[Jesusfreakhideout] 愛する人の死に命を見つけるという矛盾

掲載:Jesus Freak Hideout

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毎回、自分をさらけ出す素晴らしい機会を与えてもらうたびに、何について分かち合い、交流したいかについて考える時間をとるんだ。そう、最近、Jesus Freak Hideoutブログが何でも自由に書いて良いという機会を与えてくれたときのようにね。10年以上も、発展し続けるエンタメ世界にいながら、キリスト教信者のためのウェブサイトで自分を表現するのは、実は今回が初めてだから、とても特別だよ。いち信者として、それは意外なことなのかもしれない。LGBTのコミュニティや、アラブ系新聞から、ビルボード、ローリングストーン誌まで、世界中の様々なアートやソーシャルプラットフォームでインタビューを公開するチャンスに恵まれてきたことを思えば、尚更。

正直、どんなメディアにインタビューを受けたのか、とか、どのブランドがそのメディアをサポートしたり、スポンサーについてるかっていうことは、全く意識したことがない。そのグループが関連している政治的な行動計画と衝突したり、問題があったこともない。僕のヴィジョンは、きっとナイーヴかもしれないけど、ラベルやタグやユニフォームではなく、その中身を見ることなんだ。普段ならグループ同士を分けるように意図された違いさえも越えて、そこには人がいると思っている。僕だけの価値観、誤解や、偏見で判断をせずに、その人自身を見るようにしているんだよ…たとえ、様々な違いによって、それが難しいとしてもね。

実際、そうやって他人に手を伸ばそうと絶え間なく試みたことで、驚くほど素晴らしい人たちと出会い、たくさんの素晴らしい経験をさせてもらった。きっと、自分で認めたくないくらい、理解したくないくらいに、そういう人たちからたくさんのことを学んだと思う。矛盾というのは、自分の世界への視点を、奇妙且つ変な方法で反映するものだ。そこから自分について多くを学ぶことができる。そして、きっと、だからこそ僕は自分の翳った視点ではなく、神の明るい光の下で、世界を見たいんだと思う…または、少なくとも、だからこそ僕は人間の性というものに惹かれ、僕らを僕らたらしめるものに感銘を受けるんだーまたは、そう考え、そう信じたいと思ってる。

そういう視点を持って、僕はアルバム『Windows in the Sky』を書いた。亡き父を悼み、父が持っていた真っ直ぐな信仰を理解し、彼の人生に敬意を示すために。父はとても特異でユニークで、複雑な男だった。かつてアルコール依存症で、憂鬱で、手が届かない人間だった父は、ある時、完全に人生の方向を変え、キリスト教徒になり、癌という病気によって、あまりにも早く天に召されることになった。けど、父は天国でようやく親愛なる人に会えることを、とても楽しみにしていたんだ。正直、僕は父の人生にあまり深く関わっていたと思っていないけど、終わりかけの肉体、けれど信者として穏やかな父が召される瞬間、側にいた。正直、とても困惑したよ。色々な意味でね。僕の中にある信仰の発展、この瞬間によって映し出された自分自身の残り時間、そして、突如として自分の存在が全く違うコンテキストの中に放り出されたかのような感覚…最も辛かったのは父の死ではなく、そのことについて何も感じられなかったこと。感情が全く消えてしまったかのような。それは父が亡くなってから5日もしないうちに台湾のフェスティバルでヘッドライナーとして9万人の前で演奏した時に、はっきりと現れたんだ。その後3年間は、ずっとそんな感じだった。惨めさ。そして、その裏にある理由を完全に否定していた。

自分自身を解放すると決めた時、僕はようやく光へと戻る道を見つけたんだ。僕は一人、眩い街タンジェへ向かい、そこに避難場所を見つけ、結局トータルで2年ほど滞在することとなった。キリスト教徒の父をムスリムの国で悼むなんて、なんという皮肉だろう?言っただろう、矛盾の中にこそ、自分の闇を見つけられるんだよ。タンジェではたくさん詩を書いた。自分や、父や、僕が知る人々や、時には通りすがりの人々の人生にまで想いを巡らせて…マイクに向かって叫び続けて10年、僕はようやく耳を傾け、最もシンプルなことに感謝することができたんだ…新しい僕個人の旅路について静かに考える時間を取ることから、旅行者の僕にとってはまるで古代のようなライフスタイルに見える街の通りのカタルシス的な生活音にまで。絶望の中に優しさを見つけるのと同じように、無信仰の中には自由がある。そうして気づいたんだ。僕が”絶対的”なものに持っていた信頼は、安心したいという欲求であり、そういう、いかにも宗教という感じのクリシェから自分を自由にすると決めたときに初めて、再び感情が蘇ってきた。心と精神を解放することで、長い間、目に映らなかったことが見えるようになったんだ…

