CCMよりアーティストへの質問

掲載:CCM Magazine

原文はこちらから

アーティスト名:
Alex Henry Foster (& The Long Shadows)

年齢:
気にするには若すぎて、心配するには遅すぎる年齢
これは母からの受け売りさ!

ジャンル:
Post-Rock / Art Rock / Progressive

出身地:
Montreal, Quebec, Canada

レーベル:
Hopeful Tragedy Records

音楽以外の趣味/興味:
アート全般に触れて、驚く体験が好きだけど、建築物、特に古い家を見るのが好きかな。野球とスケートボードと同じくらいにね。

最近ハマっているNetflix:
Who Killed Malcolm X?

影響を受けた音楽:
影響を受けたアーティストはたくさんいるけど、もしもトップ5を順不同で選ぶとしたら:The Cure, Sonic Youth, Glenn Branca, FugaziとNick Caveかな。

初めて買ったアルバム:
The Cureの『Standing on a Beach』が初めて買ったLPだったよ。(The Clashの『London Calling』と一緒にね) 


Q&Aインタビュー

1. 音楽的キャリアを歩もうと決意したきっかけは何でしたか?

大学1年のとき、僕は既にモントリオールの南海岸にあるコミュニティセンターでソーシャルワーカーとして働いていたんだ。主に治安の悪い街に新しく越してきたキッズたちが生活に慣れるように手助けしていた。家庭内で喧嘩が絶えないとか、ギャング抗争の間や、組織的な人種差別、文化の壁の中でできる限りナビゲートしたり、中流階級にいる人たちが怖がって、批判して、どこか違う場所へ移ってくれと抗議する中で、置き去りにされたコミュニティの人たちの孤独や絶望になんとか対処しようとしていた。こういう人たちには、新しい生活を営もうという希望すらないんだよ。

そして、新しいインターンを迎え入れた時に、彼がギターを弾けるって知ったんだ。ティーンの頃にモントリオールのアンダーグラウンドシーンで、様々なバンドとつるんだり、僕自身もいくつかバンドを組んで、たくさんの時間を過ごした経験があったから、とても興味を持った。そうして、暴力が横行し、緊張が高まっていることで知られていた公園で、小さなコミュニティ・コンサートを開催することにしたんだ。キッズからおじいちゃん、おばあちゃんまで、彼らはみんなそれぞれの不幸を生きていたよ。ある意味ね。お互いを傷つけ合おうとしている人たちを一つの場所に集めることに、リスクがあることは分かっていた。けど、彼らを一つに結ぶ方法はあるって固く信じていたんだ。

そして、数週間後にコンサートを開催した。僕らが何を演奏したかも覚えてないけれど。多分、フレンチ・カナディアンのフォークロア系とクラシックなアメリカーナ音楽だったと思う。セットリストは最初のアイディアから、もうダメダメだったさ。特に、南アメリカ、中東、アフリカから来た人たちの前で演奏しようとしていたんだから。あとになって、あの日コンサートに来た人たちの目にはおかしく映っただろうね、と友人に言われた時に初めて気づいたよ。だって、僕が見たものは、素晴らしい可能性を秘めたキッズたちが夢を見て、将来へのヴィジョンを思い描いている姿だったから。その瞬間の明らかな詳細に関しては、あまり意識を向けていなかったんだ。僕はただトライしなきゃいけなかった。「この瞬間が本物であり、正直である限り」って思ったよ…そして、失ったものは何もなかった。

実際、あの日の光景には、ものすごく感動したんだ。普段だったら、並んで立つことのない人たちが、音楽によって一緒になっただけでなく、その後、それぞれのコミュニティ・メンバーたちから迎え入れられる、小さいながらも確かな突破口も得ることができたんだ。このことが、究極的には、彼らとパートナーシップを結ぶことに繋がり、宿題のアシスタントから、若くして妊娠をした(その多くは父親不在)子たちのサポート・プログラムを構築するに至ったんだ。信じる心と人を集める音楽の力が、全てを可能にした。それは最高に魅力的だったよ。

こういう話はいくらでもあるんだけど、この初めての”コンサート”が確実に僕の目を開かせ、影響を与えて、ゆくゆく育っていく命の種をまくための土壌をつくったんだ。

2. 音楽で実際にキャリアを積んでいこうと思ったときのことを覚えていますか?

