エディション39
病院での検査日、生と死の狭間で

だいぶ前から決まってたこととはいえ、朝から晩まで病院で検査を受けまくって、専門医をハシゴするのが「最高に楽しい時間」とはさすがに言えないよね。でも、モントリオールに戻ってきた理由は、まさにこの健康チェックのためなんだし、仕方ない。

もともと、自分のバタバタした生活スケジュールの中で予定を動かすのはあまり好きじゃないんだけど、今回はどんな予定があろうと、どこから飛んでこようと、絶対に行かなきゃいけないって分かっていた。ここ数ヶ月、目眩を感じたり失神しかけたり、極度の疲労、記憶の抜け落ちが何度もあったんだ。それでも、この3週間ほぼ毎日続いた激しい頭痛に比べたらまだマシなほうだけど。だから、もしこの状態を深刻に受け止めずに放っておいたら、それこそ完全に自分の怠慢だと思うんだ。
病院に対しても、自分が病院にいることに対しても、なんというか…かなり複雑な関係があるんだよね。いわゆる“嫌い嫌い”の関係(そう、嫌い嫌い)。たぶん、幼少期に遡るんだと思う。子供の頃は、ほとんどをモントリオール小児病院で暮らしてたようなもので、そのせいで自分の家だと勘違いしてたくらいなんだ。3歳から7歳の間、ある時期は自分の両親よりも看護師さんやお医者さんたちと過ごす時間のほうが長かった。でも、それが“普通”だったんだ。だから、よく母さんに冗談で「あそこって家賃払わなくていいの? それとも、単に父さんと二人きりの時間が欲しかっただけ?」って笑いながら聞いてたよ。でも母さんはいつも全力で「どうしてそんなこと笑いながら言えるの?! 私たちは毎日、毎日、あなたを失うかもしれないって思いながら生きてたのよ!!!」って怒るんだ。まぁ、自分の“悲劇”に関して、ちょっと変わった笑いのセンスがあるのは否定しない。でもこれは…さすがにシャレにならないよね。特に母さんにとっては。僕の母さんは本当にもう、世界最強に肝の座った人なんだ。どれだけ大変なことがあっても、信念も、強さも、優しさも失わなかった人なんだよね。うまく言えないけど、彼女にはなんか特別なものがあるんだ。もし聖人認定ってまだあるなら、母さんは確実に候補に入るべきだよ。「でも、彼女が起こした奇跡って何?」って思うかな? それはもう間違いなく、僕を育て上げたこと!!! 思春期の僕を乗り越えて、しかも「いつかはちゃんと道を見つける」って信じ続けてくれたんだから。それは今でも変わらない。もしこれを読んでるなら、母さん(いや、絶対読んでる。母さんはこういう個人的な投稿を全部ファクトチェックするから。うん、侵略的で不気味で怖いけど、おかげで僕も正直でいられるってことだよね?!)、愛してるよ、母さん 😉
とにかく、話がそれたね… 僕の“嫌い嫌い”な病院との関係。でも正直なところ、考えてみれば、この嫌悪感は子供の頃の長期入院とはあまり関係ないのかもしれない。だって、病院のスタッフのみんなは本当に優しくて、親身になってくれていたし、すごく気にかけてくれていた。みんな口を揃えて「君はきっとお医者さんになるよ!」って言ってたし。いや、もちろんだよね? …まぁ、ある意味ではなったのかもだけど。大学の専攻的には社会福祉士を取ったからね。(…いや、ほぼ、かな。音楽にどっぷりハマっちゃって、卒業に必要な単位をいくつか残したまま終わっちゃったんだ)だから、子供の頃はクリスマスを何度も病院で過ごすことが悲しいとか辛いとか、そういうふうには思ってなかった。それが僕にとっての“普通の生活”だったんだ。ただ、両親が毎日病院に来て、僕を見るたびに泣いて、帰るときも泣いてたのが不思議だった。しかも、いつも面会時間を大幅に過ぎてたし(5歳にして病院のルールをぶっ壊す悪影響っぷり… 医者になる? まぁワンチャン。でも反逆児? それは間違いなく!)。子供って、自分の置かれてる状況を深刻に考えたりしないんだよね(…いや、本当は考えるべきだったのかもしれないけど)。だから、自分の現実がどれだけ厳しいものだったとしても、僕にとってはそれが当たり前で、特別なこととは思ってなかった。ただ、両親が泣いてばかりいるのは気になった。なんか悪いことしちゃったのかなって思った。でも違った。ただ単に、僕が酷く病気だっただけ。それだけのこと。少なくとも、13歳~17歳くらいの僕になるまではね。そこからはもう、完全に“何か”悪いことばっかりやってたし、“間違い”そのものだった(笑)でもさ、それまでの人生の分を取り戻さなきゃって思ってたんだよね?!

