終わりのないこの曲はどうかな…

終わりのないこの曲はどうかな…

創作は午後早くから再開された。今日やった最初の歩行セッションで、Benと良い会話ができたよ。Benはたくさんのものを背負い込んでいるから、ポジティブな方法で、自分が支えられていると感じることが大事。それについては、彼も僕と一緒で、全てはプロジェクトについてで、自分たちについてじゃないから、このハイスピードで進む混乱に自分は一人じゃないと感じるのは良いことだ。僕らみんながそうであるように、彼も昨日のすべての展開について少し呆然としていたと思う。Benは一日中ビートを逃して遅れを取っているように感じたんだ。「ようこそ、僕の世界へ」と言って、笑ったよ。病院のベッドで目を覚ましたときから、僕はまさにそう感じている。これから一生こんな感じなのだろうか、って思うくらいに。いつも物事を把握していて、常に誰よりも一歩先を歩いてきたような僕にとっては、困惑するレベルじゃなくて…ほとんどの時間、少し遅れをとってずれていると感じるのは恐ろしいし、不安だ。だからこそ、Mikkoがいてくれて、本当に良かったと思ってる。僕の”回復”の時期に、僕と同じように激しい情熱を持った人に頼れるのは心地が良いよ。今現在の混乱に平和をもたらしてくれる。
そういえば、Benと僕は今朝、彼と素晴らしい会話をしたんだ。アルバムの意味やテーマについて。もう既に全てをカバーしていたとしても、アルバムを作っているときに、その深みへと浸れたのは良かった。Mikkoはアートに対して、とてもセンシティブなアプローチをするから、前日にナビゲートしなければいけなかった技術的な側面を越えて、僕の創作世界の根本を話せたのは、とても刺激的だった。僕は歓迎されただけでなく、彼の中に閃きをもたらしたんだ。僕がしている本質について話し、曲を短くすることへの不安について打ち明けた…そして、彼はなぜ僕らに曲の核心をつかんで欲しいのかを説明してくれて、受け入れられたと感じたから、それと同じレベルで彼にも僕らの歓迎を感じて欲しいと思ったんだ。僕らはまるで目に見えないダイヤモンドを探している。そして、彼は金細工の名工のように、不要な汚れから全体を磨き上げる手助けをしてくれるんだと説明してくれた。僕らの場合、それはオーバープロダクションな箇所を取り除くという意味であり、無意識に自分たちの曲を繋いでいた不自然な完璧さを取り除くということだ。というのも、今の時点では、汚れやぼやけが明らか過ぎて、認識するのが逆に難しいかもしれないから。それは、平等、人間、機械、感情、技術、精神、構造だと考えるとき、とても興味深いものになる。だからこそ、それはもう制限についてではなく、完全なる解放であり、曲を支えるために全てが揃うんだ、と。僕の世界は全く予期していなかった形で広がったよ。正直、とても驚いた。

そこで問題は、曲が単独で呼吸できるような方法で、自分の心と魂にあるものを共有できるかということ。それについて正直になるのは僕にとって、興味深い機会だ。だって、僕はアーティスティックな見た目などは求めておらず、正真正銘のものを求めているから。