繋がり:開花する心のアウトライン
僕は今、プロジェクト『Kimiyo』のプレリリースによって生まれた美しい嵐の中にいるよ。まるで、どんどん激しくなっていく乱気流のど真ん中に立っているみたいだ。このリリースを待ち望む人たちからの幅広い熱気を感じられるのは、とても素晴らしいし、慎ましい気持ちでもある。その誕生に先立って最初の目覚めの光を知覚するのは、とても力強いことであると同時に、そのユニークな精神を自由に世界に広げたあとに開花する成長の度合いを予見することに活力を感じる。どのリリースも、その本質によって似通って見えるかもしれないけれど、そんな人生の特別な渦巻きの一部になれることに、とても感動してるよ。
いわゆる、この嵐の最も興味深いことの一つは、今や僕が参加するチャンスのある動画撮影だ。(ここ数日は特にたくさん撮ったんだ)ヴィジュアルコンセプトについて話したり、新しいコレクションのアイテムに込めた意味について話したり、いくつかのメディアインタビューにライブで答えたり、JeffのThe Clubメンバーのための”オープンカンバセーション”に混ざったり。Jeffと僕が一緒に時間を過ごすとき、いつだってかなりすごいランデヴーになるんだ。毎日、哲学的な思考について1冊本を書けるくらいの僕だけれど(やぁ、僕の忠実な読者たち。まだ付いてきてくれて嬉しいよ)、パッケージ開封動画のためにシンプルなイントロとアウトロを撮るために、5時間かかったんだ。言葉に詰まったり、笑っちゃったり、何話していたのか分からなくなったり…あるテイクでは、とても誠実で自然な感じに撮れたのに(3時間もかかった)、間違った公式リリース日を言ってしまった…そもそも言う必要もなかった情報なのに!!!
自分の後ろで太陽が沈んでいくのを見るとき、そして、テクニカルチームのメンバーたちが完全に疲れ切っているのを見るとき、メッセージを伝えようとしたメディア媒体が自分にとって完全に合わないものだということに気づく…!それも、なんていうか、本当に合わないんだ。あまりにもダメすぎて、2時間頑張ったあと、こう言われる始末:「そうだ、Alex、アイディアがあるよ。こう言うだけにしたらどうかな:”やぁ、Alexだよ。これが『Kimiyo』のために作ったコレクションなんだ”。それでそのあと音楽をつけてアイテムのイメージを映す。その方がより君らしさが出るかも」最終的な結果は、こんな感じだった:「やぁ、みんな、Alexだよ。これが僕のプロジェクト『Kimiyo』だ。気に入ってくれると良いな」そう、こういう時は本当に自分が動画撮影に向いてないって思い知らされる…! 😉
それはそうと、この世に存在するコミュニケーションの媒体を使って、みんなと繋がることができるのは、本当に恵まれてる。動画撮影がリラックスできて、ゆるい感じでできるってわけじゃないけどもね…あぁ、全く!以前はもっと酷かったんだ!カメラの前に立ったり、インタビューするのが、酷く心地悪かった。今でも時々そう感じるけど、前よりはマシになったよ。昔は大嫌いでね。ありのままの自分を見られることへの恐れや、人をガッカリさせたり、コミュニケーション下手によって、低評価を受けることをきっと恐れていたんだ。シャイとかじゃなくて、恐怖だった。いつも自信がなくて、それは自分の奥深くに根付いてる。だからこそ、注目を集めるのが怖かったんだ…ロックバンドのフロントマンにあるまじき問題だよね!
