じゃあ次は?!次は?!何?!

強い風によって、夜通し降っていた雨は、僕のベッドルームの窓をしずくの素晴らしい抽象アートへ変えた…自分のじゃないベッドの端に座り、レナードが僕の膝で眠るなか、それぞれのリズムで落ちていくしずくの動きを見ていた…

平穏を感じた…懐かしい感覚を思い出したよ。怖がるマッカイが僕の胸に頭をくっつけたときに、同じようにしていた記憶をね。温かいヴァージニアの夏が、夕暮れの空を、明るい光の踊りとあらゆる種類の色とりどりの子守唄の壮大なモザイクに変えていた。親密な花火は、かろうじて目覚める僕らの想像を、雷への恐れや疲れ果てて盲目になった目を超えて、見ようとする勇気のある人からは、暗闇さえも避けることができない秘密の驚きで輝かせていた。

僕らが驚きへと心を開くとき、シンプルな瞬間が最も神聖な思い出を鮮やかに蘇らせるのは、素晴らしいことだよね…だって、目に見えない、または理解できない”何か”から与えられた慈悲の感覚を信じるのをやめた人間によって、また最もシンプルな瞬間として定義できるものによって、魅了されているんだから。それを”目に見えない意識”と呼ぶのが好きだよ。それは、ただの春のそよ風かもしれないけど、時々、そういうシンプルなものに感動するのも心地良いなと思ったんだ。特に、ここ最近の経験が強烈で、今でも時々、葛藤しているから。頭は、その理解できないことを皮肉へと変える。傷ついた心が、すぐに不信感で包まれるようにね。悲しみは、夢を宿命論へと変える方法を持っている。僕は元々、疑い深いタイプなんだ…そして、無自己な優しさに見る美しさへと浸ることから、自分を遠ざけていた”問題”が、疑い深いことではないのだとしたら、そのエッセンスを定義するヒントを見つけたいという望みを壊してしまっている…それは、純粋な祝福の思いやりのある形のどれかに欺瞞があるのではないかと疑う僕の性向を刺激している。なんで自分がこんなに頻繁に悲しくて後悔するのか、それが説明されていると思う。傷ついた魂にとって、人間の慈悲深さを示すものを信頼するのは難しいんだ…少なくとも僕にとってはね…
とはいえ、たとえ僕がすごく疲れていても、今日は気分が良いよ。自分の心の奥底から、何かが開花するのを感じるんだ。感情的にも、創作的にも。次のアルバムに取り組んだものを一旦白紙に戻すという決断は正しい決断だった。自分の古い失望と最も深い悩みに直面するのを避けるために他人の考えのうしろに”隠れる”ことができると思ったんだ。でも、その仮面のプロセスに耐えることができなかった。本当の自由は自分が復元できる囁きではない。そして、僕はあまりにも多くの抑圧されたつぶやきを抱えているから、誰かの疎遠な色の影の中に自分を孤立させ続けることはできない。というわけで、じゃあ、次は何?!正直、分からないや…自分の夢をずっと遠くまで漂流させてしまったっていう事実以外は。でも、頭の中に何かが芽生え始めてるんだ。だから、恐れに満ちた扉の向こう側にあって、光り輝いてるものが何なのかを見つけるときだよ…全ては今から始まるんだ!!!