今現在のアルバム

誇らしく、明るい笑顔を隠せないMikkoは、”アルバム”のアウトラインとなるものを聴かせるために、スタジオに僕らを集めた。とても楽しみであり、緊張する瞬間だ。だって、この先のプロダクションのプロセスがどうなるか、決まるからね。僕がアルバムのアイデンティティとして信じる感情的なトーンや心の震えを感じなかったら、それは僕にとって大惨事だ。だって、それはまた一から作り直しを意味するから。関わっているみんなにとって、大きな落胆となるだろう。目に見えない力を通して、自分が見たものに命を与えようと、みんな一生懸命頑張ったから。同時に、全ては最初に聴いたあと、すぐに”これだ”と思うかどうかだ。曲の作曲ステージがどのあたりであろうとも、全く新しいレベルのクリエイティビティへと僕らを動かし、アルバムの精神的な側面を通して、より深く掘り下げ続けるのに必要な自信を与えてくれるだろう。僕らは座って、それを見極めようとしていたんだ。

曲の順序は、アルバムが伝えるべき感情の旅の重要な要素だから、Mikkoは僕が制作中に伝えた内容に基づいて、その動きの流れを組み立てるようにした。そうすれば、それを捉えているかどうか、適切な精神を伝えているか、あるいは便利な形を実行しただけかどうかが分かる。曲の長さ、または曲がどれだけクールか、どれだけ素晴らしいか、どれだけ「ヒット」の要素があるかなどは、まったく気にしなかった。僕にとって重要なのは魂だ…それは他のすべての事柄を圧倒する。だって芸術の純粋な本質は僕にとって神聖だから。僕にとって、それについての妥協はあり得ない。ビジネスの現実とその構造的な一致の本質を理解していても、商業化以上に本物のものがなければ、それは完全に二次的だ。とは言っても、曲が僕らをどこに導きたいかを知らせるのは曲自体の役割。さぁ、聴く時間だ…
僕らは次々とこの航海の特異な流れに浸り、各曲を聴いたあとに一度止めて、全体的に思うことと、追加すべき、編集、変化、再びやるべきことについてピンポイントにアイディアを出し合った。全部で2時間くらいかかったかな。そして、正直言って、僕は呆然としたよ。聴いたアルバムに素晴らしく驚いたんだ!今はまだ”土台となる”バージョンではあるけど、全てとてもユニークで、目的があって、心がこもっていて、適切だった。Mikkoが到着した翌日のレコーディングでさえ、とても意味深かったんだ。アルバムの魂にそぐわないものや、自己満足や野心的なものは全く感じなかった。Mikkoは全体についてコメントする僕を待ち、とても特別になる運命を持つアルバムの、とっても素晴らしい土台に命を吹き込んだと言った僕の言葉に素直に喜んでくれた。Mikkoは誠実に喜んでくれて、”僕ら”っていうタームで話をしていたのを聞いて、すごく感動しただけでなく、彼がどれだけこの作品を信じているかが、大きく聞こえてきた。それは、数ヶ月前にロンドンでMikkoに出会ったときに、僕が深く望んでいたことだ…僕はプロデューサーを探していたわけではない。たとえ、彼の名前がその界隈で有名だったとしても。探していたのは、心と魂にあったヴィジョンへの抽象的な視点に、僕らが命を吹き込めるように、僕らと同じ側に立って、深く関わってくれる人だった。Mikkoは僕の期待のボックスをチェックしていっただけでなく、自分の直感を信じること、僕が望んだ”精神”になる力を信じること、そして、僕のアルバムへの視点、その曲、友人、僕が愛する人たちの期待を裏切るのでは、という偏在する恐怖を超えるために、必要不可欠な存在となった。

愛の中に恐れは存在しない。素直さの中に怖気は存在しない。それは、すぐに疑ってしまう僕の心との戦いなんだ。

僕が”参加している”と感じるまでに時間がかかったのなら、Jennieがリマイドしてくれたように、僕が”参加していなかった”ことはない…ただ深みが欲しかったんだ。この最初のアルバムの試聴が、一言一言を問いかけることなく、また、直感的な音を疑うことなく、自分自身を曝け出す勇気を与えてくれたよ…命、生命、人生!!!

*メモ:レナードはアルバムがとっても気に入ったから、ようやくMikkoを正式なファミリーの一員として迎え入れたんだ。これは大変な達成だよ…ヒットさ! 😉