CANADIAN MUSICIANコラム / コロナ後の世界、未知のツアー

掲載:Canadian Musician

原文はこちらから

アーティスト兼実業家が海外ツアーをすることの明暗

By: Alex Henry Foster
永遠に続くかのように感じたツアーから、僕はようやく家に帰って来た。12ヶ月間のほとんどをバンド仲間とツアーをしながら、2023年への下地を作って世界の様々な場所を訪れてきたあと、自分のベッドの上で目覚めるのは、とても不思議な感じだ。しかも全く静かな環境の中でね。これだけ長く海外ツアーをしていると、時間の感覚を簡単に失ってしまうのが悩みだな…自宅を囲む木々の明るい色がなかったら、より酷いだろうね。そんな困惑した状態でも、自分の中の大きな問いは残ったまま:”これまで自分は何をしただろう?”、”実際、何を覚えているだろう?”、”ここからこの先どこへ向かおう?”ってね。少なくとも、2匹の愛犬たちは僕のことを覚えていてくれたから、始まりはまぁまぁだよね…?

ツアー後にいつも経験する、現実から引き離されていた感覚や、自分は今どこにいるのかという困惑に対処するのも、少しずつ慣れてきてるとは思う。だって、2007年から僕の前身バンドYour Favorite Enemiesとして海外ツアーをする幸運に恵まれながらも、ツアーに出る際にどれだけの作業と献身が必要になるか知っているから。個人的な関わりから、団体としての関わりまでね。それだけでも既に複雑で厄介なのに、コロナ後の環境は一段と悩ましいものだよ…少なくとも、僕にとってはね。

実際、ここ15年ほど、海外ツアーをするインターナショナルなアーティストとして、様々なシチュエーションを経験してきた。ベニューは小さくても完全に熱狂しているクラウドの前で演奏したり、オーストラリアでのヘッドライニングツアーでは自分たちがネクスト・ビッグ・バンドのように言われながら、毎晩、一握りの近しい友人たちの前で演奏したり(あの時、来てくれた人たちみんなありがとう)または当時の田舎町にある店がアクセスできるより多い数の楽器を自ら持ち運びながら観光客として中国全土をツアーしたり、規模の小さいヨーロッパツアーを何回か経験し、アジアの大きなフェスティバルでヘッドライナーを務めたり、メジャーなアクトのサポートとして招待されたりした(そこから良き友人になったアーティストもいるし、もう2度と聴かないだろうなっていうバンドもいる)それがツアーでの生活さ…でも、ツアーはその嵐の中心にいるときに感じるよりも、実際ずっと鮮やかで、寛容な方法で日々の生活を要約していると思う。それが良くも悪くも、自分たちの本質や、期待、夢、幻想をたくさん明らかにしてくれるんだ。毎回、ツアー生活にも慣れたと思うたびに、自分たちの無能さをまた別レベルで無残にも曝け出すのさ…