それは、きっとそのことを両親に話した時だね。自分にとって、決定的な時期だったよ。当時は、小さなクリスチャン・コミュニティの教会に関わっていて、必要なことがあれば何でも引き受けていたから、正式な教会スタッフにならないかと招待を受けたんだ。たとえ、同時進行でやっていたバンドの活動が教会内で物議を醸し出していたとしてもね。教会の人たちに僕のやる音楽は受け入れられず、コンサートに来る人たちは、僕の音楽以上におかしいって思われていたと思う。でも、僕が必要としていたのは音楽であり、それこそが歩んでいくべき道だと強く信じていたんだ。

だから、それを両親に打ち明けた時、それまでも、彼らは僕を信頼して応援してくれていたけど、両親の反応には驚いたよ。こういう会話がいつか出てくると分かっていたと言ったんだ。そして、自分の直感を信じて突き進んでいくよう励ましてくれた。自分を妥協することなく、社会へのヴィジョンを基盤に持ち続けながら、ってね。それは僕にとって、大きなことだった。

だから、結局ソーシャルワーカーの仕事を辞めて、そのあとに大学も辞めて、新しい冒険を始めたんだ。そうして、すぐ、その不思議な音楽を演奏し、僕のようなおかしな人たちが旅路に加わり、多くの人たちが行けないような場所へと招待された。中国での長期ツアー(当時は外国人がライブをするのは難しい場所まで)から、日本の古いお寺でのライブ、フランスでのアイコニックな場所、ヨーロッパ全土のカルチャーハブを巡り、インドネシアではアリーナで、世界中のライブハウスから大きなフェスティバルまで、色々な場所を旅したよ。その間にも、自分のレコードレーベルやスタジオを建てながらね。でも、それよりも大事なのは、その全てを自分の確信と、はじめに持っていたヴィジョン、人への愛に沿ってやってきたということ。その人が何者で、どんな肩書きを持っていようと、どれだけお互いの間に違いがあろうと、そんなことは関係なく音楽を通して、交流してきた…

新しいプロジェクトに望むことは?

10年ほどバンドにいるけど、これを書いている今でさえもまだ、自分のソロアルバムの本質について理解しようとしているんだ。特に、癌との長い闘病の末に父を亡くしたあと、書き綴った親密で個人的なアルバムだから。たとえアルバムが、予想外にカナダで1年近くもチャート入りを果たしたりしても、ラジオとか商業目的のために作られたものじゃない。感情的な問題を歌っているものなんだ。絶望とか、疑いとか、解放とか、自由とか。

一人でタンジェに滞在していたときに書いたもので、この経験は僕の人生でも、とても重要な時期となった。一人でいるこの時間が気付かせてくれたんだ。他人から受け取るものがないまま、自分だけが与え続けることはできないってね。僕は感情的に燃え尽き、肉体的にも弱まっていて、精神的にも枯れ果てていた。当時、それを認めるのはものすごく難しかったよ。心と魂の状態を告白するとき、誇らしく、宗教的になりやすい。特に、人から見られる立場の場合には。(他人の話を)聞くことができるという恵を忘れやすい。幻はあまりにも本物に似ていて、それを絶対とし、他人の思いやりを信じられない心をカバーするために、その幻を準・真実へと変える。他人への”奉仕”に関して、あらゆる良い話を聞いたのち、僕はシンプルに他人から歓迎されること、愛されることの基本的なエッセンスを失ったんだ。

だから、自分のプロジェクトへの希望があるとすれば、同じような人生の時期を経験している人たちが、壊れても良いのだと、絶望しても、疑っても、そして全く不信仰になっても良いんだって、受け入れることかな…だって、正直な心で感情の荒廃を告白する人たちには、たくさんの約束が待っているから。そして、自らの重荷から自由になれると知ることで、全く心が空っぽになったあとでも、またやり直せるって知ることで、安心できると思う。人生のある時点で、僕らはみんな、こうした喉のかわきや、感情の放棄という人間的な感覚を味わうと思う。だから、約束は僕らみんなを自由にする招待なんだ。特に、今のような不安定で、怖くて、混乱している状況のときにはね。

新作のタイトルはどう決めましたか?