僕は、Your Favorite Enemiesのリードシンガーをしていたとき、動画撮影やインタビューなど、公共の場に姿を表すような機会のとき、いつも感情が化石のように硬くなり、身体的にも体調を崩していた。他人が僕に持つ興味を理解できなかったし、僕のアートや社会問題に関する視点について何故知りたがるのか分からなかった。僕はグループの一員であり、僕ら全員が同じだけ注目されるべきだと言い続けていた。音楽ビジネスに存在するイメージ構築の戦略をあまり掴んでおらず、僕が自然に作る人との繋がりがどこまで広がるのかも、全く理解していなかった。YFE初期の時代に雇った一番最初のマネジャーは:「いいかい、Alex、誰も他のバンドメンバーなんて気にしちゃいない。全員入れ替えても、誰も何も言わないさ。気を引き締めろ。君がバンドであり、君がインタビューをするんだから。君はロックスターだ。そうやって行動しろ」この数日後に僕らは道を分かつことになった。彼は僕の恐れを、場違いだと思う気持ちや、自分を曝け出すことで固まってしまう僕の状態を理解していなかったんだ。別に意地悪だったわけでも、なんでもないよ。ただ急に注目を受けて、僕は心の準備ができていなかったんだ。そこにすぐにフィットできるアーティストもいるだろう。でも、僕にとっては、残酷なリアリティチェックだった。
コミュニケートしたくなかったわけじゃないんだ。僕はたくさん書いていた。ずっとそうしてきた。そうだろう?!あまり意識しすぎずに書き綴っていたんだ。それが読まれることがあって、そこに返信が来るなんて期待したことはなかった。でも、僕のブログが”話題”になり始めたとき、心の中で少しパニックになたんだ。それは、もはや僕についてではなく、僕らについてで、“僕ら”ということは、僕が表現したことが何であれ、そこから生まれた影響の責任があることを意味していた。あらゆる意味で、それが鮮やかに振動する集まりであるのと同じくらい、それがもたらす結果を心配していた。当時はMy Chemical Romanceが、ファンの間に死への執着を助長させたとして、マスメディアから叩かれていた頃で、過激なファンが他人を殺傷した疑いや、または自分の人生を奪うよう促しているとされていた時期だ。人生のスコープを通して、社会的問題、希望や溢れ出す可能性について書いていた一方で、こういうタイプのニュースを見て、それが”インターネット”での会話だけではないんだと思い起こされた…それは現実なんだ。
実際、たとえその現実を念頭において、文章を綴っていたとしても、やりとりをしていた日本の男の子が、自死を選んだとき、大きな感情のブローを食らったよ。彼の決断と僕には何の関係もないとはいえ、僕が会話をしている人たちが体験しているかもしれない悲しみや喜びと、自分の感情を引き離せないことを認めないといけなかった。僕は書くことをやめ、ブログ公開のために定期的に集まっていたコミュニティメンバーたちに、フォーラムでの更新をしばらく休むことを説明した。長いあいだ、逃げていたように思う。バンドのスポークスパーソンという役目に自信を持つことができなかった。あの子の死から立ち直れなかったんだ…自分の考えを話すたびに、彼のことを思わずにはいられない。自分が世界を救えるなんていうフリをするつもりもないし、他人への大きな希望になるという使命を与えられたようにも感じないけど、ただ人を愛し、深く気にかけているだけなんだ。こういう経験と和解をすることは一生ないように思う。共に生きていくことを学ぶんじゃないかな。そして、1日1日、ポジティブな違いを生もうとするんだ。
バンドがより大きな注目を引くようになって、Jeffが全てのプレスやインタビュー関連を引き受ける役目を担った。複数のリポーターは、公共の場に姿を表したがらない僕を気取ってるとか、傲慢だって思ったよ。メジャーなマガジンのエディターからこんなメッセージを受け取ったこともあるんだ:「二度と我々の雑誌に載ることはないよ、このクソ見栄っ張り野郎。」 (それ以来、何度か紹介されたけどね!)僕が恐怖なまでに緊張して、不安を感じるからインタビューを受けられないって誰も信じなかったんだ…彼らの茫然自失も理解できるよ(フラストレーション、怒り、復讐的な反応を別の方法で表現した言葉)、僕が登場するはずだったTV番組、ラジオや個人インタビューにJeffが現れたときにはね。