憎しみが歪曲したものを愛が再定義するとき

クリエイターとして、自分自身のビジュアルアートの実体を定義できるという恵は、自分の中で見たり感じたりしたものに命を吹き込んだり、かつて存在した要素を再訪してすべてを完全に再定義したりする自由だけでなく、新しい感覚を引き起こし、他の人との新しい会話の反応を引き起こす。だから、ある人が僕にメッセージを送って、良くも悪くもデザインが何を呼び起こすかを分かち合うとき、その人とより深く掘り下げることができるのは、僕にとって本当に光栄なことだよ。それは、異なる視点と真のオープンハートの旅の始まりなんだ。僕にとって、それは正しいか間違っているか、美しいか不快かということでは決してなく、常に本物であることが重要だ。
僕はパンクやハードコアシーンを聴いて育った人間で、シンボルの神聖化が解除され、イメージが再形成され、僕らの集団的慣習から、一部の人が持つ可能性のある力のイメージがすべて削除される中で育った。子供の頃に最初に魅力を感じたのはそれなんだ。解放という感じの表現。言葉なくして声をあげる可能性であり、他人が僕に見て欲しい、感じて欲しいものを無理やり認識させることはないと決めることであり、視覚的な簒奪によって、僕に服従させることを、誰も強制することはできないと判断する可能性だ。誰かの感情を傷つけることを恐れて、あらゆるものを消毒する必要があるため、これは一種の逆行型の視点だよ。でも、みんな誰しもが苦しんでいるんじゃないのかい?こういう痛々しい要素に立ち向かわずに、自分を自由にすることがどうしてできようか?ショックを受けたり、唖然としたりしなければ、どうやって痛みを乗り越えることができるだろうか?不一致な意見や世界観に囲まれなければ、どうやって成長し、学ぶことができるだろうか?僕らのすべての恐怖、つまりあらゆる悲惨な監禁の根源にあるのは、まさに僕らの感情的な孤立と違いの回避ではないでだろうか?

いずれにせよ、自分のトラウマと向き合うときが来る。人生はTikTokのようで、現実はInstagramのフィルターのようだと信じたいかもしれないけど、残念なことに、または有難いことに、そうじゃない。その反対なんだ。人は直面するときが来る。それは、頼りにして良い僕らの数少ない恩恵なんだよ。昨晩、Ben、Jeffと僕で、誰しもが誰かと交流する必要があることについて話していたんだ。自分の居場所を作り、孤独のサイクルを壊し、そして今日の社会構造が危険なほど細分化されつつあることについて話していたときに、それが起きたんだ。新しい独善的な説教者が僕たちに何をすべきかを指示したり、僕たちが服従するまで彼らのやり方を強制することについて。それが宗教の概念につながった。なぜなら、僕らの共通の歩みの素晴らしさは、すべての人の最大限の相違点を受け入れようとする抵抗力のある姿勢であるにもかかわらず、非常にデリケートな犯罪や、小さな視点の詳細をめぐるコミュニティの分断に今僕らが直面している。そして、宗教について話すとき、僕はすぐに会話に熱中し、すぐに「情熱的な」コメントの連続になってしまう。それはすべて、長年にわたる虐待というまったく同じ現実に基づいている。

僕はキリスト教関連の映像を目にすると、いつも不釣り合いに怒り、病的に苦い気持ちになっていた。もう二度と教会には行かないと誓ったし、聖書なんか開くものかと思った。痛みは深く、鮮やか過ぎたんだ。あれからもう10年以上経って、ようやくその場から抜け出せた。ミュージシャンやアーティストの”信者”と会うとき、僕の真実へのヴィジョンと共に彼らと向き合った。たとえ、僕が過去に経験したことと、彼らは何の関係もなかったにもかかわらず、芸術的にも独断的にも彼らと共有し議論することで、最終的に僕の本質的なものと再びつながり、常に自分のものだったものを再利用し、自分の個人的なものと調和するようになった。ひねくれた横取り者が、僕の人生で大切なものを奪い続けるのを許すよりも、精神性を大切にすることだ。この口論の衝突は、直感的に持っていた寓話的なヴィジョンと、長い間、人としても、アーティストとしても闘ってきたものを再発見する手助けとなった。そうさ、僕らはみんなトラウマがあるけど、社会的な”不快感”と関係の”亀裂”こそ、偉大な解放者たちなんだ…いつだって。そして、芸術は、それがどんな形であり、味であれ、自己解放のための大きな役割を担っていると強く信じている。そして、世界には味のない表現がたくさん存在するけれど、それでも不可欠な目的を果たし、より良くするため、感謝するために、そして、悪い方へ向かうこともある…全ては誠実性についてなんだ。
だからこそ、僕が創作をしているときは、それが音楽、詩、イラストレーションであろうとも、もしも全てが許容されるのであれば、全てが有益であるとは限らない。自分にクリエイティブなリミットはないけれど、自分の個人的なヴィジョンを持ち続けないといけないということ。それが正直な感情、人生の輝き、または希望を内包している限り、自分が適切だと思うところまで行くことができるということ。

