エディション34
新年:悲しみ、痛み、光と復活…
親愛なる兄弟、姉妹、友人であり、愛すべき人たちへ
君の休暇シーズンが、大切な人たちと過ごす機会に恵まれ、満ち足りていて、穏やかで、ゆっくりできた時間であったことを願うよ。こういう時間は短いかもしれないし、シンプルでサラッと過ぎていったかもしれないけど、人生の辛い時期、それがどれだけ暗くて、悲しいものでも、そこを通り抜ける道しるべとなってくれる。それは小さな光の点滅のように訪れては去るからこそ、その白熱灯の要素を育てることは大切なんだ。鏡に写った偽物の現実から、本当の現実を理解しようとするのは、とても困惑する。特に浸る”価値がある”ように思えるものが、気分の良し悪しによって、複雑になってくる時にはね…一瞬ちゃんと考えてみると、騙しの行為に等しいんだ。そして、”一時停止”を押す機会があるたびに、それが休暇でも何でも、僕らはグローバルな文脈において幸せであるはずのものと、自分個人の静寂だと直感的に分かることの概念において、不思議な複雑性に直面する。自ら作り上げた嬉しそうな偽物の自分でいないといけないというプレッシャーが、究極的にその生産物であり…そして、最大の悲劇だと思う。
ここ数年で気付いたんだ。というか、命が危うかった心臓手術から数ヶ月間、あまり話したり、読んだり、書いたり、動いたりできなかった中で更に、孤独というのは社会的なステータスではなく、状況的なものでもなく、心の問題だということに…ある意味で感情的な性質…特に自分の人生の旅路が何となく分からなくなったり、見かけとは違うものになったり、真意が読み取れなくなった時に、見過ごしがちなもの。幸せはすぐに奇妙な形の障害物となり、悲惨な1日が経過するたびに、眠れない夜が続くたびに、少しずつ到達できなくなるように思う…それでも、大事なのは、新しい日の出は昇るということ…朝の光と同じくらい忠実に…新たに生まれた可能性を思い出させてくれるんだ。新しい約束が紐解かれるのを待っているんだ、と。そして、それに伴って新しい機会も訪れる。デザインを変えた新しい人生、新しい存在の復活。もしそれが真実でないなら、それは残酷なまでにサディスティックな現実だ。だって、最近の無関心さや冷酷な社会の皮肉さから自由になって生きることは、かなり挑戦的だから。特に、数え切れないほどの絆創膏を自分の感情に何度も何度も貼り続け、いつの間にか受け入れるようになった傷の痛みを隠そうとしたり、ずっと抱え続けてきた幻滅の心や壊れた夢の感覚を覆い隠そうとしたあと、皮肉さが慰めの薬のように感じるときにはね。それでも、酷く嫌い、呪うようになった弱々しい光は、夜の暗闇でも消えるのを拒み続け、輝き続ける…来る日も来る日も。
そして、その小さな光は、時を刻むようになる…新しい日、新しい月、新しい年…人生は続いていく…そして、自分たちもそうであればと願う。でも、動くことは発展していくことではない。一人でいることが、孤独とは何の関係もないのと同じように。
以前はその光を嫌っていたんだ。その輝く存在に感謝できるようになるまで。毎日、朝の光を見るのは慰めだった。たとえ、それと一緒に痛みを思い出したとしても。自己投影した実体から解放されるのは、僕らが思うほど簡単じゃない。僕にとっては簡単じゃないんだ。主に、人前に出す”自分”という幻想を、自分が生きていた世界や、自分を囲んでいた人たちから身を守るための口実として使っていたから…けれど、心と魂を蝕む本当の”敵”は自分の中にあった…”孤独”だよ。そんな腐敗した自分へと導いた全ての結果…それは、拒絶されることへの恐れであり、不必要であるとみなされることであり、愛されるべき人間ではないと疑う気持ち、敗北者であるという恐ろしい認識、完全に印を見逃した人間…などなど。その化身は、それが生む苦しみよりも、数が多いんだ。そんな感情的惨めさを感じないように自ら作った景色に合う、あらゆるものを使って、喜びの感覚を引き起こそうとするのも不思議じゃない。真実の悪夢を生きるよりも、幻想的な夢を満たす方が良い。それでも、小さな希望に満ちた炎が、新しい夜明けとともに毎日輝き続けるんだ…存在を強いられたように感じる現実と向き合わずに生き続けられるよう、自分に繰り返し言い聞かせた嘘よりも、もっとずっと忠実に。そして、その小さな光は、時を刻むようになる…新しい日、新しい月、新しい年…人生は続いていく…そして、自分たちもそうであればと願う。でも、動くことは発展していくことではない。一人でいることが、孤独とは何の関係もないのと同じように。
