い、許しを与えるということ。それは他人に与えられる究極の贈り物であり、同様に与えられるべき最高の贈り物でもある。それが、どれだけ難しいことか。なんでそう言えるかって、過去に僕が人生を共にした人たちの中で、彼らが僕にしたことや、僕の周りの人たちにしたことについて、許せていないから…愛するのは難しい。僕の動揺した心を沈める魔法なんてないし、僕の疑い、落胆や最も暗い瞬間に打ち勝てるだけ鮮やかな活力もないし、それらは痛みを伴うんだ。でも、自分の心を信じられなくなったとき、僕が立ち返るのは、僕の周りに咲いている人間性なんだ。

このジャーナルエントリーは、きっと長すぎる上に、困惑するだろうと思う。それは、これが初めてじゃないだろうし、きっと最後でもないよ!ただ、僕は君と繋がりたかったんだ。気持ちが不安定なときに君を近くに感じたかったんだ。そして、君が大丈夫かも知りたかった。絶望や恐れ、恨みに屈していないように。それは簡単なことじゃないし、この先も簡単にはならないだろう。残念ながら、僕らが住んでいる世界を変えることはできないし、人間性に潜む影について理解することもできない。でも、色々なチャンスの中で、自分自身を変えることで、世の中に見たい変化へと貢献することができる。だからこそ、憎しみが呼び寄せるとき、その形を変えられるのは愛しかないんだ…

愛を込めて,
Alex

「午前4時に裏通りでライバルのギャングメンバーに出くわすよりも、愛はもっと恐ろしいものだ、友人たちよ。だってな、心の奥底では、その出会いがその後の人生を変えるだけでなく、自分の家族、近隣、コミュニティに影響を与え、人の視点や信仰心をに影響するかもしれないって分かっているからだ。被害者として生き、振る舞うための言い訳を探している人にとっては、恐ろしいことだよ。愛は打ち勝つことが最も難しい敵、そう、自分自身に挑む究極の力を与えてくれる」ブラザー・ラブ・マウンテン (1)

(1) 彼との連絡はもう随分昔に途切れてしまったから、ニックネームとして”ラブ・マウンテン”を使ったよ。僕が伝えたかった全体的なメッセージにおいて、彼の実際の個人的な状況や、彼を特定する必要、彼の同意を得る必要はなかった。彼の言葉は、その日の彼の話から、僕が把握したことを自分の言葉で言い換えたものだよ。