自分が狙ったところを外してしまったと認める方が、誰かに批判されるのを避けるために抑制するよりもいいと思う。安全は進歩の敵であり、現状維持は自己と集団の抑圧の味方。自分が燃えることを知るために自ら火に投じる必要はないとしたら、僕らは皆、恐れに囚われているものを燃やす必要がある。だからこそ、僕の存在は永遠の篝火のようなものなのかもしれない。僕は自分自身の最も忠実な迫害者であり、”苦しめる者”なんだ。 “燃やしてしまえ” は日々のモットーであり、僕が「在る」必要があること、そのための躊躇が意図的な自己妨害にすぎないことを思い出させてくれる。だから僕はすべてを燃やし、何が生き残り、自分自身の逆説の灰の中に何が見つかるかを見る。

だからこそ、僕はコラージュが大好きなんだ。子供の頃はそれで父を困らせたものだよ。ハサミの餌食になりそうなものは何でも隠さないといけないくらいにね。僕にとって良いことは、父が僕の手を拘束しないでくれたことと、父の雑誌や百科事典やイラストブックのページを破りまくる僕を止めないでくれたこと。僕のクリエイティブな”もの”は、というのも5、6歳の僕にとっては実際にクリエイティブな”もの”だったんだけど、他の物語から一部を抜き出して、自分で別の物語を伝えることだった。ハンティング用ライフルのコマーシャルを鹿の群れに乗っ取られた街とか、ビーチでの休暇のコマーシャルが地元のゲリラの対立に発展とか、アルコールを宣伝するために開かれたパーティーの集まりに、人々が嘆くお葬式の絵を加えたりとか。それが僕の家の現実だったんだ;貧困、暴力、絶望、アルコール依存、コンクリートの裏庭。だから、それは僕の感情を表現する方法だったけど、現実を宿命として考える気持ちを清める方法でもあったんだ。

成長過程でそれをやり続けたよ。アートクラスは標準すぎてつまらなかった。自分の周りと同じように、死んだ花束を描けるか、描けないか、誰が気にするっていうんだ?アカデミックなルールに僕が従えるか、従えないかなんて誰が気にするっていうんだ?芸術は教義や表現における服従から自由になることについてじゃなかったのか? 中期プロジェクトとして自然の静止したイメージを再現するよう依頼されたときのことを覚えてる。クラスの前に行き、僕の”宿題”を見せたんだ。古いボードレールの『華と悪』の本は開かれ、中には死んだ葉っぱがノリでくっつけられていた。そして、その本から直接のびている、その日と同じ日に学校の庭で抜き取った新鮮な華の上に卍のシンボルを埋めたんだ。クラスの半分は笑いが止まらなかった。もう半分は、この静止した命の僕の解釈をスキャンダラスな目で見ていた。この”エクササイズ”について、気にかけていたなら、かなり恥ずかしかっただろう。コピー機になることを予測していたら、心がボロボロになっていたはずだ…でも、そうじゃなかった。