休暇シーズンは、僕が願ったほど楽しいものではなかった。でも、残酷で悲観的なトーンが、ここ最近の経験によって感じた、そして今でも感じている心の痛みを映し出しているとしても、現実は全く反対なんだ。だって、このジャーナルは、この言葉を書きながら体験していることへの、ポジティブなレスポンスだから。もし、常にこうやって人生という旅の様々な側面に対峙することで、それが次のステップを明確にするなら、僕に何があって、どんな決断をしたのか分かるように、少し状況を話したいと思う。
僕の可愛いマッカイ、さようなら
多くの人が知っているように、僕の愛するマッカイは昨年の6月から希少なタイプのリンパ腫の癌と診断されて、ずっと勇敢に戦っていたんだ。調子が良くなったり、悪くなったりの6ヶ月だった。そのうちの5ヶ月は恵まれた贈り物だったよ。癌と診断されたときは専門のドクターから、楽観的に見ても余命4週間だって言われたからね。言葉を変えれば、何をどうしても、体調が安定することも、完治することもないってこと。マッカイの癌細胞は残酷で激しい上に、希少なものだったから、試すことができる抗がん剤治療のプロトコルもなかったんだ。その診断に僕は打ちのめされた。僕自身も厳しい回復期の真っ只中で、肉体的に疲れ果てていたし、感情的にもボロボロだった。僕は”何故?!”とか”何で僕なんだ?!”とか”何故、今なんだ?!”っていう問いをするタイプじゃない。そんなこと思いもしないのさ。だからこそ、全てを自分の奥深くに仕舞い込む。苦しみを全部吐き出すことは稀だし、一呼吸することすら自分に許さない。だから、癌治療をしている動物病院を探して、色々なクリニックを訪問したんだ。一筋の光として、犬の癌治療において最高峰とされる病院がヴァージニアにあり、自宅から90分のところで、しかも、そこならアメリカでも唯一マッカイが持つタイプの癌細胞のリサーチをして、それに特化した治療ができると知った。だから、数ヶ月間、僕の生活はマッカイの健康に献身したもので、それに期待していたんだ。マッカイは眼に血が溜まって、ほぼ盲目のようになり、歩けなくなり、失禁するような状態から、以前のような好奇心旺盛で、元気な状態にまで戻った。マッカイの現実とそれに伴う未来を否定したり、自分を騙したりすることなく、抗がん剤治療のセッションのたびに、僕は希望的になっていった。たとえ、治療薬がとても激しいときがあったとしても。マッカイは治療後、数日は疲れっぽかったけど、そのあとは華麗に元気を取り戻していたんだ。毎日を、逃れられない時間の本質を引き伸ばす恵みとして、受け取っていたよ。
とはいえ、亡くなるまでの4日間に見たマッカイの病状の悪化には全く不意を突かれた。特に12月11日の抗がん剤治療がとても上手くいったから。癌細胞がその前の治療時と比べて、縮小していると言われたんだ。もしかしたら、奇跡が起きて治ることもあるのかもしれないって思い始めていた。けれど、12月21日、マッカイのエネルギーレベルに若干、陰りがあることに気づいた。そして、まもなく食べる量が減っていき、12月24日には全く何も口にしなくなった。それは、事前に知らされていた”普通”の状態だった。そうなるかもしれないと専門医から言われていたんだ。水を飲んでいる限りは大丈夫だと。病院で栄養分を与えてもらったから大丈夫だ。マッカイのムードは、少し動きが遅い感じで、眠たそうだったけれど、それでも元気があった。12月27日までは。その日の朝は、外に出るのにもマッカイを抱っこしないといけなかった。そのあとは、どことなく大丈夫だったけど、前の夜、呼吸が激しくて、あまり寝ていなかったから、ヴァージニアの動物病院に緊急として連れて行ったんだ。そこで、マッカイの状態が非常に悪く、2つの選択肢しか残されていないと言われた。