エディション30
音楽がゆっくりと戻ってきて僕に囁いているとき(パート1)

親愛なる兄弟、姉妹、友人、そして愛する人たちへ

元気かい?鮮やかな秋へと景色が変わる前、夏の最後の明るい陽射しを君が楽しんでいるといいな。

もう9月だなんて信じられない。今朝、マッカイ&レナードと外を歩きながら、特にびっくりしたんだ。風は少し冷んやりとしていて、様々な色の葉っぱが地面を覆い始めてる。昨日まで一面緑色だったのに。鳥のさえずりさえ、なんとなく違って聞こえたよ。まるで、僕を囲む山々の大きな変化にあまり気づかないままだったかのようだ。それくらい、心臓手術が終わってからというもの、時間の経過を追うのが難しくなっていて、以前なら当たり前にやっていたルーティーンや自分のリズムを取り戻すのが難しいと感じる。自分のペースを失うのは、とても不快であり、不安でもあるよ。まるで自分の中の時計が完全に錯乱して、現実世界への認識がめちゃくちゃになったみたい。そんな悩ましい状態にいることすら、ものすごく変だけど、僕の場合、そうやってコントロールを失ったり、身を任せるしかない状態になることは逆に良いことだと知ってる。ただ、その新しい脈拍を確かなものにする最初のステップを既に見つけられていたらと思うんだけど、まだなんだ。少なくとも、物事が動いているように感じられない。というか、自分の毎日が望むほど早く動いていないと感じるのかも、たとえ、2月に集中治療室を出たときから、たくさんの素晴らしい出来事が起きていたとしても。

だから、手術後初の“From a Stranger To Another”のエディションは、混乱の多いこの年に起きた意味深い要素を再び振り返るだけでなく、僕個人として、またアーティストとして今後、どんなことが待っているかについて、みんなに伝える素晴らしい機会じゃないかと思ったんだ。

“それで先生、僕はいつになったら元のように生活できるの?”

この問いは、僕の想像を遥かに超えた数の管で人体と機械を繋ぎ、その状態のまま7日間過ごして集中治療室を出たあとからずっと、何度も繰り返し聞いてきたテーマだ。(実際には3~4日しか覚えてないけど)病院にはおよそ2週間くらいいたから、まぁ、悪くないよね。病院を出たいと、丁寧に、だけど強くお願いしたあと、バンドの本部へとようやく戻ることを許された。早く病院を出たいという望みは、看護師さんや職員の人たちとは関係なかった。彼らはみんな素晴らしい人たちで、扱いについて文句なんて言うつもりはなく、逆に、恐れ多いほどの敬意と親切心をもって接してくれたことが信じられないくらいだ。多くの場合が酷いコンディションで働いているにも関わらず、僕はその素晴らしい人たちを褒め称える十分な言葉を持っていない。早く出たかったのは、病院が僕にとって感情的になる場所だったから。心と魂の中で、あまりにも多くの忘れられない思い出が蘇ってきたんだ。子供時代のほとんどを病院で過ごした思い出から、立て続けに亡くなったヘンリーおじいちゃんとマンスおばあちゃん、ドラッグと自殺によって亡くした十代の頃の友人たち、そして、僕の父さんまで…一度に全てを受け止めることはできなかったんだと思う。

僕の療養も望むほどにはスムーズにはいかなかった。これまで、すごくイライラする、一筋縄ではいかない道のりだ。4~6週間くらいだと思っていたのに、それが2~4ヶ月となり、今ではタイムテーブルが12~18ヶ月を指している。光へと戻る道は、想像したよりもずっと危険だったようだ。というのも 、僕の状態が最初に診断されたよりも、実はずっと深刻で緊急を要するものだったから。二重移植手術は4~5時間ほどと予定されていたのが、結局10時間近くなって、僕の体はショック状態に陥り、大量の血を失って、何度か”これで終わり”かも、という状態になったけれど、執刀医の素晴らしい能力と彼のチームのとてつもない知識と配慮によって、僕は今もここにいる。それには感謝しかない。今もだいぶダメージを受けたままだけど、壊れてはいないから…それで十分さ、そうだろう?!