様々に違うフェーズを経験したバンドのフロントマンを10年ほど務めた経験が、自分のソロでの経験にも役立っていると思う。僕はこれまで、”俺たちが世界一のバンドだぜ”、”世界が俺らの才能を見つけるのを待ってろよ”、”俺らは純粋で自分たちのやり方でやってるんだ。システムに媚びるより貧乏なままの方がいい”っていうフェーズから、”どれだけ特別か理解されないのも仕方がないよ”、”(あまり有名にならなかった君のお気に入りのバンド名を入れて)みたいに諦めずに続けて、息の長いバンドになろう”、”このバンド(大嫌いだけど成功しているバンドの名前を入れて)は売ることしか考えてない”、”俺たちは自分たちの価値や信条を曲げない”というフェーズへと入り、やがて、その言葉は”他と比べることはせず、自分たちに集中して、今あるもの=僕ら自身を大切にしよう”となり、”OK、もし今回でうまくいかなかったら辞める。再び。今回は本気だ”となって、粘り強さと復活力によって、予想していなかった機会が開花し、”もちろん、君のバンド(たいてい忌み嫌っていたバンド)をサポートして一緒にツアーできるなら、君たちの言う通りにするさ!”となる。そうして、また新しい約束、期待、失望、喜び、クリエイティブの復活、新しく交わされたバンドとしての誓いというサイクルが始まるんだ。でも、ビジネスにおける感情的な領域の下にこそ、本当のダークサイドがある。常に移動をするコミュニティとしてね。そう、ディープな仕事とそのプレッシャーが全てに課す影響だよ。
だから、2021年の10月にThe Pineapple Thiefのサポートアクトの話を引き受けたとき、それはデルタ株とオミクロン株のちょうど間だったけど(今じゃそうやって時間を追ってるんだ)僕は精神的にも、技術的にも準備ができたと感じていたし、およそ2年間もじっとさせられていた後、この素晴らしい機会を手にして、ツアーに戻ることができると考えていた。独立したアーティストにはたくさんの創作の自由と自己満足が得られるけれど、予算となると話は別だ。どれだけ自分たちが特別で、最高で、有名になるのに値すると思っていても、いつだって予算へと話は戻る。僕らの場合、ツアーのタイトなスケジュールによって、ツアーバスが必要なのは明らかだった。”ヤッタァ!ツアーバス!ロックスターみたい!” でも、予算的に無理だった。だから、代わりにヴァン、トレーラー、ホテルを探したけど、スケジュールなどを考えてみても、あまりにも危険すぎた。だから、最初にまた戻って、ツアーバスを借りられる会社を手当たり次第あたったんだ。僕らは世界が開けてから初めて海外ツアーをするバンドの一組だったから、それはプラスだった。そうして、僕らはツアーバスをヴァンとホテル代の値段で借りることができたんだ。”やったぜ!”と思いきや、すっかり忘れていた。僕らは新しい、そして誰も実際よく分かっていないBrexit(イギリスの欧州連合離脱)の状況下でツアーをする初めての北米バンドだということを。別に賞なんてもらってないよ。あるのは、グッズや交通券や他の色々なものに追加された請求だけ…ありがとう、ボリス・ジョンソン。リタイア後の日々を楽しんでいるといいな。というわけで、またスタート地点に逆戻りだ。そう、移動手段と宿泊。この機会をまるごと、もうダメだと諦めかけたとき、古い友人が電話してきて、彼の友達の友達がバスを貸せそうとのこと…そうしてバスを手に入れたのさ。僕の友人のように古いやつをね。でも、バスはバスさ!

この5週間のツアーはスムーズだった。ツアーが終わってから、とても活気付いていたよ…あらゆることについてね。コロナは終わったと思っていたし、外でドリンクを飲む人々や、熱狂的な観客でいっぱいのライブハウスを想像した。自分の名義で開催する初めてのヘッドライニングツアーにワクワクしていたし、再び開けた世界からのエネルギーはただただ刺激的で感動的だったんだ。オミクロオン株の波がきて、再びロックダウンになるまではね。数ヶ月先を見越して予定を決めているから、ツアーが少し先延ばしになることは分かっていたけど、その先の活動について、なんとなく気が乗らなくなってしまった。そして、僕は間違っていなかったよ。そのあとは、ウクライナで戦争が起き、燃料費が高騰し、コロナ関係のPTSDに多くの人が深く苦しまれた。次の海外ツアーがかなり大変なものになることは分かっていた。今回は9人乗りのヴァンを自分たちで運転し、とても質素なホテルで毎晩過ごすことになるから…始まりは、ヨーロッパ行きの飛行機の値段が倍になるところからだった。それは深刻な問題なんだ。僕らはバンドメンバーだけでも人数が多いのに、それに加えてクルーメンバーとスーツケースなどの荷物がある。そしてギアに、ギアに、ギアに、さらなるギア…これだけはダウングレードしないと決めたんだ。特に即興が僕らの音楽の中心だから。たとえある楽器が1曲にしか使われなくてもね。でも、これはお勧めしない。すごくクールに見えるけど、海外に向かうとなるとコストがかなりかかるから避けた方がいい。バカらしいくらいに大量のギアケースと並んで、かなりの幅をとっていたのはグッズの箱だ。全て揃っているサーカスのように見えたよ…2つのドラムセットと5つのアンプを自分たちで持ち運ばずに済んで良かった。というか、僕らをサポートしてくれたパートナーたちに感謝だよ。僕らは動く災難だった。ほんの少し道路にコブがあるだけで、破壊的な脱線となる可能性だってあった。それも全て、アーティスティックな統一性という名の下にね。1日に何度もロードイン&アウトすることなんか誰も考えてなかった…ライブハウスの階段に直面したとき、自分が3ピースのフルート奏者だったらどんなに良かったかと願ったよ。ギターが基礎となる楽曲を書いたことを後悔し始めていた。