1つ目は、マッカイのエネルギーやシステムをブーストする効果が見られるかもしれない実験的な治療を施すこと。けれど、これは重い副作用があるだろうとのことだった。そして2つ目は、マッカイを永遠に楽にしてあげること。僕は愕然とした。たとえ、前の夜の様子から、もしかしたら、続けていくのが困難になった闘いに終止符を打つところまで来たのかもしれないと感じていたとしても。腹に思い切りノックダウンブローを受けたかのような。涙が止まらなくて、目眩がして、完全に無力さを感じた。しばらく、青白いまま、じっと突っ立っていたと思う。やがて腫瘍学者が、避けられない選択について考える時間とスペースを与えてくれるまで。僕は疲れ切っていて、マッカイがここ6ヶ月間、次の日を生きるために自発的に耐えてきたものが、どんなものか想像することもできなかった。マッカイの勇気と決意は自然に逆らうものだ。その贈り物を僕にくれたことを知っていた…今度はマッカイの忠実な愛に僕が敬意を送る番だ。
僕は地元の獣医さんの元へと戻ることにした。癌宣告されてから毎日のようにお世話になったところだ。動物への愛に満ちている場所。“Patch Adams”(パッチ・アダムス)の獣医バージョンがいるところ。(グーグル検索してみて。偉大な人物だよ)マッカイの状況を電話越しに聞いた獣医さんもまた打ちひしがれていた。しばらく電話越しに沈黙が続いたあと、マッカイも納得するように全力を尽くすと保証してくれた。僕はこれ以上、苦しんで欲しくなかったんだ。それが、マッカイと僕との秘密の約束だった。大好きなことすらできなくなってしまうくらい生活の質が落ちたとき…それがシグナルだと。自己中心的にはなりたくなかった。たとえ、手放したくなくても…でも、それが僕らの約束だったんだ。ヴァージニアの緊急動物病院から戻る2時間の車内は、耐えがたいほどに痛々しかった。ハイランドの山々の景色が素晴らしく美しくても、その道中は消えない疑い、後悔、思い出と罪悪感の拷問だった。亡き父のことを思い出したよ。そして、数ヶ月前は自分が手術台で命の瀬戸際にいたことも。僕は普段のように振る舞うフリをするエキスパートになってきたんじゃないかな…でも、実際には肉体的にも、感情的にも、心理的にも、精神的にも全てを閉じていた。崩れ落ちなかった唯一の理由は、運転中、マッカイが頭を僕の腕に乗せていたこと。まだ終わっていない…最大に穏やかなカウントダウンを与えてあげないと。僕のためではなく、マッカイのために…”僕”のパートはあとでやってくるだろう。本当にはやってこないかもしれないと知りながらもね…できるだけ長く僕の心を生かし続けたいなって思うから。
家に着き、マッカイを抱っこして、自室へ向かった。心配しながら、もどかしそうにマッカイを、僕らの帰りを待っていたレナードと一緒に。マッカイをベッドに横たわらせ、そこで少し時間を過ごした。レナードはマッカイに寄り添って、舐めていたよ。マッカイは僕の胸の上に横たわり、長いキスのセッションをしたがった。抗がん剤治療を受けたあと、いつもそうしていたように。僕ら3人とも眠りたくも、大事な一瞬を逃したくもなかった…だから、2時間ほどそのまま過ごして、いよいよ獣医さんの元へ向かう時間となった。驚いたことに、マッカイは自力で立ち上がり、2階から1階まで降りて、玄関ドアの前に座り、散歩へ行きたがった…いつも、そうしていたように。あまりにも夢のような出来事が連続したから、自分がもうすぐどうなるのかマッカイが理解していることは、明らかだった。だから、1日に3、4回していたように散歩したんだ。それは、基本的に山を登り下りすることなんだけど、だいたい合計して1.5マイル(2.5km)くらいある。マッカイは僕の前を歩き、数日間何も口にしなかったのに、犬用のクッキーをあげたら喜んで食べた。意識が朦朧とするのと同じくらい、とても困惑した。僕は一緒に散歩していたStephanieとMiss Isabelに向かって、突然芽生えた疑いについて話した。二人もまた僕と同じように、戸惑っていた。Jeffが車で山の下にいた僕らを迎えに来た。そしてJeffもまた、僕らと同じように驚いたんだ。マッカイが自力で歩いているだけでなく、その様子にアップビートな活力が見えたから。