それでも良い知らせはたくさんあって、声が少しずつ戻ってきたということ。僕を静かなるゾンビにしていた薬は(ハイパー過ぎる普段の僕を知る友人たちからは割と歓迎されてたけど)だいぶ量が減ったんだ。今年中に全部ストップできたらいいな。(ちょっと無理そうだけど)僕のエネルギーレベルも上がってきて、夜7時以降も起きてられるようになったよ!集中力も徐々に戻ってきて(たくさんの契約書にサインした気がするけど、あれは何だったの、Jeff?)、精神的にも肉体的にもずっと安定してきたように思う。本当の自分が戻ってきた感じ。それだけでも、大きな勝利なんだ。特に何ヶ月もの間、自分の脳みそ、身体、気分と戦ってきたからね。

そうは言っても、今後の数ヶ月は激しくなる予定だよ。だって、何度も始めては止まってを繰り返してきたけど、これまであまり動けずにいた体を元に戻すために、フィジカルセラピーを再スタートさせないといけないから。通常よく見るビフォーアフターの写真はここでは載せないでおくよ。

“それで先生、僕はいつになったら元のように生活できるの?”という質問の答えとしては、その日は来ないってこと。それよりも僕の視点としては、”今の自分が人生を最大限に生きられる自由に深く感謝しています!“という感じ。ほんの少し視点が違うんだ。でも、本当にさ、心から嬉しいっていう状態を思い描けるだけでも、人生が変わるような転換だよ。そう、もう既に、大きな勝利なのさ。

新しいマネジメント - 新しい始まり - 新しいファミリー

ここ数ヶ月の間に起きた重要な出来事の一つが、10年以上もずっとセルフプロデュースのDIYアーティストとしてやってきたあとで、マネジメントつけるという決断。そして、In De Gootファミリーに迎え入れられた時に、仲間を見つけられたこと。自分のアートと創作に集中するために、専属のチームをつけることは明らかであり、必要不可欠だったけど、僕の音楽を気に入り、価値を共有するだけでなく、アーティストとして、一個人として、一緒に成長ができるとてもユニークな人たちと会う、というのが完璧なシナリオだった。そのためには、心にある情熱によって駆り立てられる人たちである必要があったんだ。そうすれば、僕はその人たちを信頼することができる。自分のためだけでなく、この美しくてクレイジーな旅路をこれまで分かち合ってきた友人たちのためにも。だからこそ、典型的なマネジメント契約よりも、魂レベルで繋がれる人たちを探していたんだよ。そして、初めて、BillとJennie McGathyに出会ったときに、そして彼らのチームと顔合わせした時に、まさにそれを感じたんだ。彼らこそ僕が探し求めていた人たちだという強い確信があった。彼らがアメリカ国内でも最も成功している、数少ない大手マネジメント会社の一つであるという事実が決め手だったわけじゃない。たとえ、そういう実績のある会社と手を組めることは本当に有難いことではあるけど、人としての価値を中心に物事を進める彼らのファミリーの一員になれて、とても光栄に思ってるのさ。

今後アップされるSFCC The Club限定のJeffとの”カンバセーション”を通して、より詳しく知ることができるよ。それと、もうすぐ出版されるCanadian Musician Magazineのコラム内でもね。The Clubへはここから登録できるよ。

マッカイのリンパ腫

今年一番の痛烈な知らせは、休暇も兼ねて今後の予定について話すためにJeffと向かったメキシコから帰ってきてすぐだった。ヴァージニアの自宅に帰ってきたあと、すぐに愛犬マッカイの異変に気付いたんだ。いつものような元気がなかった。様々な検査をしたけれど何も見つからず、けれど何かがおかしいことは分かっていた。でも、超音波検査の診断を聞いたときは、頭をトンカチで殴られるくらい衝撃的だった。”不治のリンパ腫”。余命は2~3ヶ月。そのあとに言われたことは正直覚えていない。沈黙よりも深い闇があるんだと知った。痛みと怒りと無力さの深淵に永遠と落ち続けていくかのような。僕の声帯のせいで叫べなかったことで、更に苦しみは増したように思う。涙が溢れてきて止まらなかったけど、マッカイがいつも柔らかくそうするように、僕の元へ来て、頭を膝に乗せ、優しい目で僕を見つめながら、まるで「きっと大丈夫だよ、ダディ。乗り越えられるさ。もっと悪いことも乗り越えてきたんだから」と言っているようだった。マッカイを静かに抱きしめながら、何時間もそこにそうしていたように思う。個人的な問題に対処しないといけないとき、僕はこの宇宙の不平等を責めるような人間じゃない。けどこの時だけは、できるだけ遠くにいようとしていた、あらゆる感情に圧倒され、深い心の振動をコントロールできずにいた…

