アレックス·ヘンリー·フォスター:記憶という風に開かれる窓

掲載:Daily Rock

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アレックス·ヘンリー·フォスターのニューアルバム『Windows in the Sky』がチャート上位をキープする予想外の成功を受けて、Daily Rock Québecは喜んでこの素晴らしいアーティストを紹介する。2つの大都市をまたぐ空の上で、クリエイターであるアレックス·H·フォスターは、親密、且つ表現に富み、そして高評価を受けている、このアルバムについて我々の質問に答えてくれた。

PS:インタビュアーJérôme Go-dreault曰く、このアルバムの心震えるような、何かを思わずにはいられないサウンドは、かつてレナード·コーエンに感じたものと同じものを連想させる、とのこと。おめでとう、そしてありがとう、ミスター·フォスター。

JG: アレックス・ヘンリー・フォスターって誰?どこから来たの?

AHF: 答えるのが一番難しい質問から始めるんだね…!そうだな、シンプルに僕は、音楽、詩、スケートボード、野球とビデオゲームが大好きで、マッカイ&レナードという2匹の犬の父親だ。3年ほど前にYour Favorite Enemiesと一緒に北米ツアーをしていて、その最後の地、テキサスのオースティンで2匹を引き取ったんだよ…

僕の生まれはモントリオールだけど、子供の頃は引っ越してばかりいたから、どこで育ったか特定するのが難しいな…

学生の頃はソーシャルワークについて勉強して、数年前Your Favorite Enemiesとしてフルタイムで音楽への情熱に献身する前は、モントリオールの南海岸にあるHLM(家賃が統制されている家)のコミュニティで性的暴行などの被害にあった子供たちのケアをして働いてた。

JG: いつ、どのような状況で音楽を作り始めたのですか?

AHF: 覚えている限り、僕はいつも音楽を作っていたな。恥ずかしい家族のアーカイブに隠されてるカセットの中には、ノンストップで歌う僕の声に両親がクレイジーになってる様子が記録されてるはずさ…そして、音が出るもので、壊れそうなもの、深刻なダメージを与えられそうなものなら何でも使ってうるさく音を出していた…

十代の頃はパンク/ハードコア/ノイズバンドに傾倒していたから、Minor Threat、Ramones、Gang Greenなどを流しては、クレイジーになれる人たちの輪を広げていったんだ。友人の両親たち、近所の人たちや学校のソーシャルワーカーたちを不快にさせながらね。上手くないってだけじゃ、僕の情熱を止めることはできないんだって理解した人たちに心配もされながら。

でも、働いていたコミュニティ団体にインターンシップに来たセフ(Your Favorite Enemiesのギタリスト)と出会ったとき ーそして同時にセフの弟であるベン(マルチ楽器奏者&プロデューサー)とも会ってー 僕の音楽への情熱が真剣に危険なものから、危険なほどに真剣になったんだ。そして、僕らはバンドYour Favorite Enemiesを結成し、学校を去って、素晴らしい人生が待っていたであろう普通の人生と良き息子たちであることを捨てたのさ。

その後のことは、インターネットの暗闇のどこかに記録されてるはずさ!

JG: あなたの音楽的インスピレーションとアーティスティック・プロセスは何ですか?

AHF: たくさんある、って言えるけど、まず何よりも、本物であり、正直でなきゃいけない。僕のプロセスはおそらく、事前にプロセスを作らないことかも。僕は驚きたいし、予想を覆されたい。だからこそ、日本の伝統音楽から、同時にNick Cave、Swans、Fugazi、Mats Gustafsson、伝統フラメンコ音楽やThe Cureを同じ夜に聴けるのかもしれない…全てはそこにある感情なんだ。それがどんなものであろうと、僕にインスピレーションを与えてくれる。

JG: これまでメディアで伝えらえてきたこと以外に、ソロアルバムを制作しようと思った理由や、どう制作したのか教えてくれますか?