可哀想なJeff…彼はいつだって僕を支えてくれてる!ロックンロール的なライフスタイルをどうやって管理したら良いのか分からなかったとき、彼が僕のシールドだったんだ。バンドが人気になるにつれて、フロントマンとしての役割に居心地の悪さと、合わないっていう感覚が増していった。僕は髪を伸ばして顔があまり見えないようにした。僕はとても痩せていたから、AIDSでも患っているのかと聞かれた。自分が消えたいと思えば思うほど、より注目を浴びていった。人気はバンドマンの夢のように思うけど、当時は、自分が合わないと感じるものへの責任と共にくる特権だった。全てを肩に背負いながら、旅するサーカスが続けられるように、自分がエンタメのピエロになるというコンセプトを信じていなかった…僕にとっては楽しいことじゃなかったんだ。そして、僕の周りにいる人たちにとっても、悪夢だった。
だから、かなり長い時間、躊躇って、YFEのメンバーたちから励まされたあとに、僕が『Windows in the Sky』をリリースすると決めたとき、僕の優先的な仕事はインタビューを受けることだった。けど、僕の代わりにJeffを送ることはロジカルに考えてできないと思った。ということは、僕の感情のシールドに頼らず、バンドの後ろに隠れずに全てをこなさないといけない。それは僕についてであり、今回は僕だけだった。逃げも、隠れもできない。ただの僕。ついにアルバムをリリースすることに決めたとき、きっとこんなアルバムには誰も興味を示さないだろうという思いがあった。Your Favorite Enemies時代の音楽とは全く違うもので、スピリチュアルな詩に基づいたダークな曲で、スポークンワードで、長い曲ばかり。僕がやっていたポストパンクとは全くかけ離れたものだったから、逆に安全だと思ったんだ。
それはそうと、この世に存在するコミュニケーションの媒体を使って、みんなと繋がることができるのは、本当に恵まれてる。動画撮影がリラックスできて、ゆるい感じでできるってわけじゃないけどもね…あぁ、全く!以前はもっと酷かったんだ!カメラの前に立ったり、インタビューするのが、酷く心地悪かった。今でも時々そう感じるけど、前よりはマシになったよ。昔は大嫌いでね。ありのままの自分を見られることへの恐れや、人をガッカリさせたり、コミュニケーション下手によって、低評価を受けることをきっと恐れていたんだ。シャイとかじゃなくて、恐怖だった。いつも自信がなくて、それは自分の奥深くに根付いてる。だからこそ、注目を集めるのが怖かったんだ…ロックバンドのフロントマンにあるまじき問題だよね!
僕は、Your Favorite Enemiesのリードシンガーをしていたとき、動画撮影やインタビューなど、公共の場に姿を表すような機会のとき、いつも感情が化石のように硬くなり、身体的にも体調を崩していた。他人が僕に持つ興味を理解できなかったし、僕のアートや社会問題に関する視点について何故知りたがるのか分からなかった。僕はグループの一員であり、僕ら全員が同じだけ注目されるべきだと言い続けていた。音楽ビジネスに存在するイメージ構築の戦略をあまり掴んでおらず、僕が自然に作る人との繋がりがどこまで広がるのかも、全く理解していなかった。YFE初期の時代に雇った一番最初のマネジャーは:「いいかい、Alex、誰も他のバンドメンバーなんて気にしちゃいない。全員入れ替えても、誰も何も言わないさ。気を引き締めろ。君がバンドであり、君がインタビューをするんだから。君はロックスターだ。そうやって行動しろ」この数日後に僕らは道を分かつことになった。彼は僕の恐れを、場違いだと思う気持ちや、自分を曝け出すことで固まってしまう僕の状態を理解していなかったんだ。別に意地悪だったわけでも、なんでもないよ。ただ急に注目を受けて、僕は心の準備ができていなかったんだ。そこにすぐにフィットできるアーティストもいるだろう。でも、僕にとっては、残酷なリアリティチェックだった。