でも本当のことを言えば、ヴァンでツアーをするのは好きなんだ。毎晩ベッドで眠れるというのは、僕の気持ち的に合ってる。たとえ数時間だけだったとしても、ちゃんとシャワーを浴びれるというのも大きい。1日の始まりと終わりをはっきりとできる感じがするんだ。たとえ、夏にツアーをするということは(それがどれだけギャンブルかって分かってたけど決行することにした)ヨーロッパの大きなフェスティバルがライバルだってことでも。僕の友人たちはきっと来てくれると自信があった。そして、彼らはライブに足を運んでくれた。けど行く前に予測がつかなかったことは、夏のバカンスでみんな遠くへ行っているという事実と他のたくさんのフェスティバルを除いては、UKツアーを始めたときにUKの鉄道会社がストライキをしたことと、ヨーロッパを熱波が襲ったこと。ドイツは特に暑かった。夜な夜なみんなから湯気が出てる感じで、ステージで倒れそうな自分よりも(ベルリンとシュツットガルトで特に倒れるかと思ったんだ。フランスでは一瞬ブラックアウトしたよ)観ている人たちが窒息しやしないかと心配になるくらい。ツアーであんなにたくさんの水を飲んだのは初めて。突然、ぎゅうぎゅう詰めのヴァンでお互いへのイライラが募り始め、楽器機材の重いケースを運ばなければいけない元凶である楽曲そのものを嫌いになりそうだった。そうして、チケット購入者が当日、姿を現さないという現象が増えていることを知った。予定していた2020年にチケットを買ったはいいけど、延期と再延期の中で忘れてしまったり、日にちが合わなくなったりしたんだ…それに加えて、コロナの影響で会場側からショーをキャンセルしたいという要望もあった。でも、いつだって一筋の光がある。それは僕らを本当に好きで、気にかけてくれる人たちが宿泊先を用意してくれたこと。それは、とても必要なリセットだった。(そして食事も最高だったよ)

だって、また別のイライラの要因は食べ物になりうるから。誰が、何を、いつ、そして、どうして食べるのか。まぁ、なぜ食べるのかはさほど問題じゃないけど(誰もが満腹になるようになぜケータリングに頼らず、バスで調理することにしたんだとメンバーやクルーから聞かれさえしなければね…そうして、ケータリングは提供されないとその場で知り、ということは自分たちで買いに行かないといけないと知るとなると、また話は別だけど)もしも、そう言われたらさ、僕らはやるしかないだろう?ちょっと予算オーバーでも、食べなきゃいけない。それなのにライブはキャンセルされ始め、ということはグッズも売れないし、何もない。あるのはまた別のちょっとした、いや、大きな心配ごとだけ。既に複雑な状況なのに、さらにほぼ毎日コロナのPCR検査をしなければいけなかった。地元の薬局への冒険。追加される出費。このツアー中にしたコロナのテストの数だけでも、僕らは検査キットビジネスのシェアホールダーになるべきだよ。でも安全第一、そうだろう?だから、そうやって続けたんだ。たとえ、前もって準備ができていたとしても、タイトな予算運営が最悪の資金状況から救ってくれた。それと、サンドイッチね。(そう、ピーナッツバターサンドイッチは食事なんだよ。まぁ、そうでもないけど、でも何となく想像できるでしょ…)食事の際に自分たちのパンク精神を思い出すことができて良かったよ。ほぼ、全員ね。

