エディション35
創造的人生の流れ

親愛なる兄弟、姉妹、友人、愛する人たちへ、君が元気だと良いな。忙しい日々の中で、新年の色を少しでも楽しめていることを願うよ。マッカイが亡くなったあと、たくさんの人たちから温かい言葉を受け取って、深く感動している。 自分は一人じゃないんだって思い出せただけでなく、気持ち的にも本当に支えてもらったよ…心からありがとう。

自然はいつだって我が道を見つける

僕は最近静かめだった。長すぎるほどの時間、自然の変化を観察していた以外はね…僕の土地に住むことにした新しい”生き物”を見ていたんだ。裏庭に複数の赤いキツネが住みつくようになったんだよ。あと冬眠を終えた黒い熊も見たし、12~15頭ほどの鹿の群れがご近所さんの庭から僕の家の前に来るのを見たり、野生の七面鳥の群れや、たくさんのウサギも見かけた。渡り鳥のほとんどは、まだ戻って来ていないみたいだけど、それも時間の問題かな。既に木々の新芽が出始めている。少し雪が降ったと思ったら、2日後には20度近くまで気温が上がって…凍っていた小川は一気に小さな滝のようになっていたよ。そういうところが好きなんだ。命を映し出し、それが何度も何度も、もつれては、紐解かれている。独自のリズムを持っていて、そのサイクルを神秘的なスタイルで再定義しているんだ…その壮大さを見ることで、最近直面しなきゃいけなかった様々な出来事において、心のバランスを保たせてくれてる。この山に心の根を生やすことが、僕にとって、どれだけ恵となるか、移り住んだ当初は想像もつかなかったよ。荒野と同じくらい、予想外だ。

家から離れるとき

僕はこれから長期に渡って家を空けるために、複雑な思いの中、荷物をパッキングしている。マッカイが亡くなってから、あまり何も感じなくて。ずっと入っていない部屋もいくつかあるんだ。マッカイが好きだったおもちゃが床に転がってたりして、思い出がありすぎて、どれくらいマッカイが恋しいか思い出してしまうから…何となく全ての時間が止まっている感じなんだ。レナードでさえも、普段のアップビートなキャラクターとは少し違う。きっと僕らは無に近い感情を浮遊してるんだろう。一つだけ確かなのは、僕の家がこんなにも空っぽで静かだったことはないっていうこと。僕はいつものようにノンストップで仕事をし続けてる。自分の魂が生む痛みに向き合うのを避けるために。マネジメントファミリーのメンバーであり大切な友人の一人と話したように、それはとても不健康な対処法で、自分でも分かってるんだ。僕は元ソーシャルワーカーだからね。その皮肉を受け入れないといけない…少なくとも、ある種のユーモアはキープし続けてるよ。

僕はまだマッカイを骨壺に移していないんだ。それが一番、痛むのかも。灰になったマッカイは、数週間前に葬儀場から持ち帰った箱のまま、僕と一緒に横になってる。骨壺も2つあるんだ…まだ包装されたままだけど。僕はもう明日、家を離れるから、これ以上は引き延ばせないのは分かってる。マッカイの灰をそのままにはしておけない。そんなのはおかしい。分かってる。自分がこんなにもダメージを受けてるなんて思ってなかった。もしかしたら、認めたくなかっただけかもしれないけど。また別の皮肉なんだろうね。特に、このことが”最も暗い空間”と呼ぶ場所へ僕を引き戻したから。複数のアングルから何層にも重なった自分の人生が鏡に映し出され、ゆっくりと蝕んでいく場所。僕はどんな経験をしようとも、他人や状況や宇宙を責めたりはしない。けれど、オーバーなほどに詳しく調べて、過度に自分を分析するんだ…ひっきりなしに。父もそうだった。そのせいで死にそうになっていたよ。実際に死を選ぼうとしたこともあった。イエス様の中に信仰を見つけ、答えを見つけるまで。父は驚くべきほどに平穏で喜びに満ちた状態で最期を迎えた…希望はいつだってある…そう言うのは、皮肉になっている僕さ。

