『Kimiyo』… 光へと足を踏み入れる

先週はとても忙しかった。気持ちはとても嬉しいんだけど、体は疲れ切っていたよ。自分が今も回復期間中であって、完全に癒えるまでもう少し時間がかかるってことを忘れがちなんだ。自分のペースを落とすような人間じゃなくてね。というか、むしろ反対だよ。だから、君が注文してくれた『Kimiyo』のパッケージを発送するため、そして空港を出てすぐに複数のインタビューをしなきゃいけなかった、あまりにも短いフランクフルトでの滞在を終えて、自分の作詞スペースに戻ってこれて嬉しいよ。プロジェクトやアルバムのリリースに伴う美しい喜びを全く忘れていた。僕のクリエイティブな世界に対するみんなの熱気に溢れた喜びを見るのは、いつだって慎ましい気持ちだよ。特に感動的なのは、僕の作品のどれも、人々に力を与え、交流されるためにデザインされているから。だからこそ、それをインスパイアした精神がどんなものか、そして僕が身を捧げる音の大渦巻きを分かち合い、確かなものにできることを恵みに思うよ。

とはいえ、不思議なまでに全てがあっという間に過ぎていった。だって、昨日だけでも、突然、時間が驚くほどに寛容になり、復活した春が僕の歓迎に満ちた心から生まれる色を、味わい、感謝できるように、逃れられない慌ただしいリズムを減らしてくれたと思っていたのに。けど、そんなことなかった…待ち望んだ『Kimiyo』のリリースの翌日には、寛容さも、贈り物もなかった。君たちがアップしてくれる写真を見るのは、なんだか非現実的だよ。12月にこのプロジェクトのファイナルミックスを終えてから、その公式リリースまで、色々なことがぼやけてる。たくさんのことが、短い間に起きた…愛するマッカイを亡くし、叔父さんの位牌の行方が分からないことを知り、自分の身体の心配と、新しいアルバム制作をし始めたけれど、結局全部白紙に戻すことに決め、その下には、最もカラフルな輝きを見せる別の夢の背景にちらつく陰ったヴィジョンのような現実のカケラがある。『Kimiyo』…新しい始まり、天のような内側の美しさ、その名前がほのめかすように。
ちょっと変かもしれないけど、自分のアーティスティックなプロジェクトのリリースに関して、心配したり、緊張したりしないんだ。もちろん、それが君の心と魂の中で響いてくれるといいなって思うけど、その概念と生みのプロセスを通して、完全に自分の身を任せたから、満ち足りた穏やかさを感じるんだ。これは楽曲の寄せ集めではなく、自分で課した制限の境界線を超えた心の巡礼なんだ。それは『Kimiyo』ほど正確にはなれなかっただろう。だって、このプロジェクトは、独自の成長をする前、僕の制限されたリソースから程遠いところで既に形になっていたから。始まりとなった個人的な暗闇に関わらず、その本質は確実に光なんだ。僕が彷徨った目に見えない領域から光り輝くアウトラインが見え初めてからすぐにね。意味深い何かを探して(神聖なものを)自分の絶望を慈悲に溢れる”足元”にひざまづかせるために。

その瞬間から『Kimiyo』が既に”これだ”というものであると知っていた。僕の先入観がどれほど重要な尺度でその開始を妨げる可能性があったとしても。だからこそ、メディアからのサポートなどに深く感謝していても、レビューを読んだり、インタビューを読んだりしたことはない。他人の意見で自分のエゴを育てることを自粛することで、自分の芸術やその自由な真髄に対して、完全に独立したままでいられるようになる。栄光は最もとらえどころがなく、中毒性のある感覚だ…これは、創造し、共有し、交流し、進化したいという人の大胆さ、反抗、正直さを鎮めるドラッグだ。僕はいつもその魅力にうんざりしていて、もしその有毒な幻想を摂取したら、自分がどれほど壊滅的に壊れてしまうのかを恐れてきた。

結果的に、自分について…僕らについてなんだ。それは、旅路の感情の動きについてじっくり考えたときに、僕らがどれくらい親密に感じるかについて。それは、周囲の精神がその流れる波を通してどのように輝くのか、そしてこの進化する旅の中で僕らがどのように自分自身を再定義するのかについて。残りは、僕が最初から参加したことのないビジネスの構造を構成する幻想的な人工物であり、アルバムや他のアルバムですべてが語られたり忘れられたりした後に本当に残るのは、その真っ只中を通じて僕らがどんな人間になったか、なんだ。だから、そういう創造物の真の価値は、すべてのノイズ、またはノイズの不在をふるいにかけた後、僕らが生活の中で知覚できる小さな変化の断片にまとめられている…僕はそう考えている。

だから、そう、時間は僕のために延びてくれなかった。僕はおそらく、その瞬間をありのまま生きることを学んでいるんだと思う。または、僕らの存在がどれだけ脆弱で一時的かということをより良く理解したのかも。それでも、今僕が操縦するハイペースが何であれ、新しいリズムが僕の中で生まれたことに深く感謝しているよ。それでも、全てにおいてストレスを感じたり、不安を感じたりしてるけどね(特にツアーに関しては)。でも、複雑な心理的ストレスを与える様々なものと、かつての対処方法から旅立っているのは明らかだ…今は、続いている動きをポジティブなエネルギーとして受け入れられるし、自分の魂を喜びで満たせる。そうするとき、僕の最も暗い恐れとも全く違うアングルで直面することができるんだ。実際に何が起きているのかを知る前に、否定的な考えを育てる僕の性向が変わったんだ。そういう悲惨な視点で現実を上書きしてしまうと、後ですべてが歪んでしまう…純粋な祝福でさえ、簡単に欺瞞的なものとして描写される可能性があるのさ。何年も同じ悲惨さを経験した後、自分の感情を再配線するのは簡単じゃない。それは毎日の決断であり、そうしていると信じられないほど解放されるんだ。 『Kimiyo』は、僕をその心と精神の自由に少しだけ導いてくれた。親愛なる大切な友人たち、君たちにも同じことが起こることを願っているよ。