その後の1週間は、マッカイの治療ができる病院を見つけることに専念した。状態が急激に悪化していたから、時間を無駄にはできなくて。失禁の症状が出始めていたし、歩くことや動くことも難しくなってきて、更に眼球内の出血によって盲目になり始めていたんだ。けど、マッカイの治療ができる動物病院を探し続けた。というのも、マッカイのリンパ腫は他のケースとはちょっと違うレアなものらしく、治療ができて、その知識もある病院は数少なかったんだ。”治らない癌”の宣告だけでも辛いのに、さらにそのレアなケースを取り扱ってくれる病院を探さないといけないなんて。それでも僕は諦めることはしなかった。全てはマッカイの生活の質を維持するためだと理解しながらね。苦しませながら、自分の欲望のために長生きさせるつもりはなかった…

僕の希望は、ルアノーク動物癌治療&研究センターから舞い降りた。動物専門の癌治療部門があるだけでなく、研究センターも備わっているから、マッカイの特別なケースにも対応する設備があるとのことだったんだ。その知らせを受け取ってすぐさま病院まで運転して行ったよ。彼らも連絡して割とすぐにマッカイを受け入れてくれた。それには本当に感謝したんだ。だって、連れて行ったその日から、癌治療が始まったからね。その日はとても激しい1日で、それは今でも続いているよ。マッカイにとっては大きな闘いだ。敵はしぶといことで知られているから。僕はどれくらい時間が経っているのか分からなくなった。あの日から僕の毎日は、どこへ行くにもマッカイを抱きかかえているということだけ。動物病院へ行くにも、自宅近くにあるクリニックでの検査も、毎週行う血液検査、超音波検査などなど。大変な闘いだけど、マッカイは素晴らしい精神を持ってる。それが僕にとっての究極の条件だったんだ。闘うのに少しでも疲れが見えたら、投薬などが強すぎて副作用に苦しんでいることが見えたら、全ての治療をストップして、最期を迎えるまで自宅で穏やかに過ごしただろう…僕の心はかなり苦しんだだろうけど、そうなる可能性が高いことも理解していたんだ…

有難いことに、マッカイは治療を始めてから徐々に調子が良くなり、また目も見えるようになって、ゆっくりと歩けるようになって、外に出たいと伝えるようになり、食事もできるようになり、僕らの部屋へと階段を登れるようにまでなった。1階の居間でのキャンプはマッカイにとっても、僕にとっても、もう終わりだ。その間、マッカイの頑張りは、自分自身の回復のために戦い続ける勇気を与えてくれた。しばらく挫折を繰り返していたけど、そのおかげで、前進することができたんだ。その時点で、僕は明らかに調子が下がり始めていたからね。だから、たとえ酷い知らせだったとしても、マッカイの健康に意識を集中することで、不安定だった気持ちのリズムが、全くポジティブなものになり、赤ちゃんの時から僕の膝に頭を乗っけて眠るマッカイとの時間を思い出させてくれた。常に前を見て、自分の足で立ち上がり、パンチを受け止めて、努力し続ける。僕はそうやって生きてきたんだ。その裏側で、自分がかなりセンシティブなことも理解してる。他人に心を開いて頼ることもレアだ。だからこそ、変えることのできない状況が、とても心痛むものだった。

マッカイは、2回目の治療サイクルを終えたところ。来週また抗がん剤治療の新しいサイクルがスタートする。より複雑で、実験的な治療。これは大きなステップになるんだ。それによっては、癌細胞が縮小するかもしれないし、または現状維持のままかもしれない…その進展については、また追って伝えるね。              

改めて、今、僕の人生に起きていることについて分かち合えて感謝しているよ。ジャーナルのパート2は来週公開の予定で、僕が今現在専念しているプロジェクトについて、そして最後となるパート3は君からの質問のいくつかに答えるものになるよ。今後の“From a Stranger to Another”エントリーを見逃さないでね…きっと喜んでもらえる内容だと思うんだ! 😉

愛を込めて,
AHF

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