パッキングしながら、どれだけ多くの同じものを持っているかに気づいたんだ…しかも、タグがついたまま…それでなくても、十分クレイジーなのに。もう少しばかりヒントをあげるね。ここ20年くらい着続けてる同じモデルと同じサイズのジーンズを20着以上見つけたんだよ。そのうちのほとんどが、クローゼットの”ツアー”セクションにあったんだ。異常だよね。ジーンズと一緒にいつもの長袖シャツとポロ、そしてに加えて、同じ黒いTシャツと下着、カラフルでポップカルチャーのデザインの”Stance”のソックスが大量にあって、そして靴、靴、靴…同じブランドの同じモデル…全部”ツアー”用。人生の大半を遊牧民のように生きて来たって思い出したよ。行く先々に手荷物バッグを置いていってさ、まるで自分がそこにいたっていう証のように。まぁ、実際に手荷物バッグを置き去りになんて、してないけどね。ただの比喩だよ。だけど、それでも鮮やかなシンボルのように思える。たくさんの”ツアー用”の物を見る中での一筋の光はさ、僕の人生が1つの旅行用スーツケースに収まっている一方で、それが”保管”されていたって言う事実。きっとだから、ヴァージニアを離れる心の準備ができていないんだ…初めて自分の家だと思えた場所。バンドの家じゃなくて、コミュニティの家じゃなくて…僕の場所、僕の避難所、僕個人のサンクチュアリー…

同じものをいくつも持っていることは、自己アイデンティティの投影を心配しなくていいと言う利点もあった。金銭的に余裕のない家庭で育った僕は、裕福な家庭の子どもによく学校でボコボコにされていたんだ。クールなブランドの服を着ていないっていう理由でね。冬のあいだ裕福な友人の家の車道をシャベルで雪かきして、ようやく流行っている服を1着買えるような状況のとき、世界がどんな構成になっているかを知るのに、社会経済の授業に参加する必要はない。今、お金を払うからこれを着てくれとオファーが来るようになって、自分がそれを断れるポジションにいることに、ただ感謝してる。かつての僕と同じ理由で毎日ボコられてる子どもがいなかったら、それは皮肉だね。毎回、写真や動画を撮るたびに公共の”ユニフォーム”を着ることを考えすぎなくて良いことに感謝するよ。美学よりも、自己統一の方がいい。だから、自分のものをまとめるのは可笑しいんだ。特に、これからの作曲セッションは、ドキュメンタリーか何かのために撮影されるかもしれないから。自分が浸っているものの意味について聞かれたり、その重要性を説明しなきゃいけない方が心配だな。感情的な構想を練っているときの僕は、とてもつまらないアーティストだと思うんだ。その旅路は心の中にある感情的にザラザラとしたステップの連続であり、突然、独自の形で命の閃きが開花するまで、その本当の価値は内面にとどまったまま。それが開花するときは周りの人と同じくらい自分も驚くんだ。僕の服が黒ばっかりなのも不思議じゃない。あらゆる場所に色を探してるんだよ。そして、光の欠片が僕のものであることは稀で、僕はその特徴の素晴らしいエッセンスに驚く探検家…それをのちに身に纏うのさ。