コミュニケートしたくなかったわけじゃないんだ。僕はたくさん書いていた。ずっとそうしてきた。そうだろう?!あまり意識しすぎずに書き綴っていたんだ。それが読まれることがあって、そこに返信が来るなんて期待したことはなかった。でも、僕のブログが”話題”になり始めたとき、心の中で少しパニックになたんだ。それは、もはや僕についてではなく、僕らについてで、“僕ら”ということは、僕が表現したことが何であれ、そこから生まれた影響の責任があることを意味していた。あらゆる意味で、それが鮮やかに振動する集まりであるのと同じくらい、それがもたらす結果を心配していた。当時はMy Chemical Romanceが、ファンの間に死への執着を助長させたとして、マスメディアから叩かれていた頃で、過激なファンが他人を殺傷した疑いや、または自分の人生を奪うよう促しているとされていた時期だ。人生のスコープを通して、社会的問題、希望や溢れ出す可能性について書いていた一方で、こういうタイプのニュースを見て、それが”インターネット”での会話だけではないんだと思い起こされた…それは現実なんだ。
実際、たとえその現実を念頭において、文章を綴っていたとしても、やりとりをしていた日本の男の子が、自死を選んだとき、大きな感情のブローを食らったよ。彼の決断と僕には何の関係もないとはいえ、僕が会話をしている人たちが体験しているかもしれない悲しみや喜びと、自分の感情を引き離せないことを認めないといけなかった。僕は書くことをやめ、ブログ公開のために定期的に集まっていたコミュニティメンバーたちに、フォーラムでの更新をしばらく休むことを説明した。長いあいだ、逃げていたように思う。バンドのスポークスパーソンという役目に自信を持つことができなかった。あの子の死から立ち直れなかったんだ…自分の考えを話すたびに、彼のことを思わずにはいられない。自分が世界を救えるなんていうフリをするつもりもないし、他人への大きな希望になるという使命を与えられたようにも感じないけど、ただ人を愛し、深く気にかけているだけなんだ。こういう経験と和解をすることは一生ないように思う。共に生きていくことを学ぶんじゃないかな。そして、1日1日、ポジティブな違いを生もうとするんだ。
バンドがより大きな注目を引くようになって、Jeffが全てのプレスやインタビュー関連を引き受ける役目を担った。複数のリポーターは、公共の場に姿を表したがらない僕を気取ってるとか、傲慢だって思ったよ。メジャーなマガジンのエディターからこんなメッセージを受け取ったこともあるんだ:「二度と我々の雑誌に載ることはないよ、このクソ見栄っ張り野郎。」 (それ以来、何度か紹介されたけどね!)僕が恐怖なまでに緊張して、不安を感じるからインタビューを受けられないって誰も信じなかったんだ…彼らの茫然自失も理解できるよ(フラストレーション、怒り、復讐的な反応を別の方法で表現した言葉)、僕が登場するはずだったTV番組、ラジオや個人インタビューにJeffが現れたときにはね。可哀想なJeff…彼はいつだって僕を支えてくれてる!ロックンロール的なライフスタイルをどうやって管理したら良いのか分からなかったとき、彼が僕のシールドだったんだ。バンドが人気になるにつれて、フロントマンとしての役割に居心地の悪さと、合わないっていう感覚が増していった。僕は髪を伸ばして顔があまり見えないようにした。僕はとても痩せていたから、AIDSでも患っているのかと聞かれた。自分が消えたいと思えば思うほど、より注目を浴びていった。人気はバンドマンの夢のように思うけど、当時は、自分が合わないと感じるものへの責任と共にくる特権だった。全てを肩に背負いながら、旅するサーカスが続けられるように、自分がエンタメのピエロになるというコンセプトを信じていなかった…僕にとっては楽しいことじゃなかったんだ。そして、僕の周りにいる人たちにとっても、悪夢だった。
だから、かなり長い時間、躊躇って、YFEのメンバーたちから励まされたあとに、僕が『Windows in the Sky』をリリースすると決めたとき、僕の優先的な仕事はインタビューを受けることだった。けど、僕の代わりにJeffを送ることはロジカルに考えてできないと思った。ということは、僕の感情のシールドに頼らず、バンドの後ろに隠れずに全てをこなさないといけない。それは僕についてであり、今回は僕だけだった。逃げも、隠れもできない。ただの僕。ついにアルバムをリリースすることに決めたとき、きっとこんなアルバムには誰も興味を示さないだろうという思いがあった。Your Favorite Enemies時代の音楽とは全く違うもので、スピリチュアルな詩に基づいたダークな曲で、スポークンワードで、長い曲ばかり。僕がやっていたポストパンクとは全くかけ離れたものだったから、逆に安全だと思ったんだ。
