"僕のメキシカンママ"と"グローバルコミュニティ"

僕は早朝に目が覚めた。いつもは、ストレスや不安から目が覚めるんだけど、今朝は違ったよ。とても穏やかで、幸せだった。そういう”シンプル”な気持ちを感じるのは稀なんだ。いつもは複雑な感情で、頭の中の声を黙らすことができないでいる。今朝、聞こえてきたのは波の音と、部屋を囲んでいるジャングルからの鳥の声だけだった。僕のヴァージニアの家を思い出したよ。豊かな森に、寛大な野生動物、木々の独特な香りなど。7年前にここに来たあと、家を見つけたことは、僕にとってその後の人生を変える経験となったよ。その前は、ある場所から別の場所へと移り住み、毎回ツアーから戻ってくると、どこへ行けば良いのか、誰のもとへ戻れば良いのか分からなかった。今の場所を見つけたことで、家と呼べる場所を見つけたんだ。でも今は、自宅がとても恋しいのと同じくらい、ヴァージニアに帰る準備ができているか分からない。特に、ここ数年で本当にマッカイと僕の家になっていったから。どの部屋も、どこを見渡しても、マッカイとの思い出で染まっているから。それは正直、変な気持ちだよ。マッカイが亡くなったあと、僕がこの家を売るんじゃないかと思った人もいたみたい。でも、それはしないさ。同じ理由でね。いつか自宅に戻る時期が来る。そうしたら、僕がまだ向き合う勇気も強さもないものと対面しなきゃいけないことがたくさんあるだろう。きっと、アルバムが僕を導いてくれるはずさ。
あぁ、そうさ。悼みや嘆きについて話す一方で、平和や静けさを楽しんで、幸せを感じている。言っただろう。これはプロセスなんだって?そういえば、昨日、ある女性が話しかけてきたよ。ハチドリがフィーチャーされているTシャツを見て、メキシコだけでも、50種類以上のハチドリが生息するんだと言っていた。メキシコの遺産にとって、ハチドリがどれだけ重要なものであるか、特にマヤ文明について話してくれたんだ。僕はもう知っていたけど、地元の人からその話を聞くのは興味深かった。メキシコにはたくさんの伝説があって、芸術と人間性に富んだ豊かな文化なんだ。何時間でも彼女の話を聞いていられたよ。水がシンボルとして、けれど、より生き様がどれだけ重要であるかを説明してくれた。とても面白い人だったんだ:「観光客には日焼けして遊ぶための浜辺でしょうけど、私たちにとっては、スピリチュアリティに欠かせない要素なのよ」だから、それについても、しばらく話したよ。「あなたは白いメキシコ人のようね、Alex」だってさ。一緒にたくさん笑ったよ。最後にハグをして、彼女をメキシカン・ママと呼んで、部屋に戻ったんだ。とても楽しい時間だった。
実際、この人は、ホテルのメンテナンスクルーの一人だってことを考えるとクレイジーだ。多くの人にとって彼女は目に映らない人だけど、実際には、僕が滞在している美しい場所の最も素晴らしい役目を果たしている。これは、今日の人種の境界と社会の分断をめぐるナンセンスのもう一つの例でもある。違いに対して寛大になるとき、”文化の盗用”なんてものは存在しないんだ。違いに身を浸すとき、個人として成長できると思う。僕らは人として、どう拡張していけるだろう?僕は、標準化された適合性を求める今日の政治について、ほとんど声を上げていない。僕らの代わりに、AIに、考えて、作ってもらうようになるのも不思議じゃないよ。何故、人が対立を避けたがるのか、何故、他人にみる違いから自分を遠ざけるべきなのか。人間が、そんな貧しい環境で暮らすのは、何と悲しく逆行した世界だろうか。そして、メキシカン・ママとの出会いは、ありそうにない繋がりを通してのみ可能な自己の解放を素晴らしく表現している。少なくとも、僕にとっては、そうなんだ…政治的に正しくても、正しくなくても。

そして、そのソウルフルな好奇心を基にして、プロジェクト『Kimiyo』が誕生したし、日本文化の豊かな層も知ることができた。その歴史から、ユニークな心の次元まで。そういう特殊なものに浸ることで、その体験をとても刺激的なものにするんだ。僕らの明らかな違い以外で、心が大事にするものは、似たような形をしている。それは、僕らが思ったり、信じるよりも、もっと僕らを近づけさせてくれるのさ。だからこそ、旅ができることに感謝しているし、世界中の人たちとやりとりをして、分かち合い、交流できることに恵みを感じている。今の僕があるのは、君たちとの繋がりのおかげだよ。そして、僕の芸術や心も、君のおかげで発展し続けている。自分一人よりも、もっと素晴らしい自分にさせてくれるコミュニティの一員になれて、とても感謝しているし、僕の創作世界はそれで作られている。

また今日も、僕のメキシカン・ママに会えたら良いな。僕の魂の色のパレットに新しいを加えるために、2回目の文化遺産レッスンをできたら嬉しい…人生、人生、人生!!!