それと服よりも本を多く持っていこうとしてることに気づいた。異常行動の一つかもしれない。作詞するときにパッと思い浮かんだ言葉を信じず、あらゆる創作のパターンに順応するのを拒否しているし、自分の精神をいかなるタイプの枠組みへと降伏するのを拒否している。自分の時間はしっかり取っていて、本を読むことはその中心だ。僕は読むのが遅い方だと思う。読んだことから想像して、言葉に香りを与え、コンテキストに様々な景色を与えるのが好きなんだ。自分の想像力で物語を書き換え、話題を再定義し、敵対者を書き換える。本は無限の可能性を与えてくれるキャンバスのようで、自分なりの解釈という無限の宇宙の中で、絡まり合っている混乱の世界…心の奥底で自らの唸りに囚われていた僕の不安から生まれる戸惑いを超えて、輝きへと手を伸ばす波の様々な層から集まってできる音のようだ。もし、それが時に混乱を生むなら(僕のバンド仲間がよくそう言うように)その”声”が成長し、僕の声が小さくなるときに意味を成す。だから、僕はたった一言や不気味な音に簡単に執着するんだよ。全てが孤独な瞬間へと戻り、そのときに曲が、詩が、ヴィジュアルアートなどが静かに自らの声を上げ始めるのさ。僕はその方向へ意識を傾けないといけない。沈黙と孤独が、そういう瞑想の時間を通して、気づかせてくれるんだ。だからこそ、3ヶ月自宅から離れるけど”服よりも本”が大事なのさ。意味分かるだろう?!返事はいいよ(笑)

次のスタジオセッション、新しいアルバムへの時期

バンドスタジオの本部に戻ることは、それとは全く逆の効果をもたらす…この場所は今でもたくさんの苦しみを匂わせるんだ…落胆、友人の裏切り、コミュニティとして生きることから受け取る恵について描いていたユートピアの終わり…以前ほど心がボロボロになることはないけど…今でもその亡霊が彷徨っているのは確かだ…”じゃあ、何故その場所へ戻って次の作品を作るんだ?”と君は思うかもしれない…それは、僕にとってのプロセスなんだと思う…苦しみが、じゃなくて、魂を呪う亡霊から自由になることが。その亡霊は自問するときや、移り変わりの時期にいると感じるときに彷徨っている…僕は後悔をしない…積極的にオープンなデカルト主義タイプなんだ。または、そう信じたい…だから、次のアルバムを作るために、24時間ですら耐えられない場所に3ヶ月もいることが、美しく魅力的であるだけでなく、自分を成長させるためにいるべき正しい場所なんだと思ってる…矛盾してるけれども…それが大事なポイントなんだ…疑いは心を麻痺させるエージェントなのさ…恐れが後退させるものであるようにね…そして、次の作詞セッションで僕が繋がりたいと思うものを発見するために、クリエイティブな”探究”の心地良さを避けて、最も恐れていたもの、無感覚へと自分を完全に放棄しなきゃいけないんだ…それはいつの間にか共に生きることを学んだもの…それは苦難に直面するとき、頭が構築したパラダイムを生き抜きたかったら受け入れる必要があると自分を説得した最も大きな嘘…気持ちを無にすることは”守り”を生まない。真逆なんだ…満足感を放棄させ、それ以外には何ももたらなさない…存在することへの恐れ…少なくとも、僕にとってはそうだった。

数日前に終わったばかりの作品がプレリリースすらされないうちに、次の新しい作品の旅を始めるのは初めてのことだ。本当はもっと前から、それに取り組み始めるはずだったんだけど、クリスマス休暇の前に先延ばしすることに決めた。マッカイの状態が緩和に向かっているようだったら、先延ばしにしないとって強く思ったんだ…夢まで見たよ…きっとそれくらいマッカイの体調が不安で心配していたんだろうね…この話がどう進んでいったか分かっているだけに、先延ばしにするという直感に従って良かったと思うし、周りの人もスケジュールを調整して僕を支えてくれたことに深く感謝してる。マッカイの突然の旅立ちが僕の中の純粋な何かを壊してしまった一方で、マッカイの体調を心配しながら、大丈夫なフリをしながら、教会スタジオの内部で制作を続けるなんてできなかっただろうと思う…それが、マッカイのくれた最後の贈り物なんだ…はっきりとした視点で未来を思い描けるようにしてくれたこと…既に微かながら始まっている変化の季節に昇る朝日をより良い形で味わえるように…ここ数年で簡単に感動しなくなってしまった疲れ果てた僕の目の前で、その弱くも安定した光が開花するのを見るのは、興味深い印象だよ…希望は、人が不思議を深く考えなくても、深く焦がれなくても訪れる。希望は、期待していないときに慰めの炎を通して魂を輝かせる…信仰がなくても現れ、与えられる奇跡なんだ。

