"言葉"なくして…アルバムはない…

楽曲のアイデンティティのアウトラインを決める最も難しい部分は、適切な”言葉”を見つけることだ。自分の頭の中にあるイメージを描写するベストな”言葉”を見つけること。頭の中で見たイメージではなくて、感じたものね。(ついてきてる?)だから、それはいつだって魂が擦り切れるようなプロセスなんだ。最初のプロダクションフェーズがあっという間に過ぎていったから、”言葉”を見つけるために自分の精神を曝け出そうという試みすらしなかった。それは直感的な解放の果実となっただろうけど、自分にプレッシャーを与えて実践した結果になっていたと思う。そんな曲がった”言葉”の全てを嫌っていただろうと思うんだ。そして、僕のことだから、アルバムの公式リリースの直前に全部レコーディングし直していたんじゃないかと思う。それぐらい、僕にとって”言葉”は大事なんだ。少なくとも、僕にとってはそうなんだよ。それに関して、妥協はしないんだ。
レコーディングプロダクションを始める前から、僕には既にいくつかの”テーマ”があったけど、短い期間に多すぎるほどの悩ましく痛々しいことがたくさん起きて(僕自身の健康状態の悪化から、伯父の訃報に加えて、彼の遺骨がどこに埋められたのか今だに分からないこと、そして親友でありクリエイティブパートナーであるStephanieの感情的な疲労と、自分が無意識に対処するのを避けている色々なことまで)それを考えただけでも、とても激しいんだ。特にバンドの本部に到着したときは、マッカイを失ったことに深く影響を受けていたから。アルバムの歌詞にあるアイデンティティは、そういう悲しみに満ちた要素を映し出すだろうか?おそらく土台的な感じにはなっていると思う。今は何かを思い描くのが難しいんだ。音楽はおかしくも、また別の方向に傾いている気がするから、最初はそれに戸惑った。アルバムを穏やかなものや、充足感や情緒を表したものとして考えていないのに、楽観的な意識がどこかにあるんだ。それは、The Cureのアルバム『Pornography』が、希望を美しく描いたアルバムだと思っているただ一人の人間にしてみれば、かなり前進した感じなんだよ。ほらね、僕にとって”楽観的”がどんな意味を持つか、誰にも分からないだろう?!やれやれ… 🙂
もしも、The Long Shadowsに感謝していることがあるとすれば、それは僕の創作のプロセスを応援してくれていること。彼らは僕が話していること全てを理解しているわけじゃないし、なぜスタジオ作業が激しくて、痛みを伴うものでないといけないのか、その理由も分かっていない(それは普通のことだよ。僕自身ですら創作のはっきりとしたヴィジョンを持っていない) でも、僕が飛び込んで、飛び込んで、飛び込み続けるための純粋で正直な旅路なんだって完全に確信している。彼らの無性の支えがあるからこそ、失敗を恐れたり、自分の限界や、アイディアの減少への恐れを超えることができるんだ。だから、自分が深くまで行き過ぎたら、彼らは僕を引き戻してくれるって知ってる。僕はよく深く掘り下げ過ぎることがあってね…そうしないといけないのさ。奥深くに何があるのか?到達していない道はどんなものか?浸る勇気がなかったものは何か?そういう質問を常に自分に問いかけてるんだ。取り憑かれたようにね。だって、自分が分かち合う”言葉”が、もしかしたら最後かもしれないって理解してるから。だから、自分の心を全てを”言葉”に捧げることで、この旅路により深い意味を与えるんだ。

だからこそ、そうやって深く飛び込んだあと、僕はよく感情的に取り乱したり、精神的に混乱した感じになるんだと思う。二度と目覚めなかったかもしれない手術から目覚めて以来、ずっとそんな感じなんだ。それは僕の精神を変えたんだろうか?!?多分ね…世界への見方を変えただろうか?!?自分自身を?自分の精神も?!絶対に変えたと思う。どれくらい変えたかの程度は分からないけど、明らかに何かが変わったんだ。以前と同じように聞こえないし、同じような言葉を発しないし、以前の自分と同じようには感じない。時々、変なんだ。けど、それを受け入れれば受け入れるほど、興味深く、解放的になっていく。僕は”言葉”を以前と同じように感じて、識別しているんだろうか?別に言葉を見つけられるんだろうかって心配してるわけじゃない。その反対に、自分がこれだっていうものに触れられるって分かってる。それは、自分の中の激しい心の状態からは別のものとして見つけるんだろうってね。言葉が”独自のもの”へと開花する前に、それが形になって、自分の中で育っていくだろうって感じられ、心と魂を捧げることができたときに、発見できるものがどんなものかに興味津々なんだ。自分の理解、コントロールや合理化を欲する気持ちを超えて、その枠組みが生まれていくのを見ることは、実際すごく嬉しいよ。
だから、残りのバンドメンバーたちとMikkoに伝えたように、いづれ曲やアルバムから少し離れて、そして、前へ進もうとする早いペースの流れから少し離れて、曲の全てを繋ぐ真髄、核心へと戻る時間が必要になるときがくるんだ。それ無くしては、違う誰かのアルバムとなり、僕のじゃなくなる。そして、もし僕のでなくなったら、それが自分のものであるフリなんてしない。”言葉”なくして、フリをすることや、魂のないものを混ぜ合わせることに意味なんてないから…君が今これを読みながら、その思いが急上昇してるよ。

面白い話:

僕のスタジオ日記を楽しみにして読んでくれている友人が、この漫画の一コマを送ってきてくれたよ。僕のアルバム制作方法ってこんな感じだねって…
この素晴らしくて、ソウルフルな友人は、のちに僕がマフィンに独自のアイデンティティを見つけさせるっていうことを見逃したんだ。その結果、見知らぬ人々がマフィンの香りを嗅ぎ、見ることもせずに全部食べてしまうという、彼らの運命を決定づけることになった。音楽業界へようこそ…