ツアーで重要な別の側面は、手で触れられない要素と対処すること:期待、亀裂、疲れ、ホームシック、ツアー前の約束が複数人に守られていない事実、フラストレーションを口に出すこと。ツアーに出ると、こういう側面に対処するのは難しいんだ。そこで大事なのが、経験と知恵となる。ツアーに出る前、僕はいつも個人ミーティングと全体ミーティングをする。これからの数週間をどんな風に見ているかについて話して、全体としての成功にどう個人が貢献できるか、そして個人としての安全についてシェアする。そうするのは、すごく大事なんだ。人間的なファクターは必要不可欠だよ。もし、自分のフォーカスがパーティーをすることなら、他の人はそれを知らなきゃいけない。自分の自由時間が必要なら、はっきりと言わなきゃいけない。何か欲しいものや欲しくないものがあるなら…その全てをみんなが知らなきゃいけない。だって、一度ツアーが始まったら、それは問題となるから。(何度も経験済みさ)そして、ツアー中は、どんな小さなことも大きな問題になりうるし、友情の亀裂や破壊になりかねない。バンドというコンテキストで既に難しいなら、ソロアーティストが他のミュージシャンたちや技術、ツアーマネジャーに対処するのも難しいんだ。それは僕の場合、バンドの中にいる。(やぁ、Jeff!前回のツアーから回復したことを祈るよ)だから、隠し事とか変な遠慮がない方が、トラブルも少ない。または少なくとも、”心の内をぶちまけよう”っていうミーティングができる。そうすると自分がまるでボスのように感じるけど、それって友人たちと一緒の時はすごく居心地悪いんだ。けど、誰かがコンパスを維持し続けなきゃいけない。そうでなければ、お互いの関係がチャレンジである時、コンサートもそれに影響を受けて、全く酷い結果がついてくるからね。だって、ツアー中に自分が我慢していることは、ステージ上での時間や観客の人たちとの素晴らしい交流の上に成り立っているから…

また別の重要な側面は、規律だ。ハイスクールバンドで初めて”俺はアンチキリストだ!俺はアナーキストだ!”と叫んだ時には、そんな言葉を自分が使う時が来るとは思ってなかったよ。(ごめんよ、過去の自分。僕は公共の場で過去の自分を裏切った)まぁ、でも…”規律”はツアーを快適に過ごすためには重要なファクターだ。しかし、維持するのが最も難しいもの。というのも、自分の日々の動きを自分が完全に決めているわけではないし、自分の意図が完全に流れに沿っているというわけでもない。だから、こういう難しいコンディションでも日々、繰り返されることを元にセットしようとしてるのさ。例えば、会場到着、準備、サウンドチェック、夕食、本番、ロードアウト、シャワー、バスまたはヴァンの出発。そして、僕の場合は、そこにインタビュー、ライブ前のミート&グリート、ライブ後物販でのサイン会&写真撮影を追加する。それは僕にとって大切なんだよ。そういう枠組みらしいものがないと簡単に不安になるから。それがあれば、自分のエネルギーを調整して、心と体の疲労困憊のサインを事前に感じ取って、完全に潰れる前に対処できる。ツアーバスではよく眠れないから(特に古いバスだとね)身体と心のリチャージには特に気をつけてる。それは街中のコーヒーかもしれないし、ほんの数ページ本を読むことかもしれないし、またはシンプルに外を歩くこととか。バランスを保つことは必要なことなんだ。だって、ツアーのプロモーションの義務や、ステージに全力を捧げることや、その夜来てくれた人たちと意味深い時間を過ごすのに、アップビートな自分でいることが大事だから。