AHF: ちょっとアクシデント的に起きたんだよね。僕は北アフリカに向かったんだ。というのも、Your Favorite Enemiesと5年間に渡ってツアーをしたことで、肉体的にも精神的にも疲れ果てていたから。最後に楽器に触ってから1年くらい経ってたかな、けど現実と向き合わなくて済むよう、そして当時の心境をさらに悪化させないために心の奥深くに埋めた感情と向き合って、受け入れるために詩を書いていたんだ。

そして、映画のサウンドトラックに取り掛かるためにベンがタンジェに来たんだけど、色々と話して、僕が表現できなかった感情を音楽にするよう励ましてくれた。そうして、徐々に1曲、また1曲と出来上がっていき、結局は人生のある時期を象徴するアンサンブルになったんだ。それをアルバムとして発表する気はなかった。だって、その言葉やサウンドや感情を吐き出したあとに、また再び向き合いたくなかったし、こうやって今みたいに公に話すのも嫌だったからさ…!結局、Your Favorite Enemiesの他のメンバーたちが僕を説得したんだ。そうすることで、僕は自由になって、その本質を受け入れられるはずだって言ってね。彼らは正しかったよ。

JG: もしも状況が違っていても、このアルバムはリリースされていたと思いますか?

AHF: このアルバムが日の目を見ることはなかったと思う…今後、世に出る音楽と同じようにね。

JG: 最新アルバム『Windows in the Sky』について、よりオープンに話してください:

AHF: これは個人的なアルバムだけど、そこにある正直さが、分かち合うことや交流することへと招待している。他の人たちの目を通して、彼らが自分なりに受け取るのを見て、僕もこのアルバムの本質を再発見してるんだ。

JG: このアルバムはあなたの期待に応えていますか?その素質は何でしょうか?

AHF: 僕は期待なんてしていなかった。Your Favorite Enemiesと一緒に制作したものに関しても、期待なんてしたことはない。僕にとって、アートとクリエーションは、そこに注ぐ正直さに限ると思ってる。自分をさらけ出せば出すほど、今作っている瞬間、自分の中にあるもの以外、注げないという事実を受け入れていく。それこそ、僕としては、全ての創作が時間とともに自然に進化していく理由なんだ。過去に作ったものを新しい視点で見ることによって、その作品は今現在のものになる。創作は自分たちが成長するのと同じだけ進化するんだ。少なくとも僕はそう考えてる。

JG: 星10コを満点として、このアルバムはいくつですか?

AHF: アートへの点数評価は信じてないんだ。アート作品を評価する人間を嫌うアーティストだっている。僕としては、シンプルに視点が一番大事だと思う。『Windows in the Sky』の航海へと身を解放した人たちが持つ考えは、僕のと同じくらい正しいものだ…批評を恐れたりはしないよ。だって、作品が分かち合われたら、もう僕だけのものじゃないから。

JG: アルバム制作に協力した主な人たちは誰ですか?またどのスタジオでレコーディングしましたか?

AHF: ベンはこのプロジェクトの裏にいるマエストロだけど、YFEのメンバーたちも少しずつ参加してるよ。彼らに参加してもらうのは必要不可欠だった。

プロダクションについては、3つの場所で、全く変則的なコンディションで行われたんだ。タンジェに建てたスタジオから、旧カトリック教会をリフォームしたプロフェッショナルYFEスタジオ、そしてバージニアの高地にある創作ステーションさ。

JG: アルバム『Windows in the Sky』の曲をYFEと一緒に演奏することは今後ありそうですか?

AHF: そう願ってるよ!僕がライブでこのアルバムを分かち合いたい場合に、バックアップが必要だったら、こういうことができるよっていうレジュメを既に彼らから受け取ってる!だから、オーディションを開催するよ。シリアスでプロフェッショナルなプロジェクトだからね!

JG: このアルバムの成功に続いて、YFEの未来をどんな風に見ていますか?

AHF: 僕としては、とてもシンプルさ。というのも、成功とかキャリアというものをあまり考えずに音楽をやってるからね。これが僕さ:アルバム『Windows in the Sky』を聴いてくれた人たちが自分なりに受け取ってくれたことに、すごく喜んでる。でも、それが今後来たるものに影響することはない。そして、僕をよく知る人や、YFEを大事に思ってくれてる人たちは、それを理解しているし、応援してくれている。バンドメンバーにとっても同じ何だ。僕らは、何よりもまず、家族だ。今後来たるものは、僕らが経験し、創作し、分かち合いたいことに基づいて決められるのさ。

JG: このアルバムに続くかたちで、映画のプロジェクトに取り組んでいると聞きました。それについて教えてくれますか?

