愛が街にやってくるとき

僕は数日間、マネジメントファミリーから、ビル、ジェニー、マイケルとジャクソンを歓迎する恵みがあった。新しいプロジェクト『Kimiyo』からのファーストシングル「A Silent Stream」をリリースした素晴らしいタイミングでね。それに、再びアルバムを始めからやり直すために、Mikkoとのプロダクションを一時的にストップすることにした時期だったんだ。4日間、彼らと過ごす時間は、僕にとって必要な再会の時間だった。ここ2ヶ月間は僕にとって、感情的にジェットコースターのようだったからね。だから、ほぼ全てをストップして、色々なことを明確にする時間にしようと思ったんだ。特に、これまで急ぎ足でやってきたスタジオ制作から、徐々に、精神的に満たされ、心の解放によって駆り立てられるライブリハーサルへと移行しつつあるから。夏のツアーも近いし。だから、明瞭さは必要なだけでなく、不可欠なんだ。

ここ数週間はクリエイティブなライブモードに欠けていた。たとえ、適応しようと頑張ったり、合わせようと頑張ったり、これは新しい自分なんだという理由をつけてごまかそうとして、自分がしていることはエキサイティングでポジティブだって思い込もうとしても(たとえ直感的な声が、今作っているものは自分とは全く関係のないものだって繰り返し強く言っていても…そして思い起こせば、その声は全く正しくて、それが自分ではなく、昔のでも、新しい自分でもなくなっていたんだ)音楽はあらゆる合理化から解放される必要があり、また、自由な流れを制御しようとする任意の試みからも解放される必要がある。少なくとも僕にとってはそうなんだ。だからこそ、ツアーをしたいとずっと思ってたんだよ。だって、広いステージで見る光景はきっと今は別のものとなり、それが本来の自分を再び取り戻すのに重要なリセットになるって分かっているから。そして、それこそ僕の新しいファミリーが与えてくれたことなんだ;視点、励まし、導き、再確認。
とはいえ、僕の現在の個人的および職業的な状況を再構築しようとしている重要な決定に加えて、彼らが僕らの施設とインフラの全スペクトルを把握する素晴らしい機会でもあった。そのためには、その雰囲気を感じることが必要だから。そして、そうするためには、どれだけ多くの写真や動画を送っても、僕の大切な仲間たちに会わずに、その現象的な雰囲気を感じるのは不可能だ。だって、彼らこそが、僕らのユニークなセットアップの本当の心だから。全ては、人となりについてなんだ。ここ数年でどれだけ素晴らしい帝国を築こうとも、どれだけのことを達成しようともね。それを一人でやってのけて来たのだとしたら、それは、最も悲しいことであり、そこは魂のない空間になるだろう。エコーチャンバーとしてデザインされるなら、利己的な王国を持つことに満たされた感覚はない…それは、避けられない劣化を通して消え去ることを運命付ける声だ。だから、そんなものにどんな意味がある?不毛な王国の孤独な王様になるよりも、自分自身よりも、もっとずっと良い何かの一部になる方が誇らしいと思う。それと同じ価値の基に、マネジメントチームへの僕の関わりがあるんだ。全てか、無か、なのさ。

実際、新しいファミリーメンバーたちと過ごせば過ごすほど、僕が見つけた人たちと経験している深い喜びや、並外れて本物で飾らない関係に自由に浸れることが、どれだけ恵まれたことかに気づく。数え切れないほどの関係性の無形の要素に今でも驚くけど、“In De Goot”のメンバーとして、迎えられたときには予想できなかった要素は、彼らの思いやりによって、自分自身を学び続ける幅広い方法と、彼らの寛大な支援と信頼を通じて、僕の心と魂がどんどん拡大していくことだった。少なくとも僕が認識できる結果は、アーティストとしての自分を再発見できたこと。そして、僕や僕のアートを信じる彼らの心が、全てを可能にし、目的あるものにし、インスピレーションを与えるものにしてくれている。