特にプロモーションもせず、キャンペーンもせずに、アルバムをリリースした。YFEのコミュニティにソロアルバムのアナウンスをするニュースレターがあっただけ。逃げ隠れしやすいものだと、思っていたんだ。だけど、そうはならなかった…全くね!『Windows in the Sky』が、ヒットレコードのように扱われ、アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされたとき、僕は驚いた。「何が起きてるんだ?!」ってね。勘違いしないでね。嘆きと絶望を通して平穏を見つけることについての正直なアルバムが、同じような体験や困難に直面している人たちの心に響いたことに深く感動していたよ。けれど、何と言っていいのか分からないくらい本当にびっくりして、ヴァージニアへ去って行ったんだ。最近の様々なニュースがそうであるように、話題はきっとすぐに消え、興味は失せていくだろうと思った。けど、そうじゃなかったんだ…
この状況の皮肉なところは、当時、適切なPRマネジャーのサポートを要求しなかったことにあると思う。だから、自分であらゆる悪夢に対処しないといけなかった。自分の考えを話すのが何故こんなにも怖いのか、人に知られること、シンプルに自分の心にあることを分かち合うのが何故怖いのかについて考えさせられたよ…その理由はもちろんたくさんあった。僕の教会でのトラウマはその一つだ。日本人の男の子の記憶、”カルト”フォロワーたちが僕を追っているというコンセプトなど。でも、何よりも重要なのは、適切に受け取れない人から愛されることへの恐怖。特別な人から愛されて、でも、いづれはガッカリさせ、拒絶されることへの恐怖。僕がそれに向き合ったのは、あの時が初めてだった。当時から既に、僕のオンラインストアで注文してくれた人全てにパーソナルレターを書いていて、朝から晩まで、それを数ヶ月間続けたんだ…僕は何千枚ものレターを送ったよ。ある意味で、解放へのセラピーになったんだ。個人的にみんなと再び繋がることで、本当の平和を見つけた。特に、焦点は僕ではなくて、音楽であり、言葉だと気づいたからーそう、人間同士の繋がりさ。現実が何となくシンプルに見えたけど、変わったのは世界ではなく、自分だってことに気づいたんだ。
たくさんの人たちとやりとりをしたことで、それが僕に癒しをもたらした。正直でいることは、正しくあることよりも、ずっと意味のあることなんだ。そうして、僕はメディアからのリクエストに応えるようになった。15分のインタビューは45分のディスカッションに。60分のポッドキャストは、90分の会話になった…招待を受けるメディアの規模などは、今でも全く気にしたことはない。もしも、誰かが僕を招待したのなら、引き受けた。断ることは稀だよ。それによって、僕はクリスチャンマガジン、LGBTQIA2+、アラブ系マガジンなどに掲載されることとなったんだ。僕はユニフォームを気にしたことはない。それが、自分が投票し、共に眠る神様の前で、ひざまづく場所の本質だ。どちらかの側を選ぶことを拒否したことで大きな反発も受けた。でも、何故選ばないといけないんだろう?僕にとっては、個人の心と魂が大事なのであって、それと交流しているんだ。残りは、プライベートで、パーソナルな事柄さ。だからこそ、そういうプライベートな要素を打ち明けるときは、メッセージや手紙にした方が良いと思う。リスペクトと優しさの問題だよ。僕は多くの答えを持っていないけど、誰をも迎えたいという気持ちはある。だからこそ、その性質に関係なく、僕たちの関係には神聖な次元があると強く信じている。
その結果、ファミリーが最近急激に増え続けている中、どうすればその広範なつながりを維持できるのか、また個人的な手紙やはがきをどうやって書くことができるのか、多くの人が疑問に思っていた。その質問への答えはシンプルだ;無理!僕は長いこと、別の方法を考えないといけないなって思っていたんだ。手紙と同じくらいパーソナルになれる別の方法をね。そして、僕は自分にとって神聖なものを諦めるタイプではない。だから、ちょっとクリエイティブな方法を見つけたよ:パーソナル・オーディオメッセージだ。僕のアイディアを言ったとき、Jeffは驚いたけど、嬉しそうだった:「ワオ、ブラザー、君を誇りに思うよ!インタビューや公共の場での行事の前に毎回、吐いてた人間とは別人だ。みんな、この繋がりを保つために、君がする努力を喜んでくれると思う」オーケー、まずはじめに、僕は毎回吐いてたわけじゃない。そういう時が多かったってだけね。とはいえ、そう、僕らのコミュニケーションは本当に神聖なもので、僕にとってプライスレスなんだ。