地元の動物クリニックに着いてすぐ、最後のプロトコルを始めるのではなく、健康診断をやってくれと頼んだ。その結果には、特に変化はなかった。ホリスティックな動物の医者である獣医さんは、飼い主との強い繋がりがある動物は、最期を迎える前もう少しだけ長く一緒にいようとすると説明してくれた。その強い繋がりが、僕らの間にあったのは明らかだった。僕はマッカイが苦しんでいるか尋ねた。彼は、マッカイが苦しんでいるようなサインは特に見当たらないけれど、極度な脱水症状と疲れが見えると言った。獣医さんは付け加えて、準備ができたらマッカイが教えてくれるはずだ、とも言った。だから、マッカイに栄養素を含んだ液体を与えることで同意し、自宅へ戻ったんだ。お別れを言うまで、もう少し一緒にいられることに深く感謝したよ。僕は夜通しマッカイを腕に抱いて、眠れるようにした。翌朝、マッカイの目は穏やかだったけど、とても疲れていた。僕は、マッカイが僕にしてくれたこと全てに、もう一度、感謝したよ。マッカイは最後の散歩に行きたがった。その歩みはゆっくりだった。まるで、座って休むスポットの全てを最後にもう一度、味わいたいと言っているかのように。Jeffが前日と同じように、車で山の下にいた僕らを迎えに来た。僕らみんな終わりが近いことを分かっていた。クリニックに着くと、獣医さんがまるで家族のように迎えてくれた。彼は、これからのすべてのステップを説明し、マッカイと僕は、自宅から持ってきたマッカイお気に入りのクッションの上に寝そべった。前日とは違って、レナードはとても動揺して不安げだった…レナードも分かっていたんだ。そして、だからこそ僕はレナードにもその場にいて欲しかった。マッカイとレナードは、8匹生まれた子犬の中の兄弟犬だ。マッカイのすぐあとにレナードが生まれ、生まれてからこれまで一度たりとも離れたことがない。だから、マッカイの帰りをこの先ずっと待つなんてことはさせたくなかった…レナードもきっと理解すると思ったんだ。
そのあとのことは、正直あまり覚えていないんだけど、唯一覚えているのは、今まで見た中でも最も驚くべき光景。獣医さんがマッカイに鎮静剤を打ったあと、10~15分ほど僕の手を優しく舐め続けた。まるで僕を気遣い、慰めるかのように。涙が止まらなかったよ…みんな泣いていた。レナードは普段とは打って変わって、とても静かだった。獣医さんが部屋に戻って来て、準備は良いかと尋ねた。僕は答えなかった…けれど、マッカイが立ち上がり、まるで別れの挨拶をするかのように僕らを囲んでいた人たち一人一人を舐めて回り、最後にレナードへ別れを告げ、獣医さんの目の前に自ら両足を出して横たわったんだ…マッカイは準備ができていて、僕が”Go”サインを出すことがないことを知っていた。僕がこの先ずっと感じたであろう安楽死という選択への罪悪感をマッカイが取り除こうとしてくれたんだ。獣医さんが最後の注射を打っているとき、マッカイは頭を僕の膝に乗せ、マッカイにしかできないユニークな笑顔で僕を見上げ、ゆっくりと旅立っていった。レナードが柔らかいハイピッチの鳴き声を放った瞬間、マッカイは逝ったのだと分かった…そうやって、虹の橋を渡っていったんだ…葬儀屋が到着するまでの2時間ほど、僕はずっと”マッカイ”を抱きしめていた。最後にもう一度だけキスをし、獣医さんにお礼を言って(オフィスで彼も涙してくれていたんだ)、世話になった事務の人をハグして、帰宅した…僕はレナードと一緒に自室に戻り、しばらく気絶するように眠ったよ…
マッカイはとても特別な個性を持っていたんだ。会った人はみんな”小さな人間”と呼んでいた。普通の犬とは違う振る舞いをしていたからね。とても強烈で特別なパーソナリティを持っていたんだ。毎日の細かなことも、僕らの独特な絆で特徴付けられていた。僕がツアーに出ていない時は、24時間/7日間いつも一緒だった。ツアーが長期に及ぶときは、合間を作っては自宅へ飛んで、マッカイ&レナードと一緒に時間を過ごせるようにしていた…僕らにはルーティーンがあって、秘密のコードがあって、僕らだけの言語があった。