僕の病院に対するイメージは、多分、幼い頃に経験した病気や死の影響が大きいんだと思う。最初は、同じ病室の子たちが次々と“いなくなる”ことから始まった。その後、彼らの家族が病院の廊下で泣き叫ぶ声が響く。僕が「誰かがイエス様のもとに行った」と初めて聞いたのは、そもそもその“イエス様”が誰なのかを知る前だった。大好きだった祖父のヘンリーが亡くなったのは、僕が6歳のとき。祖母のマンセは57歳で亡くなり、僕がまだ十代前の頃だった。祖父のジャックが亡くなったのは僕が13歳のときで、その頃、叔母も42歳で癌により旅立った。そして、その後も次々と…。もちろん、死が人生のサイクルの一部なのは分かってる。大人になれば、その現実を理性的に理解できる。でも、それが自分の心の奥深くに突き刺さるまでは、本当の意味で理解できてないんだ。僕の場合、それは父の最期の瞬間に立ち会ったときだった。病院のベッドに横たわる父が、最後の息を引き取るのを目の当たりにした。彼は61歳で逝った。癌の発見が遅れたせいだった。何年もの誤診の末に、やっと分かった頃にはもう手遅れだったんだ。「フォスターさん、それは気のせいですよ。心配する必要はありません」…いや、気のせいなんかじゃなかった。癌は頭の中にはなく、膵臓、前立腺、肺、リンパ腺… 体中に広がっていた。まるで冗談みたいな“見落とし”だった。でも、それを責めるのは簡単なんだよね。実際には、無数の命を救う正しい診断がある中で、たまたま僕の父はその“間違った診断”の側に立ってしまった。ただ、それが自分や大切な人の身に降りかかると、どれだけ理屈を並べても、感情がそれを押し潰してしまう。父を失ったことで、僕の中には言葉にできないほどの重さが残った。どれだけ理性を働かせても、それが慰めになることはなかった。受け入れることはできても、癒えることは決してないんだと思う。
だから、今日の病院での検査だけど… 正直、何を期待すればいいのか、何を考えればいいのか分からない。生きてる。それ自体が奇跡だ。でも、命を救われて以来、気分が良くなったとは正直、言えない。いや、誤解しないでね。本当に、心の底から感謝してるんだ。この「第二のチャンス」は、一生忘れないし、大切にしてる。毎日、それをちゃんと噛み締めながら生きてる。僕の母さんも、僕が「やるべきこと」よりも「やりたいこと」を優先する性格だってよく分かってるからこそ、こんなに真剣に「新しい人生」に向き合ってるなんて想像もしてなかったらしく驚いているんだ。だから、僕がICUでの10日間の“バカンス”を終えて退院する直前、担当医が「最悪の事態」をチラつかせながら、リハビリをちゃんとやるように説得しようとしてるのを見て、母さんはこう言った。「先生、うちの息子は自分のソーラーシステムの中で生きてるんです。ちゃんとズバッと言わないと、絶対にあなたの指示なんて聞きませんよ。」ほらね、うちの母親って、なかなか手強いでしょ?でも、結果的にはそれが良かったんだ。僕の担当医は、はっきりこう言った。「言われたことを守らなかったら、5年以内に死ぬよ。ここまで君を救うために尽力した人たちの努力が、全部ムダになる。」ロマンチックさの欠片もない言い方だけど、とても分かりやすい。僕にとっては、逆にそれがすごく響いた。でもね、正直に言うと、そんなことを言われる前から、もう分かってたんだ。この文章を読んで、「なんか軽く流してるな」って思うかもしれないけど、そんなことはない。本気で受け止めてる。これは、僕にとってとてもリアルな話だ。毎日、毎秒、ずっと。

正直に言うと、心配なんだよね。今、僕が抱えていることが「普通」じゃないってことは、さすがに自分でも分かる。去年の検査結果も気になる内容だった。特に、生体弁の劣化が予想以上に早く進んでいて、このまま悪化すれば深刻な事態になる可能性がある。だから、今日の検査で何が分かるのか…? 正直、分からない。願わくば、事実と、そして良い知らせを。僕は、何よりも「ごまかし」が嫌いなんだ。病院にいるのが嫌だって言うけど(まあ、自分が患者の時はね)、大切な人たちが病院にいる時は全力でサポートしたいと思ってる。矛盾してるよね? でも、人間ってそんなもんだと思うんだ。僕は担当の専門医たちを心から信頼してるし、その中でも特に、心臓専門医とはすごく親しくなった。彼は、ただの医者じゃなくて、大切な友人でもあるんだ。実は、家族でバンドをやってて、うちのスタジオで一緒にレコーディングもしたことがあるんだよ。本当に思いやりのある素晴らしい人で、僕の身体のことだけじゃなく、術後の精神的な苦しみや、今も続いてる認知機能の問題まで寄り添ってくれた。だから、僕は最高の環境にいるし、心から感謝してる。それだけでも安心できるし、すごく恵まれてると思う。あとは、もう僕の手の届かない領域の話だ。自分にできるのは、全体の流れに身を委ねて、そのプロセスを尊重することだけ。「手放すこと」にも感謝の気持ちがあるんだよ。コントロールしようとする幻想を超えたものを信じること。現実を歪める錯覚に縛られずにいること。それが、今の僕の課題なんだ。
さて、どうなることやら…検査結果が出るのは数日後だから、その時にまた報告するよ。でも、その頃にはもうヴァージニアの家にいるはず。病院を出たらすぐに向かう予定だからね。それにしても、2024年の1月に出発してから、家にいたのはたったの2週間だけなんて… 信じられないよ。今、僕の身体も、心臓も、魂も求めているのは、まさにそれなんだ。心から安らげる、唯一無二の場所での、意味のある時間。そう… “HOME”(家)で過ごすこと。

温かい愛情をありがとう。これ以上に力をもらえる贈り物はないよ。みんなは僕にとって本当に大切な存在だ。 元気でいてね。そして、時間があるときに近況を聞かせてくれたら嬉しいな。

君の友人であり、兄弟
Alex

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