モントリオールからタンジェへ向かう飛行機の中から、窓越しに空を見ていたとき…ノートの最初のページに“Windows in the Sky”と書いたんだ。そのノートはその後、エンドレスに悲しみ、後悔、詩、祈りや個人的な手紙などによって埋まっていった…結局、父が亡くなったあと、トータルで2年間を北アフリカで過ごしたよ。最初、必死に助けを求めたものだと思っていたものが、新しい視点によって、手を伸ばすための希望的な招待となったんだ。痛みを越えて人生を見るための、絶望を叫ぶ孤独な声を再定義するための。そして、どんなに僕らが混乱していても、僕らの声は聞かれ、答えをもらえるというリマインダーでもある。

リスナーにあなたのアルバムのサウンド、スタイル、歌詞を説明するとしたら?

どんなことを期待してもらえば良いか分からないけど、とても正直でオーガニックなアルバムなんだ。商業目的とか宣伝しやすいように、という視点からは全くかけ離れたアルバムだよ。最初は聴き心地があまり良いものじゃないかもしれないけど、科学と熟考の流れによって、発展していく感情の旅なんだ。個人的な影から、みんなに届く明るい光となる…少なくとも、僕はそう思ってるよ。

このプロジェクトの裏に潜む根本的なテーマなどはありますか?

商業的や大衆アピールを目的としないプロジェクトには、いつだって根本に潜むテーマがあると思う。オーガニックに作ることで、最初にクリエイターとして思い描いたもの以上に、成長を遂げたんだよ。特に、まず誰と交流するのかってことが基本になると思うけど。だって、アルバムの本質に、どこまでリスナーが自分を解放したいかによるからさ。感情をどっぷり浸すコミットメントによると思う。そのコミットメントが、根本に潜むテーマをその都度、定義し続けると思うな。

常に、全ての答えを見つける必要はないと思うし、アーティストとして、一人の人間として、聴いてくれた人たちの見方を通して、新しい色を見つけられることは、とても新鮮だと思ってるんだ。そうして、このアルバムを作る元となった感情を越えて、より偉大になっていくと思う。そうして、言葉やサウンドが発展していくんだ。それを作った人たちの域を越えてね。それこそ、究極的には、そのアート作品が個人だけでなく、コミュニティ、歴史、世界に影響を与える理由だと思うな。だからこそ、僕としては、それがエンタメとアートの違いなんだ。楽しい時間を過ごすことと、人生を変えるような経験をすることにある違いだよ。

あなたの音楽において、信仰心やスピリチュアリティはどのくらい重要ですか?

それこそが全ての中心だ。音楽はスピリチュアルだよ。たとえ、最も商業的で一般的なものでもね。僕は空中浮遊しようとするアフリカ人を見たし、囁き一つで癒される人たちを見た。だからこそ、人によっては素晴らしい贈り物だし、理解しがたいものでもある。だからこそ、僕はスピリットに繊細でいるだけでなく、最初に閃いた曲のアイディアから、即興的なフォームに至るまで、そのスピリチュアルな本質に意識を向けることは大事だと思ってる。音楽は自分についてではなく、いつだって交流についてだよ。

信仰の有無に関わらず、あなたの音楽からリスナーにどんなメッセージを伝えたいですか?

絶対的なものにではなく、自分の状況に正直になることによって生まれる自由。

もしも一緒にツアーができるとしたら、どのアーティスト、またはバンド(まだツアーしたことがない人たちで)を選びますか?

とても良い質問だね。何人かいるけど、Nick Caveかな。というのも、究極的にはKeith Greenなんだけど、それは実現できないから。Nick Caveを選んだのは、自分の理解に限界があることを認めつつ、それでも目に見えないものについて考え、自分の不信仰を笑うことができる人のことが好きだから。他人から見られたい自分像よりもはるかに、正直な個人にはインスピレーションに溢れる要素がある。そして、Nick Caveは、自分が認めようが、認めまいが、自分の中にある最も親密な信心の本質を定義したい人たちが持つ未知なる問いを探らせてくれるんだ。

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