1日に数回行う散歩のルーティーンを選ぶのがマッカイだっただけでなく、僕自身もフィジカルセラピーをしないといけないことを思い出させてくれたり、または太陽光を浴びるために外へ出る時間だと知らせてくれていた。マッカイは、僕のクリエイティブな世界の中心でもあった。オフィスで作詞をしている時には側のソファで寝ていたし、ディスレクシアの問題と向き合うために声に出して文章を読むときには僕の膝に頭を乗せて寝ていた…ヴォーカルエクササイズをする時には一緒に歌っていたし、バンドと一緒にリハーサルする時やスタジオでレコーディングする時にも、常に僕の足元にいたんだ。何時間もギターのフィードバックに没頭したり、聴きたい音の振動を見つけようと長時間試すときに、遊んで欲しいと腹を立てていたのと同じくらい、僕らは何時間も外に座って、魅力的な自然の生命を眺めたりもした…その全てに加え、僕らのキスゲームで遊ぶために、よく仕事の邪魔をしてきたよ。それがマッカイであり、僕だった…”僕ら”だった。とても独特で、稀なタイプの繋がり。
だから、それからの数日は、新しい現実に伴う痛みと、僕を支えるために会いに来てくれなかったら完全に距離をとっていただろう人たちとのあいだで、無重力かのように過ごしていた。そこにいながら、いない感覚。今回は新年の日の出をみんなで見ようと集まったりもしなかった…どう説明したらいいか分からないんだけど、独りになることが実際にどういうことかを経験していたんだと思う…空虚感を。
時はいつだって今
2023年から2024年へと移り変わったことに、僕は安心した。たとえ、マッカイの”死”が、”魔法”というよりも”ごまかし”であったとしても、2023年は僕にとって、本当に難しい年だったからこそ、ちゃんと別の方向に進んでいるという感覚を得るために、喜んでその”ごまかし”効果を手にしたよ。僕は既に前に進んでいるように感じたんだ。けれど、今回は腕と手を広げて、”人生”がこの先の僕に与えるものに前向きに驚きたいと思いながらね。そのサプライズはすぐにやって来たんだ。ヨーロッパから友人が僕を訪ねて、2冊の素晴らしいファンブックをプレゼントしてくれたのさ。僕はとてもプライベートな人間で、心の傷を全て見せることは稀だ。けれど、このジェスチャー、贈り物が、とても大きく僕の中に響いた…そして、今もう既に始まっている年の行方を特徴付けたんだ。このジャーナルは、その親切心、君の慈悲に満ちた心へのレスポンス。Your Favorite Enemiesのバンドリーダーとしての活動期間のほとんどがそうであったように、また孤独へと戻らないようにしてくれた…今でも独りだと感じるだろうか?もちろんだ…しばらくはそう感じると思う…でも、僕の場合、健康的なプロセスであり、必要な時間なんだと思う…友人たちの支え、新しいマネジメントファミリーと、もちろん君のサポートと一緒にね…マッカイがいつも僕の味方でいてくれたように、それがコメントやメッセージ、手紙やポストカード、贈り物やハグ、ウインク、写真やビデオなどであろうとも、僕にとっては大きな意味を持つんだ。みんなに深く感謝するよ。
僕がマッカイを一人にさせることはない、一人で逝かせることはないと、マッカイも知っていたんだと思う。既に夏のフェスティバルの間のどこで一旦、自宅に戻れるだろうかと考えていたし、ツアー中にどうしたらマッカイと一緒にいられるか考えていたんだ…もう既に一度、延期をお願いしたアルバム制作にも、心配しすぎて集中できなかっただろう。それが全くのナンセンスであることは分かってる。オーバーリアクションだってね。”ただの犬じゃないか。5歳児の子供でもあるまいし、しっかりしろよ”っていう声が想像できた…その通りさ。でも、僕にとってはそれ以上なんだ。慰めと平和を見つけるために全てをオーバーにスピリチュアル化するようなタイプじゃないけど、それでも、2023年に起きたすべてのことに感謝しているんだ。そのほとんどが起こらなかったら良かったのにって、もちろん思うけど、僕は隠れるのを止めなきゃいけない。僕を定義していたもの全てを奪われたことで、次に来たることを決定する後押しとなったんだ。”惨め”に感じることが、どういうことなのか知ってる。だから、本当の意味で人生を謳歌するときなんだ。ネオンの下で死んだように生きるのではなく、自然の光の中へと踏み出すときなのさ。人生は不思議だ。とても、とても不思議だ。でも、愛が全てに打ち勝つことも証明している…孤独だけでなく、最も深い空虚感にすら打ち勝つんだよ。そして、クレイジーに聞えるかもしれないけど、僕はその毎日キラキラと輝く光を、レナードの振る舞いの中に見つけている。マッカイを失ってから、とても良く、美しいまでに穏やかなんだ。嘆く心をゆっくりと癒して良いと言ってくれている。新しい土台を見つけ、日常のリズムを取り戻せるように。
