見て、見出しの記事に載ってる!まぁ、Jeffがね

オフィスに早く到着するのが好きなんだけど、今日はいつもよりずっと早かった。というのもレナードが朝6時に目覚めて(肉的的にもエネルギー的にも)、僕の上に飛び乗り、顔を舐めたり、ベッドの上をゴロゴロしたり、また僕の上に飛び乗り、顔を舐めて、話しかけてきたからだ。(そうだよ、レナードは話すんだ。僕の脳の異常のせいで幻覚を見てるとかじゃなくて)レナードは外に出たいんだと思った。レナードも僕みたいにトイレが近いからね。でも、それですらなくて…ただ1日をスタートさせたかっただけなんだ。ということは、僕の1日もスタートさなきゃってこと。僕は一度目覚めると、なかなか寝付けないタイプだから、仕事のデスクへと向かうことにした。まぁ、その場所は向かうたびに、いつも埃が溜まっている場所なんだけど。(2008年の音楽雑誌が欲しい人いる?多分、他のものに混ざって何冊かあると思うよ)面白いことに、僕の場所は完全に散らかっているのに、Jeffの方は整理整頓されてて、綺麗なんだ。でも待って、JeffやStephanie(僕のアイディアの全てを具現化する天才的なマエストロ)と共同で使っているエリアへの配慮がないと思う前に、または物を溜め込む症状(捨てられないものを集めすぎる)に苦しんでいるんだとか、自分の行動くらい管理できるように大人になるべきだとか思う前に、僕は1年以上ここにいなかったんだってことを忘れないで。そして、死んでいたかもっていうエピソードがこの散らかりの間にあったってこともね。まぁ、じゃあ手術の前の12年間はどうなんだっていう話になるけども、回復までの道のりは長〜い道のりなんだよ…何から回復するかによらずね 😉

とにかく、僕は朝の7時に散らかった芸術家の場所にいて、フロントページにJeffの写真が載っている新聞を見つけた。本当のWOWっていう瞬間さ。それを分かち合うのがレナード以外にもいたら良かったんだけど。しかもレナードは僕の気分がどうだろうと、飛び乗ってキスゲームをしたがる。写真は素晴らしかった。それは、僕にとって大きな意味があることなんだ。最近オープンしたレコードプレス工場で、僕らが作ったレコードを手に持っている写真。写真は僕らの実業家精神についての長いインタビューと一緒に載っていて、僕らの活動が音楽だろうと、フィルム、写真、コンサート写真、旋盤カットレコードだろうと、プレスされたレコードだろうと、僕らが中心とするファミリー、コミュニティー、平等に基づいていることが強調されていた。Jeffは驚くべき口頭表現者であり、素晴らしいコミュニケーターだ。彼の情熱を感じることができ、大多数を相手にしたカンファレンスでも、一対一の対話でも、聞いた人は大きな力をもらって、やる気に満ちてその場を去ることだろう。彼が人に持つ愛が、他人と繋がる能力を確かなものにしてる。今朝読んだインタビューからも、それは明らかだ。レナードの外に出たいという欲求と、戻ってきて僕に飛び乗り、また30秒後には外に出て吠えたいっていう欲求の繰り返しの相手をしているあいだに思ったことさ… 
僕はメディアの注目を集めたいと思ったことはない。Your Favorite Enemiesを始めた後から、長いこと国内メディアからは遠ざけられていた。それは個人的なことじゃないけど(少なくともそう思ってる!)、政治的立場によるものだ。僕らはほとんどの作品を英語で表現していたからね。今は日本語、フランス語、アラビア語が加えられるけども。でも、ということは多くのフランス語話者たちが同意しなかったんだろう。それは、フランスとイギリスによって分断された我が国の歴史の汚名と呼べるだろうね。最初はかなり乱暴だったよ。メジャーな国内アワードのノミネートバンドのリストで僕らだけ名前が呼ばれなかったり。やがて心配するのをやめたんだ。母はいつも、いつ地元の新聞に僕の名前が載るのかと言っていた。ローリングストーン誌、プログマガジン、NMEなどに取り上げられているのにってね…かなりのパラドックスさ。正直、いつも面白いなって思うんだ。特に僕らの初めての見出しデビューが今のスタジオ本部である教会を購入したすぐあとだったから。見出しのタイトルは”パンクスが教会を乗っ取った”!パンクス?乗っ取る?え、何?!僕らとしては、気遣いと敬意を持って、教会購入のステップを踏んだから、余計にそれを見てショックだったよ。でも、それが初めての地元での脚光だったんだ…僕の母がそういうタイプの見出しを待っていたとは思えないけどね!新聞が出たあと、スーパーに行けば野次を飛ばされたり、不快な態度を取られたりもした…あるとき、とある女性が神聖な場所にロック音楽なんて持ってくるなんて、悪魔の所業だっていうから、その人に今でも教会に行っているのかと聞いたんだ。だって、もしそうなら、僕が教会を購入するチャンスなんて、そもそもないと思ったからね。”信仰を放棄した自分をまず悔い改めるべきでしょうね”って言って、会話を終えたよ。有名になることに付随する待遇やあらゆる特権を僕が予見していたわけではないとだけ言っておこう!

大手の新聞社との関係は、ここ数年でだいぶ改善したよ。公式フォトグラファーと友達になって、何度も記事にしてもらったりした。そして何度も取材依頼があったけれど、僕のアルバム『Windows in the Sky』をリリースしたあとから、ようやく引き受けるに値すると感じられたんだ。僕は自分の父親のことや、人生を変えたタンジェへの旅、Your Favorite Enemiesの未来(これは今でも聞かれる)などについて話した。数週間後に、この時のインタビューが新聞の一面として扱われたことを知ったよ。とても驚いたね。でも、近しい人を亡くした悼みと対処しようとしている人や、メンタルヘルスの問題で悩んでいる人たちが、心が壊れていても良いんだよ、感情的に麻痺してしまって、トラウマ的な出来事によって突然変わってしまった世界の中で完全に迷ってしまったように感じても大丈夫なんだよ、と感じてもらうチャンスでもあったと思う。こういう現実に関して話をするのは当時”流行り”なことではなかったから、僕の証が少しでも、沈黙や、恥や、罪悪感などのサイクルを壊すきっかけになってくれていたら嬉しいな。メディアはただクリックベイトだけじゃないっていう証拠さ。たとえ”パンクが乗っ取った”っていう見出しが、僕らがターゲットにされていたような人騒がせだけのガセネタニュースとして公開されたことで、かなり有利ではあったんだろうけど…

なんとジャック・ニコルソンが近くに住んでることも判明したんだ…!