この状況の皮肉なところは、当時、適切なPRマネジャーのサポートを要求しなかったことにあると思う。だから、自分であらゆる悪夢に対処しないといけなかった。自分の考えを話すのが何故こんなにも怖いのか、人に知られること、シンプルに自分の心にあることを分かち合うのが何故怖いのかについて考えさせられたよ…その理由はもちろんたくさんあった。僕の教会でのトラウマはその一つだ。日本人の男の子の記憶、”カルト”フォロワーたちが僕を追っているというコンセプトなど。でも、何よりも重要なのは、適切に受け取れない人から愛されることへの恐怖。特別な人から愛されて、でも、いづれはガッカリさせ、拒絶されることへの恐怖。僕がそれに向き合ったのは、あの時が初めてだった。当時から既に、僕のオンラインストアで注文してくれた人全てにパーソナルレターを書いていて、朝から晩まで、それを数ヶ月間続けたんだ…僕は何千枚ものレターを送ったよ。ある意味で、解放へのセラピーになったんだ。個人的にみんなと再び繋がることで、本当の平和を見つけた。特に、焦点は僕ではなくて、音楽であり、言葉だと気づいたからーそう、人間同士の繋がりさ。現実が何となくシンプルに見えたけど、変わったのは世界ではなく、自分だってことに気づいたんだ。
たくさんの人たちとやりとりをしたことで、それが僕に癒しをもたらした。正直でいることは、正しくあることよりも、ずっと意味のあることなんだ。そうして、僕はメディアからのリクエストに応えるようになった。15分のインタビューは45分のディスカッションに。60分のポッドキャストは、90分の会話になった…招待を受けるメディアの規模などは、今でも全く気にしたことはない。もしも、誰かが僕を招待したのなら、引き受けた。断ることは稀だよ。それによって、僕はクリスチャンマガジン、LGBTQIA2+、アラブ系マガジンなどに掲載されることとなったんだ。僕はユニフォームを気にしたことはない。それが、自分が投票し、共に眠る神様の前で、ひざまづく場所の本質だ。どちらかの側を選ぶことを拒否したことで大きな反発も受けた。でも、何故選ばないといけないんだろう?僕にとっては、個人の心と魂が大事なのであって、それと交流しているんだ。残りは、プライベートで、パーソナルな事柄さ。だからこそ、そういうプライベートな要素を打ち明けるときは、メッセージや手紙にした方が良いと思う。リスペクトと優しさの問題だよ。僕は多くの答えを持っていないけど、誰をも迎えたいという気持ちはある。だからこそ、その性質に関係なく、僕たちの関係には神聖な次元があると強く信じている。
その結果、ファミリーが最近急激に増え続けている中、どうすればその広範なつながりを維持できるのか、また個人的な手紙やはがきをどうやって書くことができるのか、多くの人が疑問に思っていた。その質問への答えはシンプルだ;無理!僕は長いこと、別の方法を考えないといけないなって思っていたんだ。手紙と同じくらいパーソナルになれる別の方法をね。そして、僕は自分にとって神聖なものを諦めるタイプではない。だから、ちょっとクリエイティブな方法を見つけたよ:パーソナル・オーディオメッセージだ。僕のアイディアを言ったとき、Jeffは驚いたけど、嬉しそうだった:「ワオ、ブラザー、君を誇りに思うよ!インタビューや公共の場での行事の前に毎回、吐いてた人間とは別人だ。みんな、この繋がりを保つために、君がする努力を喜んでくれると思う」オーケー、まずはじめに、僕は毎回吐いてたわけじゃない。そういう時が多かったってだけね。とはいえ、そう、僕らのコミュニケーションは本当に神聖なもので、僕にとってプライスレスなんだ。
僕の”短い”スタジオ日記をここで締めくくるよ。僕の人生で君に出会えて本当に嬉しいし、毎回の交流に恵みと感謝の気持ちを抱いているよ。もしも、世界が変わらないというのが本当なら、他人を気遣う心は、その人たちの世界が変われると信じるための心を刺激するだけの力があると信じてる。その人たちがどれだけダメージを受け、心が壊れてしまっていても…人生、人生、人生!