それでもなお、僕はコンセプトを説明するチャンスを得た。それは、自然が悪から生まれること。僕らが経験するかもしれない無神経さに基づいて、本を閉じたり、隠したり、その唯一の存在を否定したりするのではなく、あえて本を開いたとき、それは忌まわしいことから開花する豊かな生命と再生の可能性。芸術は、他では不可能な感覚を生むべきだ。自分で再定義するまで、人生そのものはショッキングだろう。そのプレゼンテーションは、僕のアートの先生と彼女の同僚とのプライベート・ヒアリングへと導いた。てっきり先生は指示に従わないという僕の決断の愚かさを説明するか、自分を表現するために使ったイメージで恥をかかせるのだろうかと思った。別の先生を前にして、再び説明をしてくれと言われたよ。だから、そうしたんだ。先生は、それが美しいまでに詩的で、力強いものだと言った。知らなかったんだけど、その先生はユダヤ系の人だったらしい。彼は、正直さの中にショッキングなことはないと言った。芸術においては、”死”は存在しないんだ、と。そして死だけが、僕らの歴史を他人に押しつけるいわゆる必要性の正しさを伴うのだと語った。残りのセメスターはそのクラスの出席を免除されたよ。 A+をもらってね。僕の優れた技術ではなく、アーティスティックな才能のためでもなく、勇気、大胆さと愚かさのためにね。意味深いものに命を捧げるだけでなく、みんなの前に立ったことに。その状況がずっと僕の記憶に残っていたのは、プレゼンテーションがうまくいかなかった場合に備えて、友人に枯れた花を描いてもらうよう頼んでいたから。ほら、僕はそれほど勇敢ではなかったし、それほど完全に破壊的でもなかったよね。
それから数十年経った今でも、僕は「棒人間」を描くことはできないし、果物や植物、猫や犬を再現して見せびらかすこともできない。けれど、アートには、現在の世界観から過去の恐怖、そして最も暗い運命論的な明日のビジョンに至るまで、すべてを再定義する驚くべき能力と否定できない力があると、僕はますます固く信じている。だからこそ、僕にはもう創造的な抑制や表現の検閲はない。繰り返すけど、すべてが許されることが、イコールですべてが有益なわけではない。それが僕の仕事の枠組みだよ。それは、僕が生命を与えているものに寄り添い、他者と共有するものを想定することであり、その後のあらゆる種類の会話を歓迎しながら、そのすべてを受け入れること。アートは誰にとっても主観的なものだけど、転覆なしに人生が進化していくのを見ることができるだろうか?僕らが超敏感な時代に生きているのは事実だよ。僕も敏感だからわかるけど、それがどんなに対立的なものであっても、僕にとっても、他の人にとっても、表現を損なうものであってはならないんだ。
パーカー”Between the Tides”の後ろに描かれている日章旗について、ヨーロッパの友人と交わした豊かで寛大なやりとりのあと、僕は今日、このことをみんなに伝えたいと思ったんだ。僕は誰かが尋ねてきてくれたことを嬉しく思い、あのデザインについて語り合うことができたことに感謝するよ。 もし、それが実際の日本の帝国国旗だと決めるなら、彼の言う通りだろう。あのデザインに対するイメージは、実際にはもっと破壊的なものだったはずだ。けれど、日の出、過去、現在、未来…その苦悩、恐怖、絶望、そのすべてが、目の前に立ちはだかる高波によって浄化された後、色あせ、分断され、本来の鮮やかな色彩を失っていく。太陽が昇り、新たな始まりの可能性、再生、許しさえも……新しい世代が、アイデンティティの一部とは言わないまでも、その文化や芸術を、過去の恣意的な支配から奪い返すことを可能にする。それが芸術であり、人生であり、帝国の旗を見なければ、新たな希望に満ちた再生の中で花開く悲痛な日々の旅を見ることができる。心地よい色彩のコラージュ、ファッショナブルな美学を見るだけかもしれない。そして、僕が最初にMomokaに『Kimiyo』コレクションのさまざまな要素について何を考え、何を感じたかを尋ねたとき、彼女は「光」を見たと言った。それがアートであり、人生なのだ。

僕は自分のすること全てに希望と再生を育んでいるけど、それはすべて、かなり重苦しく、厳粛で、暗いタイプの表現チャンネルで行われる。それは僕の芸術性の美学ではなく、僕自身なんだ。最も暗い環境で行われれば、白熱した輝きの小さな断片が猛烈な炎となる。そして、イメージ、象徴、解釈、多層……生命、その最も活気に満ちた恐ろしいスペクトル、そして神秘的でない限界における精神的解放がやってくる。創作に理由はいらない。僕らは皆、創造者なのさ。僕たち自身の破滅的な終焉であれ、癒しの解放の拡大であれ、僕らはもっとできる、もっと良くできる…常に。けれど、誠実な創造とは、誰か、何か、地域社会、都市、世界、その他何であれ、何らかの感謝や愛情、慰めを見返りに受け取ることを期待することなく、永遠に続く愛の表現に立ち戻ることだ。

そして、先生は僕の意見に80%同意すると言って僕らの友好的なやりとりを終えた。けれど、僕の視点は友人から全く同意してもらえなかったかもしれない。愛情をもって意見をぶつけ合うのが友情ではないのか?その寛大な会話は、僕ら全員が互いの食い違いを歓迎するようになれば、世界は現在の冷笑的な荒れ狂う状態とはまったく違ったものになるだろうということを改めて教えてくれた。僕らが今疑わしく分断されているのと同じように、誰にとっても等しく希望に満ちた世界になるかもしれないよ。

僕はこの新しい日の色が立ち上がるのを見るために、積極的に取り組んでいるんだ…。