僕は多くの答えを見つけられないまま、タンジェを去ったけれど、気分は良かった。家に戻り、「The Hunter (By the Seaside Window)」という曲を書き上げて、のちに僕のアルバム『Windows in the Sky』となるものを仕上げた。「The Hunter (By the Seaside Window)」は、僕らみんなが、人生で一度は抱くであろう心の葛藤を様々な視点から表現したものだ。ハンターであること、獲物であることの真髄、またその両方であるとき、自分の存在をどう活かすべきか、そこにある感情をどうすべきか、理解しようとしている。この曲は、心の奥底にある疑いと同じくらい、神の中に見つける慰めを映し出したものだ。不安からくる混乱、その不穏な動きは、自分の弱さを正直に受け入れることではなく、宗教の信仰へと導く。そして、本物でいるためには、その招待を断り、慰めを受ける必要があるんだ。それが自分や他人にとって、どんな意味を持とうとも、僕らは混乱しており、アイデンティティは失われ、代わりに幻想が指揮をとる。その幻想はコピーしたものと、とても似通っているけど、それでも偽物だ…僕らが手放すと決めるまで。身を委ねることに敗北は存在せず、ひざまずくことに宿命論はなく、告白に非難はない。そういう考えを曲の中で描きたかったんだ。僕らのいわゆる安全と呼ばれるものを育てている自己保存、自分自身の矛盾と対峙し、その対決的な性質もまたその考えを描いている。人間性を否定することによって僕らは神をも否定し、それ故、神のアイデンティティも否定する。それが自らの葛藤に対してであろうと、日々の献身であろうとも。

僕は”受け入れること”を、負けることと考えていた。それはきっと、僕らみんなが抱いているチャレンジじゃないかと思う。特に最近の状況を考えれば、嵐の中で自分の恐怖や、未知なる時期に弱さを認めることは難しいんじゃないかと。現代社会では、素晴らしい実行力や結果が全てで、心の状態を告白することは、信仰心がないと思われたり、キャラクターが弱いと思われたりする。教会というコンテキストの中で、それはより色濃く出ているんじゃなかろうか。”実行力”が究極の誘いである教会。子供を素晴らしい大人に育て、満たされた結婚生活を送り、立派な経営者や社員となることまで。誰だって獲物になりたくはない。けれど、自分の内に潜むハンターを世話することは稀だ。もしかしたら、だからこそ一部の”学者”たちが、精神的苦痛を理解するのに長く時間がかかったのかもしれない。それは助けを求めること。どれだけスピリチュアルか、またはその人自身の問題ではない。息切れしているような感覚だと告白しても良いんだ。信仰を持ちながらも、恐れを抱いて良いだろうか?神を信じながらも、明日がどうなるか不安だって認めても良いだろうか?聖書には、疲れても良いと書かれているだけでなく、歓迎を受け、解放されるという約束もついてくる…なんて素晴らしいんだろうか?でも、人が宗教的なカルチャーに色づき、最もシンプルな奇跡、そう毎日、鏡で見ている自分の姿に何も感じなくなっていくにつれて、その恩恵を複雑なものにしてしまう。それは、たくさんの奇跡を目にしてきたことで疲れてしまって、もはや認識できないからだろうか?

思い出の中で、死の床につき、癌という逃れられない敵と闘うほんの少しの力しか残っていないにも関わらず、全く喜びに満ちていた父の姿こそ、僕の心に焼きつき、最も大きな影響を与えたイメージだと思う。たとえ、その時点で、言葉を発することができなかったとしても、父らしい、情熱に溢れたブルーの瞳が伝えたかったことを知っている:「自由になれ、Alex…自由に。家へ帰って、心を癒しなさい」その後、僕がこう言えるまで5年かかった。「愛しているよ、父さん。今まで本当にありがとう。僕は今、家にいる」

改めて、自由に何でも書いて良いと言ってくれたJesus Freak Hideoutに感謝したい。たとえ、他にも色々と分かち合いたいことがあったとしても、この個人的な証が、必要な人たちへの励みとなるだけでなく、解放できる機会を探している人にとっての慰めとなることを祈っているよ。今現在のようなソーシャルディスタンシングの状態であろうと、そうでなかろうと、きっと誰にでも人生のある時期において、各々の理由で、必要とする日が来ると思う。

みんなとまた話をする別の機会があることを願っているよ。
安全と平穏を祈って
– Alex

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