だから、タイトだけどフレキシブルなスケジュールであることが、とても重要なんだよ。たとえ、予測不能な事態が起こるのが当たり前だったとしてもね。ツアーがどんな感じになるかが大体想像できるから、コンサート以外に予定していることを誰もが把握できる。インタビュー、写真撮影、ラジオ演奏など…たとえ、他のミュージシャンやクルーメンバーは必ずしもそこにいる必要がなくても、何が起きているのか良く分からないということはないようにできる。なんでラジオ局の前で、朝5時半にコーヒーを準備しているのかとかね。ラジオ局での5分間のトークは、僕の場合、簡単に1時間になる。それとか、なぜ朝4時にメイクをしているのかとかね。(日が過ぎるたびにもっとファンデーションを塗らなきゃいけない感じがするよ。TVでの生演奏は後で修正もできないしね…)何が起きているかを誰もが知っていることは、ある種のチーム感を生むし、ポジティブな雰囲気はツアー全体の目的を達成しやすくする。数日間続けて休みがあるときは、たいていリハーサルスタジオを借りるんだ。コロナでのショーのキャンセルが続いたときもね。それによって、常にフレッシュで、ポジティブで、クリエイティブでいられるだけでなく、タスクを越えた仲間意識を作りやすくなるし、役目や役割を越えて友情を育みやすくなる。ミュージシャン、クルー、技術班たちみんなで仲間意識を強く持てるとき、ツアーの経験は素晴らしく価値のあるものになる。その反対はフラストレーションの塊さ。

様々なツアー前の準備や枠組みの構成の中で、一番、個人的に暗礁に乗り上げてしまったと感じるのは、サイドプロジェクトやツアー中に達成したいと思っていたものへの関わりだ。このCanadian Musicianへの寄稿の締め切りも2度、延ばしてしまった…寛大な心に感謝するよ、Mike!”すること”が僕にとってのアキレス腱だった。ツアー中だろうと、家にいようと、休暇中でもね。なんとなく常にアクティブでいる必要があったんだ。それは、自分が対処しないといけない深刻な問題だし、ツアーマネジャーの役割をする人、そうJeff(バンドのベース担当で一緒に様々なベンチャーをするパートナーだ)にとっての悩みの種だ。普段はこんな感じだよ:僕は全部やりたい。ツアー中のポッドキャスト?もちろんさ。ツアー日記?やるよ。ツアー中の様子をSNSにアップ?問題ないね。バスの後ろで新曲作り?やるよ。ツアーについての映画?いいね。コメント付きフォトブック?やりたいな。こんな感じさ。それがいよいよ負担になって、恐ろしくなるまでね。そうして、イエスという言葉はFワードに変わる。アクティブでいなきゃいけないという気持ちとのバランスを取ることを学んだんだ。ツアーの現実と自分のキャパシティに基づいて本当にやりたいプロジェクトだけをするようにね。僕の意志と願いは問題ではないんだ。ノーと言えないことが問題なのさ…ということは全部が問題ってこと!

だから、もしも前述した詳細やストラクチャーが、自分を見失うことなく、日々の大災害を避けて、ツアーを楽しむためにとても重要なのだとしたら、究極的なゴールはステージでの表現であり、人との共有であると自分にリマインドし続けなければならない。シンプルに聞こえるよね。そう、シンプルなんだ。でもDIYバンドであり、実業家の顔も持つアーティストにとって、それこそ最も忘れやすいことなんだよ。本当に。ツアー中に対処しなきゃいけなかった、様々な逸話やナンセンスで本が書けそうなくらいだ。それで世界中のコメディクラブを巡業しても良いかもしれない。だから、そういうサーカスから遠く離れるために自分が見つけた方法が視覚化することだった。もうパソコンや携帯のプラグを抜くんだ。他のミュージシャンたちも1時間は携帯などの電源を切るようにしてる。心配しないで。ちょっとくらい猫の写真や動画を見なくても誰も苦しまないから。世の中の雑音から離れた静かな時間は、その国、その街やライブハウスの個性と僕の精神を噛み合わせる時間だ。それは、僕らがやるような即興や実験的な音楽には欠かせないこと。そうでなきゃ、他あらゆる全ての物事が自分の意識を紛らわせ、他の人たちと気持ちを通わすクリエイティブな瞬間は、創造性も何もないつまらないものとなり、毎日のコンサートも同じことの繰り返しとなって、自分が見てきて忌み嫌うエンターテイナーに成り下がる。ライブで演奏することの美しい危険に、僕は今でも価値を置いてるんだ。”今”という瞬間を味わうことによって、それはショーではなく、音の高揚の中で分かち合うことを自らが確かにするという交流、交わりの経験となる…そして、僕にとってそれは、心高まる恵なんだ…

