心と魂の鏡

僕らは午後ずっと曲を聴き続けた。Benと僕は静かに涙したよ。当時、書いた歌詞が今の僕らや、葛藤しているものとそう遠くなくて。心の苦しみには、複数の形があるのさ。それは、恋しいと思う人だったり、自分で育て続けた後悔だったり、無駄にした日々や年月だったりする。そして、また今の自分たちがいる場所への感謝でもある。共感を持って過去の自分を見たり、共に生きることを学んだ癒えない傷を感じたり、今でも隠したり、否定したりする傷を感じたり。このプロセスの精神的な側面はデリケートなものだ。どの曲が良いか、悪いかではなく、それはそのバージョンの自分を見ないわけにいかない鏡のようなもの…誰が誰?誰が鏡に映った自分で、誰が本当の僕?本当の僕が、もしも、そこにいるならね。コンセプトについて話すのはクールだけど、自分に正直になって、直面することはそこまでクールじゃない。それを受け入れることは尚更だ。僕の場合、「Up Til Dawn」という曲の2番目のセクションで、親密な自認と明瞭さが僕を襲った。鏡、それを変装や偽物で粉々に壊すことができるのと同じくらい、いつだってその粉々になった破片の一つ一つが倍増して真実を映し出す。怖くて見ないようにしているものを否定するのは難しい。それが現時点でのリスニングプロセスだよ。解放的であるのと同じくらい恐ろしいものだ…

昨晩は、感情的に少し混乱したままベッドへ行った。それは僕の場合、とてもポジティブな状態なんだ。人に見られることへの恐怖を取り除いたとき、ダメージを受けた破片の一つ一つに、語るべき物語があると知っているから…