次に待ち受けるもの
もうすぐ、大切な友人であり創作仲間のBen(“The Long Shadows”のリードギターでもある)、そして日本人アーティストであり長年のコラボレーターであるMomokaと一緒に、療養中に作ったプロジェクトの詳細について発表するよ。ようやく君と分かち合えることにワクワクしているんだ。とても特別なプロジェクトであるだけでなく、今年はこれを中心に様々なことが開花していくから。より安定したリリースサイクルへも入っていけると思う。
また、僕のアジェンダにおいて重要な場所を占めることになる、とても意味深い別の要素、そう、よりアップビートなネオプログ・ノイズとなるだろうバンドのセカンドアルバムについてもね。まぁ、今現在の感じでこう表現してるけど、完成からはまだ程遠いから、どうなるか分からないけど、今のところ言えるのはここまでかな。今年の夏にヨーロッパで予定しているフェスティバルのステージで、新しい曲たちを演奏するかもしれないね…またみんなと一緒に音楽の時間を共有するのが待ち切れないよ。本当に恋しいんだ。みんなのことも、とても恋しいよ。これからのステージが、みんなのことを考えるときに感じる感覚を描いた、ラウドで、激しくて、愛情に満ちたものになるのは間違いないね。僕のライブに一度でも参加したことがある人は…きっと次の経験は…なんていうのかな…より”興味深く”なるよ!😉
それまで、みんなの愛と思いやりに何度でも感謝を伝えたい…数え切れないほどの新年の挨拶から、美しいクリスマスカードや心のこもったプレゼントまで。徐々に開け始めたんだ。既に僕の心の痛みや孤独感を少しずつ、取り除いてくれているよ。信じて、言葉で説明したり、表現するよりも、ずっとずっと大切なことなんだ。
大事な友人であり家族のみんなに恵がありますように…そして、そうさ、人生はいつだって信じるに値する。でも、それについては僕の言葉を鵜呑みにしないで。ただ毎日新しい夜明けと共に輝く光を待っていて!
愛を込めて
君の友人であり兄弟
Alex
追記:このジャーナルを書き終えた少しあと、葬儀屋から連絡があって、マッカイの遺灰が家に戻ってくる準備ができたと伝えられたんだ。この日は朝からずっと、強い雨が降っていた。こういう日には、太陽が大好きなマッカイが、ずっと僕の膝の上で過ごしたものだよ。だから、内の中に閉まっておこうとしていた痛々しい悲しみに耐えるのが、とても難しかった。なんとか自分を取り戻せるまで待って、マッカイを引き取りに行った…その時も雨は降り続けていて、山々のあちこちから水が溢れ出し小さな滝を作っていたんだ。けれど、自宅に戻った瞬間、空が晴れ始め、太陽の光がゆっくりと雲の隙間から差し始めた…マッカイの遺灰を僕の創作オフィスへと運んだとき、突然の明るい光とこの辺では見たこともないカラフルな虹が出ているのに気付いたんだ…とても大きくて、色の濃い虹で、緑とオレンジ色が強く出ていた。僕はサインや奇跡的なものに傾倒しているわけじゃないけど、この先、人生の激しい嵐に遭遇しても、僕は大丈夫だって約束するメッセージとして受け取ることにした。その一瞬に、希望の鮮やかな色を目撃し、僕の心と魂に温かい慰めを見つけたんだ。涙とともに最後の”ありがとう”を囁き、昼が夜へと移っていく中でゆっくりと消えていった。雨は止んで、代わりに僕の顔を優しく撫でる柔らかな風が吹いていた。そして空を見上げて、こう言ったんだ。”安全な旅を、僕の可愛いマッカイ。君がどこへ向かおうとも、君の家がどこにあるかは分かるよね。夜明けに君の光を待っているよ…” ヘッダーの写真は、消える前に僕がなんとか携帯で撮った虹の写真だよ。