僕のエコーチェンバーから共同のステージへ

とても残念な結果となった次のアルバム制作の誤ったスタートと『KIMIYO』プロジェクトリリースの高い熱意から、僕の心と精神を夏フェスツアーの爽快なビジョンに移行する時間だ。

僕にとってその変化には、さまざまな感情が流れているけど、最も重要なのは、前回のレコーディングの実験が続いた3週間の間に、僕らが拘束されていた厳しい束縛から集団的に解放されたこと。それは特に、しばらくの間、自分自身の芸術的性質を剥奪されたように見えた後、閉ざされていた想像力のシャッターを再び広く開けることができ、終わりのない冬のように感じられた春の若返りの香りを再発見できるような気分で爽快だった… 光を見て、鳥の鳴き声を聴き、春の新鮮な風を肌で関し、目を瞑って、新しい季節を呼吸し、外部から与えられた境界線についての不安を手放して、限界や制限から自由になるになるのは良いことだ…それは、その全ての理由において、僕がそもそも理解できなかったことであり、きっとこの先も理解することがないであろうこと。僕らの感情の流れ、僕らが何者であるか、そして僕らの共同体での集まりに独特に反映される混沌とした波の高揚感の集合体を作るものについて。慈悲深い圧力の下で水門が崩れていくのを目撃するのは素晴らしいことだよ。ツアー準備のために一緒に集まると、結局新曲ができあがっちゃうのも不思議ではない。精神を制限するなんてできないんだ。自分を曝け出して、そのインスピレーション溢れた存在を更に高めるのさ。目に見えないものの発展していく流れを真似するフォーミュラなんてない。

その創造的で精神的な解放は別として、僕にとってその過渡期の動きの最も魂に満ちた側面は、将来についての18か月にわたる深い不安のあとに、穏やかな気持ちでマイクの後ろに立つという行為にあると思う。また歌えるようになるだろうか?自由に表現できるだけ、フレキシブルなボーカルができるだろうか?頭で考えることなしに、その曲に浸れるほど、全てを覚えていられる余裕があるだろうか?以前に身を任せていたのと同じくらい、楽曲を体で感じるそのエネルギーが十分にあるだろうか?即興の動きの中で、バンドをリードできるだけ感情的な直感はあるだろうか?彼らを導くのに必要な感覚を識別し、正しい方向を示すことができるだろうか?専門医の先生たちは、僕の頭の中に答えがあると言った。僕は真剣に自分のペースを保つこと以外は何も心配せずに、現在の状況に戻ることができるくらい、体力的にはそれほど遠くはないと言ったんだ(そこに問題があるのかも) …!僕の躊躇や、疑い、不安などのほとんどが、心理的なものであり、それこそまさに回復が最も難しい傷だよ…僕が探していた答えではなかった、けれどね?!
僕の内なる焦点の変化に関わるもう 1 つの重要な要素は、ツアー独特の特徴を形成し始めるのに十分なこのツアー特有のアイデンティティを見つける必要性だ。毎回のツアー、プロジェクト、アルバム、映画や本において、必要不可欠な側面なんだ。それは”何か”という決意が、”何故”へと導き、究極的に”どうやって”を定義する。だから、”このツアーは何についてか?”、”人に何を与えられるか?”、”何を分かち合うべきか?”、”コントロールへの欲求とツアー自体の本質に身を委ねることへの恐怖の先には何があるのか?”についての答えを見つけるまで、”何故”これらの”物事”が全てであるのか、そして僕の予見によってデザインされた基礎をセットアップするために集める”どうやって”の適切なピースについて考えるのは不可能だ。分かってる、分かってるよ…こんなに複雑であるはずがないーそうでない人が羨ましいよ!でも、僕にとって、音楽は心の深い場所から生まれるもので、その力はその神聖な次元に存在する。だからこそ、僕は芸術の神聖な側面へと惹かれたんだ。そうすれば、僕は知覚するのではなく見ることができ、ふりをし続けるのではなく、自分でいられる。
内省的に取り組んでいる僕を見て、何に夢中になっているのかを特定しようと、バンド仲間が、今、僕のいる場所はどこなのか、と不思議に思うのが面白いよ。答えはいつも至ってシンプルなんだ。「大丈夫だよ。今度のツアーが何なのかを神様に教えてもらいたいと探しているんだ」これほど、捉え所のない答えはないと思うな…今ではあまり反応しなくなったけど、最初の頃は「え、何?!」っていう反応だったよ。それは意味を掘り下げることとは何の関係もなかった…!

時間が経つにつれて、それが思っているほど難解ではないことを彼らは理解したんだと思う…!自分のプロセスをさまざまに呼ぶこともできたけど、それでも重要なのは、コード進行、大量の単語、ノイズの層、または僕が到達できる明白な要素の中に見つからないものを探しているということ!そして、それに基づいて積み上げていくんだ。僕が常に探し求めているのは、この世のものとは思えないような不思議さなんだ。そして、最も難しい要素は、アクセスして到達できるものの10%しか得られないかもしれないけれど、それでもなお100%コミットしなきゃいけないんだと、受け入れること。それも、何かが欠けているかもっていう思いを補うために、やり過ぎることなしに。心の高揚を感じられない流れに自分を無理矢理、押し入れるとき、いつだって自分で作り上げたギミックの中で悲惨な状態になるんだ。脆弱なエゴに、それは全く自分についてではなくて、そうだったこともないとリマインドしながら…それはいつだって、その瞬間の精神であり、僕が一部となっているものであり、けれど、それは僕が生み出したものでも、その目に見えない個人的で共同的な超越性でもない。自分が生み出せないもの、再現できないものを犠牲にするほど叫んだり高くジャンプしたりすることはできない。みんな、僕の頭と魂へようこそ!
結局、何が言いたかったかって、僕はバンドと一緒に創作スタンドに戻り、意思を持って、曝け出し、歓喜の感覚が再び生まれるのを歓迎している。それは、偉大な平和がもたらす空気によって、恐れや疑いを乗り越えるとき、僕らみんなの心を高揚させながら体験されるんだ。本当に一歩ずつって感じだよ…でも少なくとも、前へ進んでいるという確信はある。自分の今のビジョンに崩れ落ちる人もいれば、「うまくいけば、その時は」という概念を理解するためにひざまずく人もいるだろう…僕にとって、勝利があるとすれば、他の人たちと一緒にUpper Roomのスタジオに立つこと。僕の暗い皮肉な性質に対する勝利は、僕自身が切望しているものであり、それは別の種類の次元、つまり僕が望む場所にのみ存在するもの。

ゆっくりと、でも確実に、僕のマネジャーであり大切な友人のBillとJennieが、気遣いある心でいつもそう言い続けているように。ゆっくりと、確実に、ゆっくりと、確実に…決意と確信。僕のエコーチェンバーから共同のステージへ…