心臓手術のあと、マネジメントを見つけるのは必要不可欠だっただけでなく、僕は本物のパートナー、本当のコラボレーター、そして僕と一緒に成長してくれる同じ考えを持った個人の集まりを探していたんだ。これまで音楽ビジネスに関わってきたから、僕には明らかだった。同じような精神を持った仲間たちと一緒に成長することを期待するのは、純粋に愚かであるか、幻想的な夢であることを知っていた。これはビジネスだ。そして、たとえ僕がアーティスト兼実業家でも、人とコミュニティ価値が事業の核心であるだけでなく、僕自身の核でもあるんだ。僕が築いているもの、作っているもの、体現しているもの全ての要だよ。だから、ビジネスに特化した契約を結んでいたら、それこそ自ら大きな過ちを犯していただろう。結果として、家族の価値に基づいて展開しているマネジメント会社を見つけただけでなく、コミュニティとして、協力的なチームとして、動くユニットとしてオペレートしていることは、僕にとって素晴らしい恩恵だ。信じられなかったよ…Jeffにとってもね。正直、それを望んですらいなかったことは、恵みだと思う。それでも、僕らは今ここにいる。これまでないほどに僕は恩恵を受けているよ。僕はとても嬉しくて、平穏を感じ、支えられていると感じる。だからこそ、自分をもっと良くしていき、自分のアートを素晴らしい”作品”にできるよう、強く決意したんだ。

そこには”コスメティック”なタイプのビジネス契約はなく、本物の人生の滲出液を生むことができる。それはスタジオにいるような感じなんだ。全てを完璧に、整って、美しく、磨かれた音のようにもできる。まるで大衆に売る準備ができているプラスチックの取るに足らないもののように。白い発泡スチロールのカップのようにね。それはどこにでもあるんだ。安くて、便利。それが、永遠に取り除かれることのない、地球にとっての毒物の一つであり、プラスチック製の袋や6本パックのリングのように、どんな種類の水域にもいる生物を殺すことになると気づくまでね。自分の直感を信じることに”魔法”が存在する一方で、自分が見つけたものを自らが体現するために、目に見えない解放の道へと飛び込むことにおいて、その2つの間にある違いはシンプルに、プライスレスな中国の明の花瓶と、百均で世界中の人が何度も何度も買いまくっている品質の悪い品物って感じ。花瓶は花瓶だ、そうだろう?いいや、違うのさ。レプリカはレプリカであって、どれだけ上手く偽造されていても、その事実は変わらない。僕にとっては、本物vs形式、家族vsシェアホルダーって感じ。死は、更なる死を生み、命はいつだって人生を創る力を持っている。それはその本質にあって、僕が探しているのはそれなんだ。
だから、約1年間、一緒に仕事をしてきて、バンドの本部にあるUpper Room教会スタジオのステージの上で、バンド、チームメンバーとIn De Gootの代表たちに囲まれながら、正式にビルとマネジメント契約を結んだことを本当に光栄に思う。その全てが良い金曜日に行われたんだ。それは、全てを完璧に表していたよ:一つの時代の終わり、そして、自由に永遠に続くものの復活の時代。他のアーティストたちにとって、同じ幸福の感覚かは分からないけど、僕にとっては、というか、グループとしてと言うべきか、それはただシンボリックなだけでなく、奉献というのでもなく、もっとずっと深いものだった。”これだ”って言う表現以上に良い言葉が見つからないんだ。僕をより深みへと進ませてくれる。”早く”到達しようとしたあと、深みへ向かうことこそ、大事なんだ。僕にとってはそうだし、それを僕は求めている。
昨日、彼らを空港まで見送るのが寂しかったよ。一緒に過ごした4日間は、あっという間に過ぎていった。たくさんの笑いと、深みある考えと、共通のヴィジョンと、優しさに溢れていた。もう既に彼らが恋しいよ。物事が正しいとき、それは正しいんだ。そして、彼らと過ごした時間は、ただ正しいだけでなく、全てにおいて完璧だった。

彼らが残してくれた素晴らしい贈り物で、この日記を締めくくるよ…

“忘れるな、Alex。私たちはありのままの君が大好きなんだ。君のポテンシャルや、成し遂げられることについてではなくてね…自分の直感を信じなさい”