観客とのそういう繋がりが、ライブのあとに物販テーブルに行って、来てくれた人たちと会話をするのが好きな理由なのかも。大切な贈り物のように感じる。音楽とサウンドが、会話やハグや写真、ストーリー、笑い、涙へと変わるんだ…大物のアーティストたちがそうできない理由は理解してるよ。でも、これからブレイクしそうなアーティストたちがこういうライブ後の交流を気取ってやらないのも多く見かける。Tシャツをより多く売ったり、レコードをもう一枚売ることについてじゃないんだ。もしも、気にかけているならーそして、そうだと信じてるー自分のツアーのヴィジョンに沿って、意味のあるグッズアイテムを作ったはずだ。だから、物販テーブルは完璧なラリーポイントなのさ。君がそこにいるだけで、来てくれた人たちにとっては、自分も含め、とてもマジカルなものになる。だって、全ては自分の音楽を手で触れられるものにして、人間的な経験にして、アクセスできるようにすることだから。それこそ、僕のお気に入りの時間なんだ。新しい友人たちと会ったり、長年の友人と最近どうしてるかって話したり。そして、いつだって僕が一番最後にライブ会場を追い出される。それは、まるでそのユニークな繋がりをもう少し続けられるように、時間が止まってくれたかのように感じる大切な時間なんだ。これがあるから、ツアーの不愉快な出来事や様々な準備による頭痛も、価値のあるものになる。
夏のヨーロッパ&UKツアーは理に適うことことだと分かっていた。ときに様々な要素によって、合理的でないこともあるだろう。金銭的なことだったり、自分の創作の時間との折り合いだったり、または心理的に負担がすぎることもあるだろう。でも、そういう冒険に出るのに今が完璧なときだと思ったのなら、感動的な思い出などの他に、どうしたらツアーをより鮮やかにできるか、お互いに与え合った感情をどうしたら不滅にできるか、私欲なしに分かち合ったものをどうやって永遠にできるかについて考えたいんだ。ライブアルバムでもいいし、リキャップビデオや本でも良いだろう…それがなんであれ、今回のヨーロッパ&UKツアーとそれを意義深いものにした人たちに敬意を示すために、それを映し出す何かを作ることは大事だと思ってる。僕の場合、人を巻き込んで何かをするのが好きだから、いつだってインタラクティブでオープンでありたい。だから、未公開写真、逸話や僕のメモ、バンドメンバーのメモ、ファンのみんなが送ってくれた写真を収めた限定ハードカバーの本(そのデジタル版も)とそれにツアー中に演奏した曲を収録した旋盤カットレコードをフィーチャーしたいと思ってるんだ。でも、どのアイディアも君のものである限り、自分自身と君の人々を映し出すものであり続けるよ。それが一番なんだ。

結論としては、君が対処すべきことがなんであってもーどんなツアーでも面白い&全く笑えないタイプの冒険や不愉快な出来事があるだろうー最も重要なことは、自分自身、そして一緒にツアーをする人たちに正直であること。そして、君自身や君の音楽を大切に思い、一生懸命働いたお金を自分との時間に使ってくれる人たちに正直でいること。残りは、たとえ考えたり管理するのが必要不可欠でも、他の人たちがカバーしてくれる…だから、今回は一般的なツアーアーティストの経験とコロナ後の世界におけるツアーについて、少しシェアしたよ。自分を信じてね。世界は素晴らしい…。そこに自分の色をどれくらい加えるかどうかは君次第だ。
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