AHF: みんながYFEの新作を待ち焦がれている時に、僕自身のソロアルバムをサプライズ・リリースした後で、”キャリア”のために最もロジカルな決断は、YFEでもアレックス・ヘンリー・フォスターでもない、第3のプロジェクトを発表することで、僕のアルバム『Windows in the Sky』についてのインタビューでそれについて話すことだった…!僕がYFEのインタビューを頼まれない理由が、これで少し分かったでしょ 😉

JG: なぜ日本なのですか?この新しいアルバムやYFEでもそうですが、この国と何か特別な繋がりがあるのでしょうか?

AHF: ああいうタイプのイベントを日本で開催することは、僕にとって大事だったんだ。

日本の人たちとは、特別な関係を持ってる。とても親密なね。自殺防止のプロジェクトから、ビデオゲームFinal Fantasyのサウンドトラック参加、または毎回、音楽やその他のプロジェクトを共有しに日本に行くたびに、家族のように歓迎してくれる特権とかね。

そして、東京で開催することは、自分で命を絶ってしまったあるファンのご両親との約束を達成する意味もあったし、音楽を通してでしか時に表現できない感情を、僕のように、本当の自分を上手く表現できないと感じている人たちと一緒に共有する方法でもあったんだ。

JG: このアルバムで世界ツアーを行いたいと思いますか?

AHF: もちろんだよ。でも、何をシェアして、どういう風にやりたいかを決める必要がある。今もまだそれについて色々考えてるところなんだけど、特別な”瞬間”を過ごしたいとは思ってるよ。これまでのようなロックツアーじゃなくてね…

JG: このアルバムでは、歌詞が重要な役割を果たしているように思えます。この歌詞はこのアルバムのために書かれたものですか?そして、歌詞が先に出来上がり、そこに音楽をつけていったのですか?それとも逆でしょうか?

AHF: いつも歌詞が最初なんだ。それってすごくレアだよね。普通は音楽が先にきて、それに合う歌詞をつけるから。でも僕の場合、YFEだろうと他のプロジェクトだろうと、いつも歌詞から始まる。アルバムで探りたいヴィジョンについて考えながら言葉を溢れさせるんだ。

JG: 複数人とアルバムを聴いたあと(みんなから好評でした)ディスカッションをしたのですが、そのうちの2人は、ところどころ、音楽が不必要に長く感じたと言っていました。それについて、どう思いますか?

AHF: 多分8曲のアルバムで60分以上にもなるオーケストラのようなノイズ音楽と詩の朗読だからじゃないかな…!でも真面目に『Windows in the Sky』は、何よりもまず、旅路になるようにできていて、どれだけ自分を浸すことができるかによって、それは適切だと信じてる。みんなそれぞれ音楽の聴き方は違う。僕にとっては、これが自分を表現する方法だったんだ。自分が感じたことをそのまま分かち合う以外、自問自答なんてしないようにした。でも、そういう人たちが何故そう感じたのかも良く分かるよ。それこそが、分かち合いの美しさであり、他の人たちにアルバムを経験してもらうことの美しさだ。

JG: アレックス・ヘンリー・フォスターは同じタイプのセカンドアルバムを制作するアイディアを持っていますか?そして、それは同じように成功すると思いますか?

AHF: 僕のディスコグラフィを見てもらえば分かると思うけど、特定のジャンルだけをずっとやったりできない人間なんだ。同じ波に長く乗り続けるためや、成功のためにすべきことをやるっていう決断ができない奴なんだよ…!詩吟(日本の古い歌の形態)とアヴァンギャルドなノイズを組み合わせて何かしたいなって夢見てるくらいだからね。もしかしたら、これを機に君は僕に二度と質問したくなくなるかも!だからこそ、このインタビューで答えの長さの新記録を出したかったのさ!

Jérôme Go-dreault
2018年12月08日

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