ギターに3本の手、けれど心の表現は1つ

コラボレーションや人と集まって創作をする時に最もチャレンジとなる側面は、同時に最もやりがいのあることでもある。僕ら一人一人の一部が合わさって全力を発揮しているのを見ることができるから。誰もが自分の心を深く掘り下げ、曲が伝えようとしている感情を助けるものに触れないといけない。クールなものや、良いもの、素晴らしいものを見つけようとすることについてではなく、ミックスに自分のシグナチャーを加えようとすることについてでもない。自分という概念は全体のプロセスの一番小さなものであって、自分の役目は無意識の中を浮かんでいるものを表現し、注意深く集めて、全体の動きへと引き渡し、ゆくゆくその全てが形を変え、再定義され、一つのユニークな実体として生まれ変わるのを見る。まるで、環境アーティストTan Zi Xi、Swaantje GüntzelやHA Schultみたいに。彼らの作品の一部を見たら、ただのゴミやクズでしかない。誰も気にしないものさ。でも、それが合わさると、全く新しい世界が出来上がるんだ。アート作品はクリエイターの頭にあるメッセージを映し出すだけでなく、より重要なことに、それを見るだけでなく、感じた人たちに個人的な感覚を呼び覚ます。それは公に経験される個人の親密性だ。それが他の人たちと一緒に作品を作ることに対する僕の考え。それは僕ではなく、僕と彼らでもなく、僕らでさえなく、本当に重要なのは、掘り下げた集合体から何が現れるか…
だから今日は、「Up Til Dawn」の本質を探りながら、バンドメンバーたちが曲を解体している間、自分の感情をギターで表現しようとしていたBenの隣に立って、Benが弾いている間、僕が彼の楽器を叩いていた。僕はメロディーを口ずさみ、そのパートをどう弾いて欲しいか伝えていたんだ。それは、興味深くて、面白い光景だろうね。もしも、歌うことが僕の最も脆弱な側面だとしたら、それは感情と繋がり、交流する間、僕が曝け出されているからで、強調されるべき感情を表現するために、どんな楽器をも手にすることを(たとえ他人のでも)躊躇ったことはないんだ。プロセスのどんな時点でも飛び込むことについては、複雑だと感じないのさ。特にアイデアがないこともあるけど、停滞しているように見える時に、ポジティブなエネルギーをもたらすことは、しばらくの間、望むものに触れられないフラストレーションから、みんなを解放する力を持っている。
みんな僕の表現豊かな行動に慣れているから、何かを叩いていないときは、Mooseのドラムの前でダンスして、欲しいリズムを体で表現したり、Miss Isabelのステーションを乗っ取って、僕の頭の中で、彼女がどうやって音(色)を出せるか見せたりしてる。クラリネット?違う。フルート?違う。サクソフォン?違う。トランペット?違う。キーボード?違う。ピアノ?Moog?ローズピアノ?違う、違う、違う!!!「あぁ、君の声をちょっと捻ってそれをループにできる?」そして、いくつかの音を試したすぐあと、僕は「それだ!!!そう!やった!!」となる。簡単だろう?

僕は、そういう活気に満ちたエネルギーの注入が常に新しい創造的な軌道を引き起こす方法を見つけると信じている。それは本当の変革を引き起こし、だからこそ誰もが僕がBenの前で狂乱したジェスチャーをするのを見てワクワクしていたんだ。みんな、それが再び熱意を呼び起こし、バンド全体を負の軌道サイクルから押し出すだろうと知っていた。そして、そうなったんだ。Benは自分の炎を表し、心からのメロディックノイズ、激しさと、心酔させるようなダイナミクスの混合で曲全体に熱を与えた。他のメンバーもそれぞれ独自の言語で参加したよ。まさに”これ”だった。そして、Miss Isabelの最善の努力にもかかわらず、サックスはやっぱりNoだった!