プロデューサーがスタジオエンジニアと一緒に、3週間後に僕らに合流する。一緒に作品を出したことがない人と仕事をするのは初めてなんだ…そういう居心地悪いセッティングを選んだのは、驚いたことに僕自身だった。プロデューサーの作品に敬意を持っただけでなく、10月にタンジェで、奥さんと息子さんと一緒に、彼と1週間過ごしたことで、人として称賛の心を持つようになったんだ。次の作品をどんなものにしたいか話したのが、もう随分昔のように思えるよ…このプロジェクトに関わる人たちにとっては心配かもしれないけど、僕としては良いことだと思ってる…既に築かれたシナリオも、既に決められたロードマップも欲しくなかったんだ…だから、満足さ…一緒にアルバムのキャンバスから暗闇の皮をむき、その下に何があるか発見するんだ…僕はそれくらい知りたい…このプロセスにThe Long Shadowsのどのメンバーが実際に参加するのかすら分からないし…それくらい、オープンな心で今これを書いているよ…それに驚く人もいるだろうね。でも僕は驚かない。自分が今、立っている場所に解放的な側面があるんだ…3週間後に全ての筋が通るよ。たとえそう見えなくても…そうなるのさ。

もうすぐリリースされる複合的プロジェクトについて

最近、僕が話しているアーティスティックアルバムとモーションピクチャーの特別プロジェクトについて、いつ、より詳しく知れるのか、たくさんの人たちから聞かれたよ…そう遠くない未来のはずさ。だって、先週のはじめに全てのヴィジュアルデザインを完成させたし、各アルバムのレコードのアイデンティティも決定したからね。そう、ここ数ヶ月でとても大きなプロジェクトになっていったんだ…もう少しの辛抱だよ…信じて、待つ価値はあるから…

改めて、優しい心をありがとう。オープンで寛容な心で僕を君の旅路に歓迎してくれて、光栄に思う。とても貴重な共感と優しさを持った人たちがいることに僕は説明できないほど恵を感じてる。 すぐにもっと色々とシェアしていくからね… 😉

愛を込めて
Alex
PS: 僕は、注意深く置かれたマッカイの灰が入った袋をようやく開けたんだ…美しい海色のベルベットの袋…灰になったマッカイを腕に抱くのは心が痛かった…いつもそうして遊んでいたようにベッドルームの床に座り…僕の愛がマッカイを癒してくれるよう全力で祈ったのなら、この瞬間に願っている唯一のことは、たとえどんなに疲れ果てていても、マッカイなしでも生きていけるだけの強さが欲しいということだった。それに気づいたんだ。しばらくその場に突っ立ったあと、マッカイの骨壺を僕の作詞部屋に移した。毎晩、21時頃になるとこの部屋へ行きたがり、お気に入りのソファに横になって、音楽を聴いたり、歩く軍人の連隊かのようにキーボードを打つ僕をジーっと見つめていた場所…ベッドへ行く時間だと分かるまでずっとそうしていたんだよ…マッカイはとてもユニークなキャラクターを持っていた…彼こそがロックスターだった 😉

もうあと2時間もしないうちに空港へ向かう…最初に思ったよりも、大きな心の一部をここに残していくような気がする…お互いに離れるのが、この特別な関係において一番辛かった部分だ…だから1時間でも1ヶ月でも、どこかへ出発するたびにそうしていたようにマッカイに別れのキスをして…感謝をして…すぐに戻るよと伝えた…一緒に連れて行こうかとも思ったんだけど、家だと感じたことがない場所に向かうよりも、ここの方が良いと思ったんだ…

そうやって、今や、もう新しいノイズのレイヤーを作る時間…レナードだけを側に残して。 安らかに眠ってね、僕の愛しいボーイ、マッカイ。どこへ行こうとも、君は僕の心に生きているよ…

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